2013年5月19日日曜日

精神療法から見た森田療法 (13)



  3.症状の脱焦点化。これも極めて森田らしい方法といえる。これは中村先生によれば、症状不問(症状の訴えを細かく取り上げない)と同義として説明される。森田療法の報告に接するとよく出てくるのが、この症状不問の問題だが、実際には悩ましい問題が伴うらしい。「外来治療においては、症状を扱うことなしには初期の治療は成立しないため、症状不問に治療者があまり拘泥する必要がない」とまでおっしゃっておられる。

これはある意味よくわかる。森田療法は何よりも症状に苦しむ病者に対する救済であり、これまでに紹介した1,2.のテクニックも、いずれも症状をめぐるものだった。たとえば2.のリフレーミングで、人前での発表を不安に思う人に対して、「それをうまくやりたいという気持ちが強いのですね。」と伝えるときも、結局はその不安という症状を扱っていることになる。まさに「症状を問うて」いるわけだ。それでいて3.として「症状不問」を掲げてくるのは、ある意味では矛盾している。3.を重んじることは、逆に1、2を無意味なものにする危険もあるのだ。しかし私にはこれは一種の禅問答のような気もする。生前の森田にこのことを問うたら、「そう、そこがわが療法の難しいところじゃよ、は、は、は、」と笑われてしまうだろうか?後は残された私たちが考えるべきことなのだ。「あまり生真面目に考えるな。時には森田以外の療法も試みよ」と彼は天国で言っているような気もする。「症状、症状といっても死ねばみな終わりじゃよ」とも。そう森田は「外し」にかかっているのだ。
さてその次は4.日記療法。しかしこれもテクニックというよりはねえ。いやとても有効なことはわかる。とくに受動的に患者の訴えを聞く、というスタンス以外には二の足を踏む治療者にはこのようなツールもあるのだ、ということを知り、実際に用いてみることに意味はある。認知療法でも同様の介入があるわけだ。
中村論文はそれからまとめに入って終わる。そこでも「とらわれからあるがままへ」のための5つのスキルと4つのテクニックが紹介された、とある。もう一度復習だ。
5つのガイドラインとは、1.「感情の自覚と受容を促す」2.「生の欲望を発見し賦活する」3.「悪循環を明確にする」4.「建設的な行動を指導する」5.「行動や生活のパターンを見直す」
4つのスキルとは1.共感と普遍化、2.メタファーとリフレーミング、3.症状の脱焦点化、4.日記療法である。
さて私はこれらを学ぶことで「捉われからあるがままへ」と患者を導く方法を会得したのだろうか?答えは、イエス・アンド・ノーである。