2013年8月31日土曜日

トラウマと解離(3)

トラウマを忘れること

さて解離性障害の場合の、「トラウマを忘れる」とはどのようなことなのだろうか?それは端的には、交代人格を扱わない、あるいは少し無理にでも「お引取りいただく」ということに相当する。この問題についてはある意味では答えが出ていると言っていいだろう。なぜならほとんどのDIDの患者さんについて、彼女たちの非常に多くの人格が、実質的に扱われないままに終わっていくからである。
 DIDの方々の体験からわかることは、人間の脳にはある限界があり、同時に稼動する人格の数は決して多くないと言うことである。私はおそらく34程度と見ている。それ以外の人格はおそらく静止画像のようになっていて、少なくとも同時に「覚醒」しているとはいえないのではないか?しかしDIDの方々が自覚できる交代人格の数は通常は二桁以上であることを考えると、その大部分は静止画状態にあり、その静止の仕方にもさまざまな段階がある。つまりすぐにでも命を吹き込まれることが可能な「静止」と、深い昏睡状態にあり、容易なことでは覚醒しない状態での「静止」である。そしてそれらの中には、おそらく今後も覚醒することがないままで、いわば凍結された状態におかれ続ける交代人格があると言うことは、それがその人の精神の安定にとって害のない、あるいは場合によっては重要な事情があるのであろう。
 私がここで何を言わんとしているかといえば、この事情が、トラウマ記憶が多くは「扱われ」ずにいてもいい、あるいは「扱われ」るべきではないということの、解離の文脈からの根拠である。人はさまざまな外傷性のインパクトを持った経験を過去に積み重ねている。しかしその多くは忘却されていく。解離性の方々の場合、それぞれのインパクトがちょうど月の表面に出来た無数のクレーターのように、人格の形を取って刻印されていくのであろう。しかしその多くは静止し、昏睡状態に移行する形で事実上心の表舞台から姿を消していくのである。

2013年8月30日金曜日

トラウマと解離(2)

シリアへの武力介入?直観的にはぜんぜんピンとこない。多くの人々が犠牲になっているのはわかる。しかしそれと他国が武力を用いることは別問題だ。こういう直観はおそらく正しい。
 

さてこの解離とトラウマという問題がなぜ重要なのか?それは言うまでもなく治療論に絡んでくるからである。もしトラウマが解離症状の原因であるとしたら、そのトラウマを「扱う」ことがその治療になるのではないか、と考えるのは自然だろう。ただどのように「扱う」のか?(ここで「扱う」という微妙な言い方をしたのは、「治す」ことは難しいからである。例えばトラウマの記憶を「消し去る」ことは不可能であるからだ。せいぜいできることは、トラウマの記憶が今の生活にとっての障害とならない程度にすることだ。それをここでは「扱う」と言うことにしているのだ。
 トラウマを「扱う」ことには、非常に大きく分ければ二つある。一つはトラウマを忘れるよう努力することであり、もう一つは逆にトラウマを(表現は悪いが)掘り起こすことである。これは常識的に考えてもわかることだろう。
 過去のトラウマ的な体験を一つ思い出していただきたい。それは時々蘇ってきて心に痛みを与える。できればそれが起きてほしくなかったと思う。一方では、それがふとしたことから思い浮かんでこなければいいと願う。要するに忘れられればいいのだ。そして忘れるための一つの方法は、それを想起しないこと…である。しかしこれは少しヘンだ。忘れる為には思い出さないこと? するとある意味ではこれは「治療」ではない。少なくとも治療的に「扱う」ことではない。「扱う」こととは結局何らかの形でそれに触れること、そしてそれだけ忘れることを困難にするからだ。

しかしこの治療ではない治療は、おそらく大部分の私たちが行っていることなのだ。嫌なことを忘れることが出来るなら、私たちはそれを選ぶ。ある人にとってはそれは仕事から帰って一時間ほどジョギングをすることだし、別の人にとっては帰りに居酒屋によることだったりする。おそらくこうやって私たちは嫌な体験を忘れようとし、ほとんどの場合うまく忘れられているのである。

2013年8月29日木曜日

トラウマと解離(1)


解離性障害とトラウマとはかなり密接な関係がある。解離とはトラウマの結果として生じる、というのは欧米の精神医学では常識である。トラウマという概念と解離とはほとんどセットになっているといっていい。
 しかし解離性障害として幅広い種類の障害と考えた場合、このトラウマとの関係が見えにくくなってしまうことも確かである。トラウマの変わりに「ストレス」と言い換えると、解離との関係を説明しやすくなる。ではトラウマとストレスとはどのような関係なのか?「トラウマチックストレス(トラウマ性のストレス)」という言葉もあるぞ。まあ心にかかる負荷、重圧という感じか。ではストレスの大きさが増すと、トラウマになるのか?そうともいえない。トラウマに必要な要素は、インパクト、衝撃なのだ。ショック、と言い換えてもいい。それにより心のあり方が瞬時に変化をこうむるというニュアンスがある。すると解離にはこのインパクトが必要だろうか?うーん、難しい問題だが必ずしも必要ではないような気がする。もちろん解離という現象そのものはスイッチングのようなもので、かなり短い時間に開始し、また短い時間で回復、ないしは別の解離の状態に移行する。しかしそれを引き起こすストレス事態は、慢性的に生じていたりする。それが一定以上の時間続くと、あるいは一定以上の強度になると、スイッチが入る(切れる)、ということも生じる。それはたとえば強い衝撃やトラウマを受けて解離状態になる、というプロセスとは異なるのだ。
 今「衝撃やトラウマ」、という言い方をしたが、衝撃とトラウマは異なることに気をつけてほしい。たとえばDIDの方の前でパチンと指を鳴らす、パンと手を打ち鳴らすことで人格の交代が生じるという場合、それらの刺激は一種の衝撃ではあってもトラウマとはいえないのだ。

その他の例としては、たとえば成人男性に多い解離性遁走。仕事に絡んだストレスが発症にかなり大きな意味を持っているようだ。解離性遁走の一部は明らかにDIDの一つの表れと見られるが、そうでないというケースも多い。

2013年8月28日水曜日

解離の初回面接(8…最終回)

診断の説明および治療指針
初回面接の最後は治療者側からの病状の理解や治療方針の説明を行う。無論詳しい話しをする時間的な余裕はないが、短い面接から理解しえた事柄、診断的な理解、治療指針を大まかに伝えることで、面接を受けた側の自己理解も深まり、治療指針についてより具体的なアイデアを描くことが出来るであろう。もちろん短い時間では話を十分に聞けなかった部分、それらが推測によるものであることも伝える必要があるだろう。
 診断に関してはそれを伝える立場と伝えない立場があるであろうが、解離性障害に関する診断的な理解を伝える意味は大きいと筆者は考える。少なくともいま体験している症状が、解離性のものであるという理解を伝えることの益は大きいであろう。それは一つにはいまだに多くの場合、統合失調症という診断を過去に受けており、時にはそのような説明を受けていないというケースが非常に大きいからだ。医師が解離性障害を統合失調症と理解することによる被害は甚大である。医師は統合失調症を判断した患者を秒識を持ち得ないと判断し、詳しい診断を伝えない傾向にある。しかし「治療」だけは行われ、鎮静作用が強く副作用の多い抗精神病薬を処方されることには変わりない。
 DIDであること、別人格が存在することについては、それを伝えることによる患者さんの反応はさまざまである。時には非常に大きな衝撃を示す方もいる。初回面接の最中から「私は多重人格ではありませんが…」とおっしゃる方もいる。しかしその存在を伝えることで多くのことに納得がいったという反応もある。
 解離性障害という見立ての場合には次の大枠を伝えることが出来るであろう。いくつかの条件がそろった場合には、予後は決して悲観的ではないということである。そしてその条件とは、重大な併存症がないこと、比較的安定した対人関係が保てること、そして重大なトラウマやストレスが今後の生活上は避けられるということである。

