2013年5月13日月曜日

精神療法から見た森田療法 (7)



この書の中で西郷は、当時高まりつつあった東アジアで諸国の間の緊張を和らげ、かつ自国の正当な立場を主張すべしと唱え、自分が特使となって朝鮮にわたることを申し出る。そして当時の政府内の権力者である岩倉具視や大久保利通らの反対にあう。それでも彼は自分の考えを主張し続けるのであるが、これは一種の政争とはまったく違った意味合いを持っていた。政争の場合、政治家同士が腹の内を探り合いながら自らの政治生命は温存しつつプライドや権力へのダメージを最小限にしつつ折り合いをつけていく。ところが西郷はこの自分の主張が通らなかった場合には政府内の役職を捨て、鹿児島に帰り農業に専念するという。これはしかし単なる脅しやブラフではなく、真剣にそのような選択肢を持ちつつ挑戦への特使の道を探ったのだ。西郷はいずれは自分の政治的な力はおろか、生命そのものが尽きることを予知する。彼は少なくともそれを恐れ、回避するのではなく、その時期を自らが選択したことになる。それが自らの主張が通らなければすべてを捨てて鹿児島に帰る、という行動であり、実際自分の主張を岩倉らに聞き入れられなかった西郷は桐野らを従えて鹿児島に引き上げてしまった。
潔い決断、ともいえるが彼の頭の中ではすべてが最初から想定内であったといえる。そこに大きな葛藤はなかったのであろう。
西郷の謙虚さを示す逸話を紹介することになっていた。「人斬り半次郎」(賊将編)415ページから。
・・・雀ヶ宮の長瀬戸という崖に挟まれた細い道で、西郷は向こうから来た百姓とぶつかってしまったことがある。二人とも馬を引いている。すれ違うことのできぬ狭い道だし、どちらかが譲って引き返さなければならない。
百姓は若い。「おい、じじい」と言った。「はアい」西郷が頭を下げ、「お前さアが引き返した方が早よごわす。」とていねいに答えると「うるさい!!」百姓が怒鳴りつけて、「何言うちょっか。じじいが下がれ。おいは急ぐんじゃ。先へゆずれ、先へ引きかえせエ」わめいた。
これに対して西郷は「それじゃ、引き返しもそ」若者の怒声を浴びつつ、引いた馬を後ずさりに苦労してもとに引き返したそうだ。・・・
このエピソードがどこまで作者(池波正太郎)の創作によるものかは知らないが、この西郷の覚悟ということと実人生の中で見せた愚直なまでの謙虚さとは実は結びついているというのが私が主張したい点だ。大いなる決意を持って物事にあたる、常に決死の覚悟で物事を選択する、ということは聞こえは勇ましいがどこまで実を伴っているのかは定かではない。政治家が「不退転の決意で」「背水の陣で」「一兵卒に戻り」などと言っても、それはむなしい掛け声に過ぎない。しかしそれがどの程度その人の内面からの真の決意を表すかは、彼らがどの程度各瞬間に自らの生を死を背景にしたものとして享受できているかによるのだ。「水に溺れてしまう境遇に陥った多田富雄先生のように。そしてこちらのほうは極めて見えやすいことになる。その人が日常生活で生じた些細な不都合にどのように対処しているかを見ればいいことになるからだ。