2013年5月31日金曜日

精神療法から見た森田療法 (25)

今日は晴れているぞ。やった!もう梅雨の中休みだ!

いわゆる「汎用性のある精神療法」はメタスキルである

さてここで一つ考えてみましょう。この汎用性のある精神療法は、技法、スキルでしょうか? おそらく違うのです。技法だったらそれを文章化してそれに基づきトレーニングにより教えることが出来るかもしれません。しかしそうではないというのが私の考えです。汎用性のある精神療法がどうして提唱されず、また教科書が作られないかといえば、それが技法ではないからです。それは敢えて言うならばメタスキルなのです。昨日の図で、「汎用性のある精神療法(姿勢)」と書いてあったのを覚えていらっしゃるでしょう。スキルではなく一種の姿勢、態度、メンタリティだと言えるのです。メタスキルといえば、既に用語として使われています。それについては既にこのブログで述べています。(18)ということはわずか一週間前のことですが。

「最終的に必要とされるのは「メタスキル」ということになる。それは一種のニュートラリティ、中立性ということとも近い。それはセラピストがおかれたある状態、と言うわけだ。「宿善開発」とか「信心獲得」と言うのは依然としてわからないが、ある種の高みに立って、自分の生の刻一刻を死とのコントラストにおいて体験するという姿勢?メタスキル、という言葉を思い出した。メタスキルはピリチュアリズムの世界ではよく用いられる概念であり、アーノルド・ミンデルの奥方のエイミー・ミンデルの概念であるという。それはスキルを超えた「心理療法家・セラピストとしての『姿勢』」であるというわけだ。メタスキルの定義としては、ネットではこんなことを書いてある。

“Deep spiritual attitudes and beliefs manifest in therapy and in every daily life…. Through their feelings and attitudes, therapists express their fundamental beliefs about life. These attitudes permeate and shape all of the therapists apparent techniques. Conceptually, I raise these essential underlying feelings of the therapist to “skills ” that must and can be studied and cultivated. I call these feeling attitudes “metaskills”.”

治療や日常生活に現れる深いスピリチュアルな姿勢や信念。治療者は彼の人生に関する根本的な信念を表現する。その信念が浸透し、形を成したのがテクニックなのだ。

汎用性のある精神療法の視点から、森田療法を考える

さてそのような視点から森田療法を考えるのですが、やはり特筆するべきなのは、「自然治癒」という考え方ではないかと思います。しかし私は自然治癒を目指すという手法そのものについて言っているわけではありません。自然治癒だけなら、森田療法を受けなくてもいいことになりかねないからです。そうではなくて、その「外し」方です。森田療法を受けにきた人に、「治そうと思うな」ということの逆説性なのです。これは例えばある治療法のテキストを開くと、「こんなテキストを読んで治そうとするな。テキストを捨てよ。」と書いてあるようなものです。これではテキストとしては成り立ちません。おそらく森田療法についてのテキストを書いている方ならだれもが、この種の矛盾や逆説性を感じていらっしゃるのではないでしょうか。「一応書いているけれど、体験してもらわないとつたわらないよね。」みたいな。