治療方針については、基本的にはサイコセラピーが有効であること、ただしそのセラピストが解離の病理について理解していることが必要であることを伝える。
 初回面接には時間的な限りがあるために、解離性障害についての解説書を紹介することも有用であろう。

2013年8月27日火曜日

解離の初回面接(7)

昨日は午後みなとみらいに、心理臨床学会のあるセッションの指定討論者として出向いた。脇谷順子先生はタビストック方式の親子同室カウンセリングの症例、川畑直人先生はエナクトメントのご発表。両者ともにとてもためになった。


精神症状検査
初回面接が終了する前にぜひ施行しなくてはならないのが、いわゆる精神症状検査である。精神症状検査とは面接者が約5分ほどで、患者さんの見当識、知覚、言語、感情、思考、身体症状等について短い質問を重ねた上で、その精神の働きやその異常についてまとめあげる検査である。ただしこれまでの面接の中ですでに確かめられた項目については、繰り返す必要がない。 たとえば知覚の異常として幻聴体験についてすでに質問を行った場合には改めてたずねる必要はない。その意味ではこの精神症状検査は初回面接が終わる前のチェックリストというニュアンスがある。
 解離性障害の疑いのある患者さんに対するこの検査では、特に知覚や見当識の領域、たとえば幻聴、幻視の性質、記憶喪失の有無、等が重要となる。
診断および鑑別診断
解離性障害にはいくつかの種類があるが、内部にいくつかの人格の存在がうかがわれる際にも、それらの明確なアイデンティティ(性別、年齢、記憶、性格傾向)が確認できない段階では、ほかに分類されない解離性障害DDNOSとしておくことが無難であろう。また解離性の健忘や遁走を主たる症状とする人についても、その背後にDIDが存在する可能性を念頭に置きつつも、初診段階で聴取できた診断名に従うべきであろう。

なお解離性障害の併存症や鑑別診断として問題になる傾向にあるのは以下の精神科疾患である。統合失調症、BPD(境界パーソナリティ障害)、躁うつ病、うつ病、てんかん、詐病、虚偽性障害など。これらの診断は必ずしも初診面接で付かなくとも、念頭に置いたうえで後の治療プロセスの中で再び浮上してくる可能性もある。
 なお精神症状検査には、実際に人格の交代の様子を見せてもらうことも含まれるだろう。ただしそこには決して強制力が働いてはならない。むろん解離性の人格交代は基本的には必要な時以外はその誘導を控えるべきであるということが原則である。しかしまたそれは人格交代が出現しかけている際にそれをことさら抑制することとは異なる。また初回面接で解離性の症状を聞く際に、実際の人格の交代の様子を知ることは診断上の意味があるため、その誘導を試みることはある程度正当化されるであろう。
 私は通常次のような言い方をして、いちおうは交代人格とのコンタクトを行う。「今日Aさんとここまでお話ししましたが、Aさんについてよく知っていているお世話役の人がいらしたら、もう少し教えて頂けますか?できるだけAさんのご様子を知っておく必要があります。」その上でAさんに閉眼をして軽いリラクセーションを誘導し、「しばらくお世話役の方からのコンタクトを待ってみてください。」そこであまり時間を取らずに、23分で特に別人格からのコンタクトがなければ、「今日はとくにどなたからも接触がありませんでしたね。結構です。」といってセッションを終える。もしお世話役の人格からのコンタクトがあれば、丁寧に自己紹介をし、治療関係の構築に努めるわけである。

2013年8月26日月曜日

解離の初回面接(6)

生育歴と社会生活歴

解離性障害の多くに過去のトラウマやストレスの既往が見られる以上、その聴取も重要となる。特にDIDのように解離症状がきわめて精緻化されている場合、その始まりが幼少時にあることは大多数のケースについて言えることである。ただしトラウマの問題は非常にセンシティブな問題であるため、その聞き取りの仕方には言うまでもなく慎重さを要する。特にDIDにおいて幼少時の性的トラウマをはじめから想定し、いわば虐待者の犯人探しのような姿勢を持つことは勧められない。またDIDにおいて面接場面に登場している人格がトラウマを想起できない場合もあり、実際に家族の面接からも幼少時の明白なトラウマを存在を聞き出せないこともまれではないことを念頭に置くべきであろう。さらには幼児期に何が甚大なインパクトを持ったストレスとして体験されるかは子供により非常に大きく異なる。繰り返される深刻な夫婦喧嘩や極度に厳しいしつけが事実上のトラウマとして働くこともまれではない。
 成育歴の聴取の際にはそのほかのトラウマやストレスに関係した事柄、例えば転居、友人との関係、家族内の葛藤、疾病や外傷の体験等も重要となる。またその当時からIC(想像上の友人)が存在した可能性についても聞いておきたい。また筆者が最近特に気になるのは、幼少時ないし思春期の海外での体験である。ホームステイ先でのホストファミリーからの性的外傷等のケースが非常に多く、またそれを本人が一人で胸にしまっていたという話を頻繁に聞くのである。幼少時は安全な環境(例えば日本、ただしもちろんそれでも万全とはいえないが)で過ごすことが小児が外傷から身を守る上で極めて大切なことである。論文から逸れたが。


2013年8月25日日曜日

解離の初回面接(5)

だめだ。もうゼーンゼン論文口調。

症状から解離性障害が明らかな場合、その他の解離症状についてもスクリーニング的に尋ねるべきであろう。特に没頭、熱中傾向、離人傾向、転換性の身体症状などである。具体的には「物事に熱中しすぎて、周りが見えなくなってしまうようなことはありますか?」「時々自分の体や世界が遠くに感じられたり、自分が自分でないように感じることはありますか?」「体の感覚が急に麻痺したり、手足が動かなくなったりということはありますか?」などの質問がそれに相当する。さらには自分を外から見ているような体験、鏡で自分を見ても自分ではない気がするという体験、自分が所有している覚えのないものを持っていることはないか、などの質問も私はすることが多い。これらはDES(解離体験尺度)に出てくる質問であるが、それぞれが解離のいろいろな側面を捉えたものである。逆にこれらの質問に対して肯定的な答えをする人ほど、DESの点数が高くなることになる。(勿論我が同僚柴山先生の影響も受けている。)
 自傷行為については、それを解離の症状とは必ずしも言えないが、解離性障害の方がしばしば示す傾向である為に質問項目に加えておきたい。「カッティング」(リストカット等)による自傷行為は、それにより解離状態に入ることを目的としたものと、解離症状、特に離人間から抜け出す目的で行なうものとに分かれるという私の印象は変らない。またいずれの目的にせよ、そこに痛覚の鈍磨は必ず生じており、その意味ではカッティングを行なう方は知覚脱失という意味での転換症状を部分的な解離を体験していることになり、それだけ他の解離体験も有している可能性が高くなる。とはいえ勿論、カッティングをする人が皆解離性障害というわけではない。

