2013年7月27日土曜日

「現代型うつ病」とはフォビア(恐怖症)である(6)

2年前に書いたブログとかなり重複している。

4.結局うつはうつである― 張賢徳氏の見解
 ところでこのシリーズは現代型うつ病とは、その正体は一種の恐怖症だ、という主張を行うことである。(というか、題名を見れば明らかであろう。)しかしそのテーマにはまだ至っていない。この4までは、「仮にうつ病だとしても本物として扱うべきだ」という主張を行うことにしている。
 てこの現代型うつ病に関して、精神科医の張先生のご意見は、私が賛同するものである。上述の精神神経誌の同じ号に掲載された彼の説を私がまとめてみよう。
 張先生によれば自殺者の90パーセントが精神障害を抱えており、過半数がうつ病であったという。そして「うつ病患者は増えているのか」という本質的な問題については、二つの可能性について論じている。ひとつはうつ病が受診するようになったから、もうひとつはうつ病概念が拡散したから。その上で彼はやはりうつ病は実数が増加しているという立場を取る。
 そして先生の結論はさすがである。「内因性でも、それ以外でもうつはうつだ。自殺は起きうるではないか。ちゃんと対応しなくてはならない。」
 私も同感である。わが国での自殺人口は去年(2012年)は2万7千人台であり、15年ぶりに3万人を切ったとはいえ、先進国の中でも若者の自殺は依然として高い傾向にある。そして若者を中心に広がっていると言われている現代型うつの年齢層が自殺に関しても高い率を示している以上は、たとえ「現代型」「仕事中だけうつ」だとしてもうつとして扱うしかないであろうと思う。
 ここで現代型うつは「なまけ病」であるという主張についての私見をまとめておこう。そもそも人は好き好んで「怠ける」わけではない。健全な人の場合は、仕事への意欲をなくして怠けたくなっても、興味は別の方向に向かうものである。それがより安易で快楽的な活動に向かうか、より困難で苦しみを伴うものなのかは別として、「何もしなくなる」(怠ける)方向には向かわない。趣味やゲームに熱中したり、酒や性におぼれたり、突然山に修行に出かけたり、お遍路さんに出かけたりするなど。いずれもこれらは「怠ける」とは形容されない。
 もし純粋に「怠けている」様に見えるとしたら、それはその人の活動レベルが、それまでに高すぎたために、いったん休む必要が生じたということになるが、これは怠けではなく必要な「休息」をとっているということになる。
 結局「怠け病」に見える状態はたいていは、うつ病や精神病による欲動の低下、身体の不調による活動低下という、それ自体が疾患に伴うものであることが多い。
 しかしそれでも人は活動が落ちて仕事や通学が出来なくなった人々を「怠け」や「甘え」と真っ先に決め付ける傾向がある。これはなぜなのだろう?
 人の心には常にある種の弁証法が働いていて、二つのモードが綱引きを演じる。一つは「あきらめ・怠けモード」。もう一つは「イケイケ・モード」。前者を目にして人は後者を刺激されるようにできているのではないか?人(特に日本人?)は、「怠け」や「甘え」を容認することに対する後ろめたさが強いのではないか、と考える。
 ただし・・・・以下の点は考慮すべきであろう。① 現代は忍耐についての価値観の変化が生じ、仕事(学習)への嫌悪や不安がより自覚されるようになったのではないか? ② 現代において人はより他責的になってはいないか? ③「怠け」の手段が多彩になり、より快楽的になってきたのではないか? 
 実はこれらの傾向は、「現代型うつ病イコールなまけ病」説を支える心情としてはかなり理解できる部分がある。これはこれで事実として押さえておかなくてはならない。2年前のブログでも出した例である。ネットでこんな例を拾った。

 重体患者より「先に診ろ」…院内暴力が深刻化(2011年2月20日11時24分読売新聞)

 香川県内の医療機関で、職員が患者から暴力や暴言を受ける被害が深刻化している。先月には県内で、傷害や暴行の疑いで逮捕される患者も相次いだ。 これらの「院内暴力」に対処するため、ここ数年、専門部署を設置したり、警察OBを常駐させたりする病院も増えている。・・・ 県も今年度、暴力の予防に重点を置いたマニュアルづくりに乗り出しており、医療現場での対策強化が進んできている。 ・・・ 県によると、県立の4医療施設では、2~3年前から医師や看護師への暴言が目立ち始め、次第にエスカレートしているという。最近では、被害に悩んで辞職した看護師も出ている。担当者は「理不尽な暴力にじっと耐えている職員も多く、把握できているのは氷山の一角。本当の被害は計り知れない」とため息を漏らす。・・・

 私はこれはあるともう。ある塾の講師(40代女性)は、ここ数年になり急に保護者のクレームが多くなったとしみじみ語っていた。学校での親のモンスター化が言われるようになったのもここ10年程のことである。私自身も以前だったら考えられないようなクレームを患者さんからいただくことが起きている。(もちろん私は悪くはない、という意味では言っていない。私の至らなさを以前は患者さんたちはあまり口に出さずに我慢していた可能性がある。) 引きこもりの増加と同時に、クレイマーの増加は実際に起きているのだろう。これは了解できる。理由は分からないが。ただこれと、日本人の未熟化や、新型うつ病と結び付けるところが納得がいかないのだ。
 確かに日本人は人との接触でまずいことがあった場合に、激しくクレームをつけるようになったのだろう。しかし私はこれは未熟さとは無関係であると思う。なにも現代社会のあり方を最も敏感に表現しているはずの若者についてそれが起きているというわけではないのだ。おそらくモンスター化している親の年齢や、救急医を困らせる患者の年齢としては、30代、40代の中年層なのだろう。そしてその他罰傾向が、職場でのうつの際にも現れていて、それが現代人は都合よくうつになる!という印象を与えている気がする。つまり以前のように静かにうつになるのではなく「職場のせいでうつになりました」と声高に主張することで、会社側も心証を害し、苦々しく思うであろうからだ。
 ただこれは日本人の行動パターンが、少し変わってきたからであると考えたほうがわかりやすいように思う。何度も例に出して恐縮だが、私がアメリカから帰って体験した逆カルチャーショックの際は、日本人が依然として「理由もなく我慢する」傾向が強いことを改めて感じさせられた。いまそれが少しずつ変わりつつあるということだろう。つまり日本人は理由もなく我慢することを止めつつあるのだが、ただどのように自己主張をしたらいいかがわからない。だから時々突然怒りをぶちまける。すると対応する側もどうしたらいいかわからないで戸惑っているのだろう。サービスを共有する側(病院、学校、医師、など)が今度は「理由もなく我慢する」立場になっているのだ。
 アメリカ社会の場合は分かりやすい。患者さんが声を荒げると、あっという間にスタッフが「911」をダイアルして警察を呼ぶ。あるいはその前段階として警備員が呼ばれる。(少し大きなビルで、警備員が配置されていないことはない。大声が聞こえた直後には、すでに警備員の姿が見えることが多い。)かの地では、声を荒げることはverbal aggression (言葉の暴力)であり、すでに身体的な暴力と同様にご法度だからだ。それがわかっているから市民はよほどのことがない限り怒鳴らない。
 ところが病院などでは、患者さんが怒鳴り散らすのを前にして、職員が平身低頭、ということがよくある。まあアメリカと違い、患者さんがいくら声を荒げても、まさか米国のように懐から銃を取り出す、ということは起きないから、職員のほうもタカをくくっているというべきだろうが。