2013年7月28日日曜日

「現代型うつ病」とはフォビア(恐怖症)である(7)

 5.結局一種のフォビア(恐怖症)ではないか

さて、最後の章になってようやくこの小論の本題に入るというのはいかにも最初の構想が不十分だが、ブログだから、ま、いいか。あとで手直しをするとして・・・・・。
私が現代型うつとは一種の恐怖症ではないかという考えを抱くようになったのは、ここ1,2年である。昨年仙台でこのテーマで講演をする機会があった時に、最後にそのような結論に至ったことを覚えているので、その頃はもうそんなことを考えていた。
 会社に行けなくなった患者さんのかなりの部分が、上司とのやり取りでトラウマを背負っている。ひどく暴言を吐かれたり、夜中近くまで詰問されたり。抑うつ気分や倦怠感、仕事に対する意欲を失い、欠勤がちになって医師をもとを訪れる。医師は診断を下すとしたらまずはうつを考える。その際もちろん抑うつ症状はあるのである。しかし同時に会社での仕事の環境に対する不安を抱いている。これは漠然とした不安というよりは、上司や同僚とのかかわりによって体験されたトラウマに基づくもので、職場に戻ることを考えたり、それを思い出させるような状況に遭遇した時に不安に襲われるのだ。
 トラウマとは不思議なもので、その当座はさほどインパクトを持たなくても、その場を離れてしまうと逆に恐怖感が増すことがある。休職になった後は、それまで毎日通っていた職場に行くこと自体に強烈な不安がともなうことがある。離婚した後前夫(前妻)に対して、その後にさらに恐怖感が増大していき、その持ち物に触れなくなる、ということもよくある。
このような状況を考えると、実は現代型うつにおける症状のかなりの部分を説明できる。なぜ休職中はうつが改善するのか。なぜ5時以降は元気を取り戻すのか。それは彼らの示す症状がうつというよりは不安、さらにはある特定の状況に対する恐怖症として説明できるのだ。
この状況はうつというよりは、登校拒否の児童に似ている。学校に行けなくなった子供は、通常は同時にそれに対する強い後ろめたさを感じている。すると学校が引ける夕刻までは外出することに抵抗を覚える。行き交う人々が、自分が学校を休んでいるという自分の存在を知っていて、それを責めてくるような気がするのだ。しかし下校時間以降や週末などは違う。あたかも世界が違ったかのように解放された気分になるのだ。登校拒否については従来は「学校恐怖症 school phobia」 とも呼ばれていたが、この名前はもっともなのだ。

現代型うつではこの登校拒否と似たような状況が起きているのだが、それが「現代の若者が未熟になった」という議論に結び付けられるかはわからない。しかしおそらく現代の若者の傷つきやすさが絡んでいることは否定できないだろう。新入社員として入っても上司から少し小言を言われただけで落ち込んでしまう、逆切れしてしまうという状況はあるのかもしれない。これを「わがまま」と取るか、「未熟さ」と取るか、あるいは脆弱さや打たれ弱さと見るかは立場により違うだろうが、ともなく現代型うつが発症する一つの条件と言えるだろう。でもともかくも職場がこわくなっている。そして自宅療養を申し出て精神科医を受診しても、精神科医はこれを「甘え」や一種のうつ、としてみる以外の方針を持たない。だから「うつ状態により今後〇〇習慣の自宅療養を必要とする」という診断書を出す。しかし本人は本格的なうつではないから、休職中はそれなりに動けるし、職場のことを忘れようと、旅行やカラオケや飲み会に参加する。しかし復職の時期が近付くと不安が募り、医師に診断書の延長を求める。しかしこれはなまけというよりは、恐怖症の発症としてとらえるべきなのだと思う。