ちなみにカッティングはそのほかの解離症状や過去のトラウマ体験に少なからず関係していることは確かであろうが、無論それらとは直接関係していないカッティングも生じうる。そのことはその他のimpulsive-compulsive behaviors (衝動的強迫的行動)についてもいえることである。

患者さんが知覚の以上、特に幻聴や幻視についての体験があるかについても重要な情報となる。その際幻聴の下である人をある程度同定できることはそれが解離性のものであることを知る上で重要な手がかりとなる。それが自分の中の別人格であり、名前も明らかになる場合には、それはおそらく高い確率で解離性のものといえるであろう。また幻視は統合失調症ではあまり見られないものであるが、解離性の厳格としてはしばしば報告される。それがICのものである場合、その姿は見える場合も見えない場合もある。またそれが実在するぬいぐるみや人形などの姿を借りるということもしばしば報告される。

2013年8月24日土曜日

解離の初回面接(4)

現病歴を聴取する際の留意点についていくつか述べておこう。それらは記憶の欠損/交代人格の存在/自傷行為/幼児期のストレスないしはトラウマ/熱中、没頭傾向/離人傾向/性格傾向である。
 記憶の欠損を聞くことは、精神科の初診面接ではとかく忘れられがちであるが、解離性障害の場合には必須となる。記憶の欠損が解離性障害の必要条件というわけではないが、その症状の存在の重要な決め手となる。人格の交代現象やそれに類似した人格状態の変化は、しばしばその時間の間の記憶の欠損を伴うが、そのことを日常生活で直面化させられることはあまりない。患者は多くは物忘れが酷かったり注意が散漫だと思われる一方では、記憶が欠損していることに困惑し、日常生活上の不都合を覚えていることが多い。ただし初診時に患者にいきなり「記憶の欠損はありますか?」と聞くわけではない。「一定期間の事が思い出せない、ということが起きますか? 例えば機能のお昼から夕方までとか。あるいは小学校の低学年の事が思い出せない、とか。」という尋ね方が適当であろう。
 交代人格の存在の聴取には慎重さを要する。多くの交代人格が治療場面を警戒し、またその存在を安易には知られたくないと考え、初診の段階では交代人格の存在を探る質問には否定的な答えしか示さない可能性もある。他方では初診の際に、主人格が来院を恐れたり警戒するために、かわりに交代人格がすでに登場している場合もある。診察する側としては、特にDID(解離性同一性障害)が最初から強く疑われている場合には、つねに交代人格が背後で耳を澄ませている可能性を考慮しつつ、彼らに敬意を払いながら初診面接を進めなくてはならない。「ご自分の中に別の存在を感じることがありますか?」「頭の中に別の自分からの声が聞こえてきたりすることがありますか?」等はいずれも妥当な質問の仕方といえるだろう。

<最近ブログがちょっと短か目という噂あり>


2013年8月23日金曜日

解離の初回面接(3)

今朝は朝から頭の中で「圭子の夢は夜ひらく」が何度もまわっている。亡くなった藤圭子さんに合掌・・・・・

現病歴を聞く
解離性障害の現病歴は他の障害にない特徴がある。それはおそらく多くの場合、生活歴との区別が明確でないということである。(もちろん発達障害に関してもこれは当てはまることになる。)通常は現病歴は発症あるいはその前駆期から始まるが、解離性障害の場合、それをいつの時期と定めるかが決して容易ではないことが多い。もしそれを解離症状の始まりの時期としてとらえるとしたら、それこそ物心つく前に遡る必要すらあることになる。たとえ明確な人格の交代現象が思春期以降に始まったとしても、誰かの声を頭の中で聴いていたという体験や、実在しないはずの人影が見え隠れしていたという記憶が幼児期に遡ることは少なくない。また学童期にすでに自分が自分の体から離れて感じられた体験(いわゆる「幽体離脱体験」)、周囲に幕がかかって遠く感じられた体験(いわゆる「現実感喪失体験」)を一過性に体験しているということも多いであろう。ただし通常は、解離性障害の現病歴の開始を、日常生活に支障をきたすような解離症状が始まった時点におくのが通常である。(だめだ。論文口調を止められない。)

もちろん解離性障害の中には、成育歴上の解離症状が見当たらない場合もあり、その場合は現病歴の開始時を特定するのはそれだけ容易になる。たとえば解離性遁走の場合は突然の遁走が生じた時が事実上の解離症状の始まりであることが多い。また転換性障害についても身体症状の開始以前に解離性の症状が見られないことが多い。とはいえ解離性同一性障害の場合には、遁走や転換性障害はその症状の広いスペクトラムの一部として生じ、かつ幼少時にさかのぼる部分的な解離症状を見出すことが出来るのが通例である。(もう今日はやめておこう。)

2013年8月22日木曜日

解離の初回面接(2)

さて、解離性障害の初回面接も、通常の初回面接と大きくかわることはない。アウトラインとして「鑑別診断の含めた質問の留意点」記憶の欠損/自傷行為/幼児期のストレスないしはトラウマ/熱中、没頭傾向/離人傾向/性格傾向/以前の治療者との関係について/紹介状について/併存症の確認/医師の側の理解の説明/今後の治療方針について、などなど。
とリストアップした上で書き出そうとしたが、その前に・・・・・。
患者さんに「大変でしたね」と伝える

初回面接に際して特に解離性障害の場合に言えることは、おそらく患者さんは非常に警戒し、こちらの解離についての理解の程度を伺っているということである。非常に多くの場合、患者さんは別の精神科医と出会い、場合解離性障害とは異なる診断を受けているはずだ。患者さんが現在服用している、あるいは「お薬手帳」に貼られているシールにある薬のリストがそれをある程度示唆している。しばしば抗精神病薬(リスパダール、ジプレキサなど)が出されているはずである。そしてそれはかつて解離症状を「精神病症状」として、つまり統合失調症の症状として捉えた医師が、それを治療するために処方した可能性がある。それらの薬を処方した精神科医を離れてたずねてきた患者さんの場合、さまざまな誤診を受けてきた可能性があり、それに対する「大変でしたね」という声かけは必要かもしれない。
もちろんそのような経験がない患者さんもいる。その場合に「大変でしたね」のねぎらい(この言葉が私は嫌いである)の言葉は意味がないかもしれない。ただここにたどり着くまでにすでにいろいろ誤解を受けている可能性がある、ということを面接者は念頭に置かなくてはならないということである。
 患者さんが誤解を受けてきた可能性があるもうひとつの理由は、解離性(転換性)障害の性質そのものにある。異なる人格が存在すること、一時的に記憶を失い、その間別の自分が人と出会っていること、体の諸機能が突然失われて、また回復することなどは、いずれもそれを本人が意図的にコントロールしているという誤解を容易に受ける。そして患者さんはそのような体験を何度も繰り返している。そのプロセスで症状を隠すようになり、当然のことながらこれまでに出会った治療者に対してもそれらのいくつもを隠している可能性がある。それが更なる誤診を招くのだ。

