2013年7月25日木曜日

「現代型うつ病」とはフォビア(恐怖症)である(4)



 私は中安先生は、DSMの大うつ病の概念を全面否定することに性急なあまり、理論的な整合性を犠牲にしてしまっているのではないかと思う。先生はかねてからDSMの「成因を問わない」という「操作主義的」な点を痛烈に批判なさる。しかしDSMのそのような性質は、もちろん多くの問題を含んでいるものの、精神医学の歴史の流れの上である程度の必然性をともなってできたものであり、その価値を白か黒かで決められないと考える。中安先生は輝かしい業績のある、日本の精神医学の頭脳とでもいうべき存在ではあるが、DSMに対する反発や怒りが、彼の臨床観察の精度を落としているように思えてならない。
 うつをひとつの症候群とみなして、「不眠、抑うつ気分、食欲の減退、自殺念慮・・・・などをいくつ以上満たしたら、うつ病と呼ぼう」という約束事はやはり必要と思う。なぜなら何をうつ病と呼ぶかが、人によりあまりにも異なるからだ。うつを内因と心因に分けるという発想自体が過去のものになりつつある。それが内因性でも心因性でも、症状が出そろえばうつはうつ、なのである。一見心因性と思われたうつが、結局長引いて深刻なうつになる、ということが実際に起きるからだ。そうすると脳に直接働く抗鬱剤も効くようになる。それほど心因性の疾患という概念は曖昧な点を含んでいる。何が心因かが結局は主観的な問題でしかありえないということを、この四半世紀のあいだの外傷理論の変遷が示しているのだ。

2.現代型うつは、従来の「非定形うつ」(DSM)に非常に近い
 さて私は現代型うつという概念にやや批判的なのであるが、それは中安先生の意見とは異なる意味でそうなのである。それは現代型うつと呼ばれるうつのタイプは昔から存在してたということだ。DSM-III(1980年)以降記載されてきた非定形うつ病の概念や、従来日本で記載されてきた「抑うつ神経症」は、現代型うつ病として記載されているものにかなりにかなり近いのである。つまり現代型は現代になって急に現れたというわけではないのだ。
 「でもこのタイプのうつが最近急に目立ってきたという意味で『現代型うつ』と呼んでもいいのではないか?」と言われればそれに真っ向から反対するつもりはない。しかし少なくとも「最近は非定形うつが増えてきた」という表現の方が正確ではないかと思う。それをわざわざ「現代型うつ」と呼ぶことで、そこに独特のカラーを施し、センセーショナルに喧伝するという一部マスコミの意図がうかがわれる。マスコミの論調は「現代型うつは、単なる怠けであり、現代社会人の未熟さを露呈させている」的な論調である。
 ちなみにDSMによる非定形うつとは、以下のような診断基準により表される。
気分反応性(好ましいことがあると気分がよくなる)がある。
さらに次の症状のうち2つ以上がある。
1.著しい体重増加、または過食
2.寝ても寝ても眠い(過眠)
3.手足に鉛がつまったように重くなる、激しい疲労感(鉛様麻痺)
4.批判に対して過敏になり、ひきこもる(拒絶過敏性)
つついて抑うつ神経症である。これは従来次のような考え方が主流を占めていた。
  更に抑うつ神経症についても見ておこう。
①精神病的でないこと。つまり、抑うつ気分はあっても現実検討力(空想と外的な現実とを識別吟味する自我の働き)は保たれ、自分が病気であるという自覚(病識)はあり、幻覚や妄想を欠いていること。
② 軽症であること。うつ病の症状が全部出そろうことはなく、睡眠、食欲、性欲などはあまり強く障害されない。また内因性の徴候とされる日内変動や強い抑制(おっくうさ)や
焦燥感(いらいら感)がなく主観的な気分の異常が主となる。
③ 他の神経症の症状がみられる。すなわち、自律神経症状をともなう不安、心気、強迫、
離人症状など。
④ 外的な負荷(反応性)ないし内的な葛藤(心因性)によって起こる。誘因はきっかけにすぎず、性格上の問題とからんで発症する。
⑤ 性格に起因する。具体的には病的な自己愛、依存傾向など。

もう一つついでに。有名な木村・笠原分類での第III型(「葛藤反応型うつ病」)もこれに近い。
「未熟依存的自信欠如的な性格の上に、持続的に葛藤状況(主として対人的葛藤)が加わって生じるタイプ。」

結論から言えば、現代型うつは従来の非定型うつ病、抑うつ神経症、あるいは「葛藤反応型うつ病」としてれっきとして存在していた。この事は常識的な専門知識を有する精神科医なら当然把握していることである。