2013年8月19日月曜日

解離の治療論 子供の人格について (10)


最近、少し暑すぎはしないか?
ところで今日聖路加病院で、「秋の月曜の祝日は外来診療を平日のように行なう」という告知があった。非常に喜ばしい動きである。何しろ月曜の患者さんの再診枠が足りなくて困っている関係者はとても多いはずだからだ。しかし祝日が減るのは、それはそれで問題だ。


それでは子ども人格がどのように成長するか、については特別な技法はないのであろう。それは子育てに特に一定のテクニックがないというのと一緒である。治療者に十分な感受性や配慮があれば、あとは子ども人格に遊びを通して自己表現をする機会を持ってもらうということで十分である。子ども人格が言語表現が不十分であるだけ、非言語的な手法、つまりは箱庭、描画、粘土などを主体としたプレイセラピーが用いられることになろう。その過程で決まったパターンが出現するとしたら、その子ども人格はそれにより何らかの過去の体験を再現し、表現することで乗り越えようとしている可能性が高いと考えるわけである。治療者は子どもの人格が安心して出て来てプレイセラピーにより自己表現をするというレベルにまで導くということで、仕事の半分は終わっているのである。繰り返すが、そこに特別な治療技法、テクニックが必要というわけではない。

子どもの人格が「遊び疲れる」ということ

私が臨床上よく使う表現に、「子ども人格が出てくる際は、遊び疲れるまで相手をしてあげてはどうか」というものがある。実際子ども人格は遊ぶことである程度満足し、その後ゆっくり「休む」という印象を受ける。この「遊び疲れ」のニュアンスは患者さん自身の表現にそのヒントが聞かれることがある。交代人格の中には短時間で引っ込んでしまう人がいるが、彼らがしばしば「眠気」を表現するのだ。あたかも彼らが持っているエネルギーに限界があり、一定時間以上は疲れて眠くなってしまうので内側に戻ってしまうということをしばしば聞くのである。
 もちろんこの「疲れ」や「眠気」にどのような生理学的な実態が伴っているかは不明であるが、少なくとも彼らの主観としてはそう体験されるらしい。ということはやはり、子ども人格は仕事中に飛び出してしまう傾向を抑えるためにも、しかるべき場(セラピーなど)でエネルギーを発散したもらうことが有効であると考えられるのだ。