2013年8月21日水曜日

解離の初回面接(1)


再び「大人の事情」がやってきた。「解離性障害の初回面接」について、季節が変わるころまでに考えておかないと、いろいろな人に迷惑がかかるという事情だ。しかしこのテーマは渡りに船である。このブログで下書き(ナンの話だ)が出来そうだ。

とはいえ、「解離の初回面接」というテーマは容易ではない。解離の初回面接は「解離性障害(の疑い)」として紹介されていらした場合と、そうでない場合、例えば統合失調症やボーダーラインの疑いでいらした場合とでは多少なりとも異なる。また稀にではあるが、「解離性障害の疑い」で見えた方が、実は少なくとも典型的なそれではないと判断される場合もあるのだ。
 そこで本稿は「解離性障害の可能性があると思われる患者さんについて、鑑別診断を下すという目的も含めて初回の面接を行う」くらいの設定を考えて論じよう。(まずい。もう「論文口調」になってしまっている!) 

解離の方にも、それ以外の方にも、私は最初に「主訴」にあたる部分を聞くことから始める。もちろんご本人の年齢、身分(学生か、お勤め、など)居住状況(ひとり暮らしか、既婚か、実家の家族と一緒か、など)、などの簡単なプロフィールをまず聞くことが最初かもしれないが、その次に聞くことは、この「主訴」である。要は現在一番困っていること。もちろんこんなこともある。「お母さんから言われてきました。」「私はとくに困っていることはありません。」その場合には「ご本人の訴えは特になし」ということになるが、「お母さんはあなたのどのようなことをご心配なさっていると思うのですか?」はさまざまな意味で妥当な質問である。
私の経験からは、解離の方の場合には「物事を覚えていないことが多いんです」「物忘れがひどいんです。」「記憶がトンじゃうんです」などの記憶に関することが多いようである。それに比べて「声が聞こえてくるんです」「頭の中にいろいろな人のイメージが浮かびます」などの主訴は聞くことは少ない。前者は実際の生活で困ることであるのに対し、後者はご本人はかなり昔からそれを体験しているために、それ自身を不自然と思っていないことが多いからであろうと思う。

2013年8月20日火曜日

解離の治療論 子供の人格について (11)


子どもの人格が大人の情報を知っているということ

解離性障害の治療に携わるものにとって、子供人格と対面し、治療的な応対をすることは、治療者としてのキャリアーの一つの里程標であり、少し大げさに言えば「帰還不能点 point of no return 」というニュアンスすらあるように思う。多くの治療者が解離を扱うことで一種の色眼鏡で見られるということを体験する。「あなたもあちら側の人になってしまったんだね?」という憐憫の混じったまなざしを同僚から向けられることだってありうるのだ。身体のサイズとしては成人の子供人格とプレイセラピーを行なうことは、人格交代という現象を認め、受け入れることを意味する。しかし解離性障害を「信じない」立場の治療者にとっては到底そのようなかかわりは受け入れがたいということになるだろう。
 たとえ人格の交代現象そのものは認めたとしても、何日か前にこのブログで述べた問題が頭をもたげる。「子供人格に『出癖』がついたらどうするのだろう?」「子供人格をそれとして扱うことで、医原性の人格交代を助長しているのではないか?」このように子供人格をそれとして扱うまでに治療者は二つの障壁を乗り越えなくてはならないのだ。

解離性障害の懐疑論者にとって格好の攻撃素材となるのが、この表題に掲げた、人格同士の情報共有の問題である。子供の人格との会話で時々不思議に思うのは、その語彙の思いがけない豊富さだ。子供人格はしばしば幼児期に特徴的に見られるような発語の障害を示す一方では、3歳の子供の語彙にはないであろう単語が出てくることがある。たとえば「自動車教習所」などは普通は出てこないだろうし、理解も出来ないはずだが、ある3歳(自称)の子供人格はこのような言葉を理解し用いている。ここで不慣れな治療者の頭にはまたあの考えが頭をもたげてしまう。「やはりこの患者は子供の演技をしているだけではないのだろうか?・・・」「患者の演技に乗っている自分は、果たして治療者として振舞っていると言えるのだろうか?」
しかし実際に生じているのはDIDの方の持つ記憶や情報ソースには、別人格が時としてアクセスできるという以上の何も意味していないものと思われる。

2013年8月19日月曜日

解離の治療論 子供の人格について (10)


最近、少し暑すぎはしないか?
ところで今日聖路加病院で、「秋の月曜の祝日は外来診療を平日のように行なう」という告知があった。非常に喜ばしい動きである。何しろ月曜の患者さんの再診枠が足りなくて困っている関係者はとても多いはずだからだ。しかし祝日が減るのは、それはそれで問題だ。


それでは子ども人格がどのように成長するか、については特別な技法はないのであろう。それは子育てに特に一定のテクニックがないというのと一緒である。治療者に十分な感受性や配慮があれば、あとは子ども人格に遊びを通して自己表現をする機会を持ってもらうということで十分である。子ども人格が言語表現が不十分であるだけ、非言語的な手法、つまりは箱庭、描画、粘土などを主体としたプレイセラピーが用いられることになろう。その過程で決まったパターンが出現するとしたら、その子ども人格はそれにより何らかの過去の体験を再現し、表現することで乗り越えようとしている可能性が高いと考えるわけである。治療者は子どもの人格が安心して出て来てプレイセラピーにより自己表現をするというレベルにまで導くということで、仕事の半分は終わっているのである。繰り返すが、そこに特別な治療技法、テクニックが必要というわけではない。

子どもの人格が「遊び疲れる」ということ

私が臨床上よく使う表現に、「子ども人格が出てくる際は、遊び疲れるまで相手をしてあげてはどうか」というものがある。実際子ども人格は遊ぶことである程度満足し、その後ゆっくり「休む」という印象を受ける。この「遊び疲れ」のニュアンスは患者さん自身の表現にそのヒントが聞かれることがある。交代人格の中には短時間で引っ込んでしまう人がいるが、彼らがしばしば「眠気」を表現するのだ。あたかも彼らが持っているエネルギーに限界があり、一定時間以上は疲れて眠くなってしまうので内側に戻ってしまうということをしばしば聞くのである。
 もちろんこの「疲れ」や「眠気」にどのような生理学的な実態が伴っているかは不明であるが、少なくとも彼らの主観としてはそう体験されるらしい。ということはやはり、子ども人格は仕事中に飛び出してしまう傾向を抑えるためにも、しかるべき場(セラピーなど)でエネルギーを発散したもらうことが有効であると考えられるのだ。


2013年8月18日日曜日

解離の治療論 子供の人格について (9)


  子供人格の成長がどのような意味で望ましいかは、あえて述べるまでもないであろう。成長により人格はそれが持っていた可能性のあるさまざまなトラウマを克服し、言葉に直すことが出来る可能性がある。先に述べた「人格の出現はある意味でフラッシュバックである」という言葉を思い出していただきたい。(って、まだどこにも書いてなかったが・・・・。)たとえ子供人格が、遊び専門の役柄のように見えても、それは遊び足りないという意味でのトラウマを負った子どもの頃を表現しているという理解がおおむね正しいだろう。(もちろんこのような目的論的な理解には限界があるということは常に認識しておかなくてはらないが。) 

子どもの人格が「成長」するということは、その子どもが成長を促進するような、つまりは安全でサポーティブでかつ適度の刺激に満ちた環境であることを示していると言えるだろう。そうでないとその子どもの人格はその人格が成立した時点、多くはトラウマの起きた時点に留まっていることになる。フラッシュバックとはいわば固定して自動的に再生されて、そこに創造性が介入しないような精神活動である。フラッシュバックが繰り返されるということは、精神が凍結されているかのように成長することなくそこにとどまったままの状態であると考えられるのである。

こどの人格の成長の話をするとしばしば患者の家族から次のような質問を受ける。「ということは、子ども人格はどんどん成長して行って、やがて主人格のような大人になるんですね。」これに対して私はこう答えている。「うーん、理屈ではそうかもしれませんね。でも大体そのうち姿を消してしまうことが多いようです。」実際に子どもの人格が思春期を経て成人するプロセスを私は終えたことがないが、それは私の臨床経験が不足しているせいかもしれない。しかし印象としては、子どもの人格はある程度年を重ねるうちに、その役割を終えて奥で休んでしまうようである。

2013年8月17日土曜日

解離の治療論 子供の人格について (8)



子供人格の成長ということ

 子供の人格と出会うことのひとつの目標が、その子供人格の成長であるという首長は、誤解を招くかもしれない。子供人格は文字通り「成長する」というわけでもないであろうし、何しろ実際に存在する子供でもないのだ。またメタファーとしての「成長」に限って考えたとしても、それを期待できない子供人格もいる。周囲は成長するより先に「寝て」もらいたいと願うような子供人格もいるだろう。それでも当面の治療目標としていえるのは、子供の人格が出現している限りは、それがより自律的になり、節度を持つという意味での成長を果たすということである。先ほど「治療者やBさんがAちゃんと話し合う」という表現をしたが、話し合いによりAちゃんの心境に変化が生じ、「Aさんのためには~をしてはだめなんだ」と考えるようになることを期待するわけである。
 ただしここにも悩ましい問題がある。Aちゃんは必ずしも主人格Aさんのために自分を律するべきだと考える保障はない。むしろAちゃんはAさんのために犠牲になるようなことは全く望まない可能性すらある。私の経験では子供の人格の多くは主人格の「お姉さん」に対して一定の敬意を払う傾向にあるが、例外も多々あるようである。
 さて以上のことわり書きを前提とした上で言えば、子供人格は一般には成長する傾向にあるようである。最初は言葉もおぼつかなかった子供人格が、やがてしっかりとして話し方になり、書く文字も「大人びて」いくというケースを見ることは多い。一般的に言えることは、その子供人格が比較的保護的なパートナーや、支持的な治療者との間で瀕回に登場するうちにそれが生じていくという印象を受ける。子供の人格が出てきた際に、私は名前と年齢を聞くことが多いが、実際に語る年齢が上がっていくことが臨床上確かめられることもある。


2013年8月16日金曜日

解離の治療論 子供の人格について (7)

突然だがユーミンの「霧雨で見えない」はつくづく名曲である!(アルバム「ダイアモンドダストが消えぬまに」の最後の曲) いくら彼女の声が出にくくても、この曲作りですべて許せる。

子供人格の「定着」を促進するべきか、回避するべきかは、結局はとても相対的な問題である。ケースバイケースであり、それが良いことか悪いことかは単純には決められないと言うことだ。
 Aさんの子供人格Aちゃんが、パートナーBさんを訪れることが多くなっている、という同じケースについて考える。それが是か否かは、実はAさんとBさんとの関係だけでなく、Aさんの生活全体を見なくては判断できない。たとえばAさんがパートで本屋さんに勤めているとしよう。週3回、勤務時間は8時間だ。仕事は大体Aさんにはこなせる範囲だが、客がたくさん訪れたり、クレームを付けるお客さんがいたりするとAさんのキャパシティを超えることもある。Aさんは通常は一生懸命おとなの人格で仕事をこなすが、そのようなキャパを超えそうなときになると、時々時々時間が飛んでしまい、気がつくと控え室で横になっているということが起きたりする。すなわちその間解離が生じ、別の人格、たとえばAちゃんの人格が出現するわけである。実際にDIDの方でこのような形で仕事を維持することに困難さを抱えている人も少なくない。

さて問題は、AちゃんのBさんの前での出現が「定着」していることが、Aさんのパート勤務にどのような影響を及ぼしているかなのである。実際にはさまざまな可能性が考えられる。Aちゃんの「出癖」が明らかに仕事の上でも起きてしまっている場合。逆にAちゃんがかえって出なくて住むようになってきている場合。実際にAさんのパートでの仕事のこなし方から、どちらが生じているかを判断するしかない。明らかにAちゃんがパート先も自分のフィールドにし始めている場合には、AちゃんとBさんとの接触は悪影響と言うことになりかねない。
 さて私の臨床経験から言えば、そのようなことは皆無ではないにしてもより少ないように思う。そのような印象があるからこそ、Bさんの前でAちゃんがより多く出るようになってきているという話を聞いても、急いでそれをとめたりはしないのである。それに万が一Aちゃんが仕事の「邪魔」をすることが多くなったとしても、それはおそらく治療者やBさんがAちゃんとそのことについてまず話してみる段階だと考えるべきだろう。

2013年8月15日木曜日

解離の治療論 子供の人格について  (6)

昨日のブログに書いた、子供の人格に応対する時のもう一つの懸念を思い出してみよう。それは「子供の相手をまともにすることにより、子供の出現が定着してしまうのではないか」というものであった。実はこの問いに対する答えは微妙なものとなる。それは確かに場合によっては短期的にではあれ子供の出現が「定着」してしまう可能性があるからだ。そしての定着の仕方によってはそれが本人のために好かったり悪かったりもするのである。この事情は、おそらくこのブログで書いているようなペースでしか十分な説明はできないであろう。

子供の人格とはその人の中でまだ扱われ切れていない部分という意味を持つ。単純に言えば、その人が子供時代に表現できなかったものが残っていると考えてだいたいは間違いがないだろう。DIDの方の多くは幼少時に子供らしさや甘えを十分に表現できていない。ただし例外と見られる場合もあるようだ。そのDIDの方の母親が「この子は小さいころから頑固で自己主張が強いという一面を持っていました」と証言することがあるのである。このようなことからも子供人格の成因に足を踏み込むことは時には危険が伴う。すぐにでもご両親の批判が始まってしまいかねないからだ。だからここでは一般化した言い方を用いて、子供の人格はともかくも自己表現を求めて出てくる、という程度に考えておこう。これはほぼ間違いないことであろうからだ。さもなければその子供の人格は冬眠という手段が残っているからである。
 さてその方がある程度受容な人、例えば恋人Bさんに出会い、子供人格Aちゃんが出てくるとしよう。その受容的な人とは治療者でもパートナーでも友達でもいい。AちゃんはBさんと仲良くなり、しばしばBさんがいる時に出て来て、遊びをせがむようになる。子供の人格の出現が「定着」した状態と考えていいだろう。このことは少なくともBさんにとっては恋人と会う時間にその子供の相手をすることになる。彼はそれを不都合と感じるかもしれない。それがBさんにとって好ましくない状況であり、BさんがAちゃんの主人格Aさんに会う動機を失わせるとしたら、Aさんにとっても不都合なことになろう。
 もちろんBさんがAちゃんの出現を歓迎するか、少なくとも受容的な態度で接するとする。そしてそれがAさんのBさんへの信頼を増すことになり、二人の仲がより親密になるとしたら、結果的にこの「定着」は悪くなかったということにもなるのだ。

2013年8月14日水曜日

解離の治療論 子供の人格について (5)




夏はコレだ!
 
子供の人格への応対

「子供の人格が出たらどうしたらいいのですか?」という問いは、患者の家族からも、療法家からも頻繁に問われる。そこには二つの問いが含まれているといってよい。一つはこちらも子供として接するべきか否か、それとも大人が演じているものとして対応するべきかという問いであり、もう一つは子供の相手をまともにすることにより、子供の出現が定着してしまうのではないかという問いである。
この両方の問いは、どちらも解離の本質に迫り、かつ非常に大きな誤解を伴った問いと言えるだろう。まずは最初の問いである。あくまでも子どもとして接するべきであろうか?

まず単純な答えとしては、子供として接するべきであるということだ。それは例えていうならば、母親が子供を連れて面接室にやってきた状況に似ている。最初は母親が治療者と話していたが、途中から子供の方が話しかけてきた場合、治療者はどうするべきだろうか。
 その時に治療者がその子供に対して、「大人が演じているものとして」対応するとしたら、「あなたは子供のように私に甘えたいんですね。」となるであろうが、その子供は何のことが分からなくてきょとんとした目をするだけだろう。話しかけているのは母親に対してではなく、あくまでも子供自身に対してだからである。
 ただし私のこのたとえでは、子供の横に母親がいるというところが重要である。実際に子供の人格が登場する時に、背後に大人の人格が見え隠れすることが多い。やはり子供の人格だけでは心配ということだろうか。子供の人格が前面に出ていて、大人の人格が後ろで観察しているという場合も多い。するとその大人の人格は治療者の様子を見て「ああ、この治療者は私の子供の人格のことを受け入れてくれないようね。じゃ私が代わらなくちゃ。」ということになったりもする。ここにはその治療者に対する「気遣い」すらありうる。そして子供の人格が引っ込んで大人の人格が再び登場すると、治療者はこう言うかもしれない。「多重人格と言われる人たちの別人格、例えば子供の人格は、それを扱うことで出続けるのです。私は扱わない主義なので子供の人格などは出てきません。その意味でDIDは医原性ともいえるのです。」。子供の人格がこの様に時には中途半端で、治療者の対応の仕方に応じて変わることは、一部の治療者の解離現象に対する無理解を助長することにもつながるのである。

2013年8月13日火曜日

解離の治療論 子供の人格について (4)

(承前)
 以上の様々な状況で子供の人格が出現するが、それは多くの場合、そうと認められずに見過ごされてしまう運命にある。親は「この子は時々幼稚なしゃべり方をする」「時々急に依存的になる」と考えるだけでそこに人格の交代が起きているという発想を持たない場合も多い。また子供の人格の方でも自分があまり受け入れられていないと感じられる状況では姿を消してしまう場合も多く、また自分があまり相手にされない場合には「大人しくしている」ことにより、結果的にその存在が見過ごされてしまうこともある。 
 ところで子供の人格はなぜ成立するのだろうか? その子供の人格が出現する時に、常におびえたりパニックに陥った様子を示す場合には、それがある種のトラウマ体験を担っている可能性が高いことは言うまでもない。あるDIDの方の子供の人格は、毎日決まった時間に出現する傾向にあるが、それはその方が幼少時に離別というトラウマ体験を持った時刻に一致している。別の方の子供の人格は両親の激しい争いごとを体験したままの状態で出現する。
 これらの子供人格の出現のパターンを見る限り、これは一種のフラッシュバックの形式をとっていると考えていいであろう。フラッシュバックとは、PTSDの症状に特徴的とされ、ある種のトラウマをその時の知覚や感情とともにまざまざと再体験することである。そのフラッシュバックが「人格ごと生じる」という現象として、この子供の人格の出現を理解することが出来るだろう。

 他方ではいつも陽気にかつ無邪気にふるまう子供人格に出会うこともまれではない。別の人格を呼び出そうとDIDの方に協力を呼び掛けると、それとは異なった子供の人格が飛び出すということがある。あたかもその子供の人格は治療者と遊ぶ機会を待ち望み、呼ばれていた人格の代わりに出てきたかの印象を受ける。そのような様子で出現する子供の人格が深刻なトラウマを担っているかは定かでない場合も少なくない。特にその人格が他人との接触を求め、一緒に遊ぶことで喜びを表現するような場合には、その子供人格はそのDIDの方が幼少時に甘えや遊びを十分に体験できなかったことの代償と思えることも少なくないのである。

2013年8月12日月曜日

解離の治療論 子供の人格について (3)

昨日は半端ではない暑さであった。まさにカンザスの夏そのものという感じである。 

子供の人格をどのように扱うのか?

まずは出来るだけわかりやすいテーマからはじめよう。そのために質問形式にしてみた。「子供の人格が出てきたら、どのように扱うべきだろうか?」というものである。
 もちろん子供の人格が誰の前で出てくるかにより大きく異なる問題だ。治療者の前で、あらかじめ予想された状況で子供の人格が出てきた場合と、よる恋人の前で突然出てきた場合とではだいぶ事情が異なる。あるいはDIDの方が自分の中にその存在を自覚する、ということもあるだろう。
 その子供人格がどのようなタイミングで出てくるかもケースバイケースである。いくつか子供人格が出現する状況をあげてみよう。
l  受容的な人にあって誘発される場合 ・・・DIDの方は、自分の子供っぽく依存的な部分を抱えてくれるような人との間で出てくる傾向にある。それはたとえば恋人や配偶者、教師、先輩、友人、治療者などである。ただしそれらの人々に慣れ、その人との関係を安全と感じる場合に限られると考えるべきであろう。
l  ある種の動作に誘発される場合 ・・・あるDIDの方は、アルバイトでポップを書いているうちに、お絵かきモードになり、子供人格に変わってしまうことがあるという。また実際に治療場面で箱庭やスクイグルなどを行っているうちに子供人格になる場合もある。
l  視覚、聴覚刺激に誘発される場合 ・・・ プレイルームにDIDの方を誘導した場合、そこにあるぬいぐるみやその他の玩具に刺激されて、より子供人格が出て来易くなることがある。
l  ストレスやトラウマを思い起こさせる体験に誘発される場合 ・・・DIDの方が実際に幼児期にトラウマを体験した場合、その時刻に決まってそのときの子供の人格が出てくる場合がある。
l  覚醒状態が低下している場合 ・・・ 多くの子供人格が夜間や就寝前、ないしは眠剤の服用後に出現する傾向にある。この時間帯ないしは状況では覚醒レベルが落ち、大脳皮質による抑制が低下し、一般の人々も退行して子供らしくなる傾向にある。

l  催眠やリラクセーションにより誘導された場合 ・・・ 子供の人格は催眠やリラクセーションにより出てくることが頻繁にあるが、そこには催眠をかける治療者側の受容性ということも関係している。つまり治療者側に子供の人格を受け入れる用意があることで、子供の人格のほうも「安心して」出てこれるということがある。

2013年8月11日日曜日

解離の治療論 子供の人格について (2)


 
解離の治療論としてまず論じなくてはならないテーマがある。というよりこのテーマを論じれば、それは治療論全体を論じたことになる。それは交代人格をいかに扱うか、ということである。そしてそれはトラウマ理論全体にとっての中心的なテーマである「トラウマ記憶をいかに扱うか」という問題とほぼ同じことなのだ。
そうか、こういう言い方がすでにわかりにくいのだろう。
わかりにくいついでに言えば、今年の秋に某所で発表することになっている内容も、このテーマを取り扱っていて、次のような抄録を書いた。これもわかり難さの極みかもしれない。
トラウマ記憶をいかに扱うかは、トラウマの治療論の中でも最も核心的な部分であり、答えが一つに絞りきれない複雑な問題でもある。実際の臨床場面でも、患者の社会生活歴に過去のトラウマの存在を見出した際、そこに介入すべきかいなかは高度の臨床的な判断が必要とされる。トラウマを扱うことが除反応としての意味を持つのか、それとも再外傷体験につながるのかについて十分に予知することは、経験ある治療者にも不可能に近い。トラウマ治療は、かつてのトラウマをあたかも病変部を摘出するかのように扱うという一部の立場から、より保存的、支持的な方針へと移行し、近年の暴露療法が目指すように、安全かつ保護的な状況で再びメスを入れるという立場に戻りつつあるという印象を受ける。少なくとも報告者個人の考え方の変化はそれに沿ったものであり、また各臨床家が自分の立場を確立する上でも同様の変遷があるものと考える。
 トラウマ記憶をいかに扱うかに複雑に絡んでくるのが、医の倫理の問題である。患者のQOL(生活の質)に鑑みつつ治療を行なうべきであるのは、なにも終末医療に限ったことではない。トラウマ記憶の深いレベルにまでく治療の手を及ぼすことは、それが問題を本質的なレベルで解決するという側面と、それによる苦痛を及ぼす可能性の両方を含む。トラウマ記憶を明らかにし、それに対処するという方針が治療者のヒロイズムに先導され、その結果として患者の苦痛が増すことは医の倫理上許容されるべきではない。かつて笠原嘉氏が「小精神療法」の原則の一つとして「
 深層への介入を出来るだけ少なくする。」を掲げたが、それはトラウマ治療の出発点についてもいえることである。
 解離性障害を扱う立場からは、患者における治療的に扱うべきトラウマの存在は、解離性の症状の顕在化として理解すべきと考えられる。患者が生産的な生活を送る上で不可避的に生じる解離症状は、それを治療において積極的に取り扱うべきだという立場を報告者は取っている。解離性同一性障害の治療においては、自ら積極的に姿を現すことのない人格を呼び起こすことには慎重であるべきであろう。しかし治療が進む上で出現する人格については、それを治療場面でことさら呼び出すことさえも必要となる場合が多い。それにまつわる種々の治療的な配慮については、当日会場でさらに敷衍したい。

あれ?一回分になってしまった・・・・・(手抜き、との噂あり。)

2013年8月10日土曜日

解離の治療論 (1)


このブログは、読者のことは原則して無視し、私の原稿の「下書き」の場として使っていた。(もちろん少数の人たちには時々読まれているという意識がある。だから下書きの場としての意味があるのである。)「今日は更新していないじゃないか」と思う仮想上の読者をプレッシャーとして使わせていただいているわけだ。そしておかげさまで今のところ依頼されたもの、あるいは近々の出版のために書くべきものはすべて終えてしまった。そこでこれからは私が書いてみたかった「軽い読み物」としての解離論についての下書きを始めたい。
解離についてこれまで書く機会は多かったが、たいていは理論的で難しすぎる、と言われてしまっていた。こちらには理論的な頭はないと思っているので、書き方が難しいだけなのだろう、もうすこしわかりやすく書く努力をしなくてはならないと思う。これからのこの一連のブログはその試みである。(と言っても今後の具体的な計画は全くなし!いちおう書いているだけ!)


2013年8月9日金曜日

北●修のレクチャーアンド●●ージック(7)


黒崎: 「甘いささやき」でした。私は存じ上げなかったんですが、こういう曲があったんですね。
岡野:私が最初に聞いたのは30年位前ですが、この曲に入っているアラン・ドロンのフランス語のささやき、すばらしいですよ。
北山、黒埼: フーン
岡野:私はこういう曲を聴くと、三日くらい頭の中でメロディーがなっているんですよ。で、困っちゃうんですよ。
北山:だからあなたは刺激を受けやすいんだね。
岡野:私はこのダリダという人の歌い方、口を大きく開けて、エディット・ピアフ的な歌い方。あんまり好きじゃないんですよ。
北山:先生は慎み深い方がお好きなんですね。
岡野:安心感があるんですね。だからザードの坂井泉水さんみたいな人ですね。というので結論にいっちゃっていいのかしら?
北山、黒崎:はいはい
岡野:やはり究極の癒しは、私の場合は、坂井泉水さんですね。
北山:キュロットスカート系なんですか?

(以下略)

2013年8月8日木曜日

北●修のレクチャーアンド●●ージック(6)


岡野:この間新聞を読んでいたら、新潟県は女子高校生たちのスカートが一番短いんだと。そこで標語を作って、「勉強もスカートの丈も、やる気しだいでまだまだ伸びるんだ!」
北山:(大笑い)
岡野:こんな標語を作っても、なかなか伸びないだろう。それよりはキュロット。足はどんなに出してもいい、でもキュロットだ、という。

(以下省略)

2013年8月7日水曜日

北●修のレクチャーアンド●●ージック(5)


北山:面白いね。僕なら好きな曲は400回くらい聞くよ。
岡野:イチローさんみたいですね。昼食に奥さん手作りのカレーを7年間食べ続けるというエピソードが有名になりましたが。
北山:僕は好きなラーメンは何度でも食べるけれど。
岡野:何度も繰り返すと飽きるタイプと飽きないタイプがいるのかもしれませんね。私はふつう空きますが。
黒崎:話は尽きませんが、このあたりで、先生は伝えたいメッセージをお持ちということですが。



(以下省略)

2013年8月6日火曜日

北●修のレクチャーアンド●●ージック(4)


岡野: あのー、パリに行ったのは、8年間のフランス語との恋愛にけりをつけたいというのがあったんです。1986年から一年行っていたわけですが、フランス給費留学生です。つまりフランス政府から旅費や生活費が出ていたわけですが、そこで一年過ごした。さびしかったですよ。パリの冬は寒いし、暗いし、それにね、パリ人は冷たいんですよ。特に片言しか言葉をしゃべれない、シャイな男には。私のことですけれど。周りを見ると恋人通した仲良くしているのに、私は一人ですしね。
北山: あれほど恋をしていたフランスに・・・
岡野: 振られたわけです。それでやはり本命は英語だ、ということになった。それで次の年はアメリカに行くわけです。
黒崎: はい、ではここら辺で音楽。先生方が語学について熱く語るのに親近感を覚えておりました。続いての曲は、その英語の曲、ヘンリー・マンシーニで、酒とバラの日々です。
(一同聞き惚れる。)
黒崎:これまでは岡野さんの、英語やフランス語への恋心について話していただきましたが、北山さんはどうでしょう?
北山: うん、英語で歌っていても、なかなか英語は身につかないんだけれども、外国からくるミュージシャンと英語でコミュニケーションを取る必要が生じる。そうすると英語をしゃべらなければならないという必然性が生まれて、英語でコミュニケーションをすることが楽しくなったね。人間とつきかえるという感じ。音楽を通してだけではなく、人間と付き合える方法としての語学。非常に楽しいですね。
黒崎:そこまでできると楽しいという気がするんですが、なかなかそこまで・・・・。

  (以下省略)

2013年8月5日月曜日

北●修のレクチャーアンド●●ージック(3)

北山:あなたの時代にこの「枯葉」がはやったの? あなたの時代に流れてヒットしたの?
岡野: いや、そんなことないです。この曲とのそれなりの出会いが、大学時代にありました。この話をすると今日のテーマにもつながるんですが、要するにフランス語に対する恋愛ですね。大学時代に、お茶の水のアテネフランセというフランス語の語学学校に通い始めたわけです。同じアテネフランセの先輩になだいなださんがいらっしゃいますが、彼が言っていたのは、「私にとって正妻は医学で、フランス語は愛人のようなものだった」と。私にとっては正妻は英語で、愛人はフランス語だったです。で、イブ・モンタンという歌手は声域が低くて、私も高い声が出ないんです。この歌を聞いたときに非常に惚れ込んで、私の声域でも歌えるような気がした。
北山:ほほう。

   (以下省略)


2013年8月4日日曜日

北●修のレクチャーアンド●●ージック(2)


聞き返しながら文字に起こしていると結構面白い。机の中に眠っていて、ほとんど忘れかけていたCDなのに。

黒崎: まあ、この放送はいろいろ精神科の先生のお話を伺うのですが、先生に自己紹介をお願いできますか、どのような少年時代というか。
岡野: 私の小さいころというと、やはり田舎暮らしだったことが大きいです。父が脱サラして田舎で事業を始めたというので、ずっと田舎暮らしだったです。しかし通った学校は地方の都市の結構進学校だったので、田舎から時間をかけて、駅まで2キロの距離を雨の日も風の日も雪の日も自転車で通ってから、延々と汽車に揺られてということを何年も続けました。それと、何しろ物を作るのが好きだった。うちはそのころ貧乏だったので、グローブとかキャッチャーミットとかがほしいと思うと、かってもらえないだろうと思って、ありあわせの切れで自分で作りました。すると親は、そこまでやるのなら、と結局買ってくれたのですが、私はそれを計算していたということはありませんでした。(少し笑い)それとね、ギターを作りましたよ。自分で。小学校3年から。
北山: どうやって作ったの?
岡野: そこらへんの板切れを釘で打って箱にして。でもひょうたん型にはできないですよ、子供でしたからね。だから三角形のバラライカ型になって、そこに釣り糸を張りました。大変でしたよ。そんなのを相当の数作りました。緑色のサンバースト風に仕上げたり。ボディーはただの木の箱のくせに。

(以下省略)

2013年8月3日土曜日

北●修のレクチャーアンド●●ージック(1)

 200●年●月●日
今夜で3回目を迎えました。番組初のゲスト、岡野憲一郎さんをお迎えしました。
岡野: こんばんは、岡野憲一郎です。よろしくお願いします。


)以下省略)

2013年8月2日金曜日

日本におけるセクシュアリティのあり方 (5)

今日で、このテーマは終わりである。なかなか難しい。明日からは、3年前にラジオに出た時の録音を掘り起こしてみる。


 ここで谷崎潤一郎も引いてみよう。谷崎の有名な「陰翳礼賛」は、要するに日本的な美とは、見えにくい影の部分、陰影にその源があるという発想に基づいたものだが、それを田崎は例えば家屋の事情から論じている。「美というのは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされた我々の先祖は、いつしか陰影のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰影を利用するに至った。」「陰翳礼賛」より
この谷崎の記述は江戸時代までの日本の家屋の事情を思い起こさせる(と言っても私もどこかで読んだだけだが。)わが国では近代になり洋風建築が入ってくるまでは、家屋がドアで仕切られるということはなく、それぞれの部屋はせいぜい障子か襖で隔てられているだけだった。もちろん視界は外とはさえぎられるが音はかなり筒抜け状態だったのである。そこでは襖を隔てた隣で起きていることは常に想像やファンタジーを掻き立てるものだったのである。日本のエロティシズムも、そのような想像を掻き立てるもの、間接的に触れるものとして発達したことは想像に難くない。
「夕鶴」に戻って
最後に夕鶴の「見るなの禁止」のテーマに戻ろう。夕鶴を含む民話や伝説は、同時にセクシュアリティのテーマを間接的に扱っていたのではないか?
「見る」ことによる失望や脱錯覚は、セクシュアリティにおける脱幻想(「異性が完全なる合同を遂げて緊張性を失う」こと(九鬼))を象徴してはしまいか?
民話や伝説が性的な表現や描写をほとんど含まないのは、逆にそれを「見る」行為により象徴させているからではないか?
ここら辺のテーマは、実はリスキーである。

(以下略)

2013年8月1日木曜日

日本におけるセクシュアリティのあり方 (4)

 やはりお国柄の違い、ということか。日本で同じことが起きたなら、周囲の学生は見てみぬふりをして、あるいはにやにやして、そのうちだれかがそっと「それはあまりに目立つんじゃないの?」と声をかけるのではないか。あるいは教師が個室に呼んで、静かに叱責するとか。つまりミニの学生への扱い方もまた人目につかず、隠微な、目立たない形で行われるだろう。

日本におけるセクシュアリティと誘惑について-上野千鶴子氏の見解

ここら辺で個人的な見解は省略して、上野千鶴子先生に登場してもらおう。
「日本のビニ本文化は、性器を露出してはならないという世界にも稀有な倫理コードのおかげで、爛熟した洗練と発達をとげましたけれども、どうやらそれは法律の抑圧のせいだけではないのではないか、と思えてきます。性器・性交を見せない日本のソフト・ポルノの猥褻さとは、ハードコアになれた西欧人も驚く「国際水準」ものです。その「表現力」を思うと、どうやら作り手はパンティを脱がせたくなかったのではないか-・・・パンティでおおわれたボディのほうが、むき出しのボディよりずっと卑猥だ、ということを知っていたのではないかとさえ思います。・・・」
上野千鶴子「スカートの下の劇場」河出書房新社 1989年より。

(以下略)