2012年10月20日土曜日

第13章 小脳はどこに行った?(1)

小脳って、すごいんです

それにしても小脳ほど忘れられている脳はないのではないか?前書「脳科学と心の臨床」でも私は事実上小脳のことは無視してきた。脳の絵を見ると、いつも大脳の後ろにおんぶされているような格好でついている小脳。小脳、という名前もせいもあり、なんとなくマイナーなイメージ。(ちなみに英語だと、大脳は cerebrum (スリーブラム), 小脳は、cerebellum(セレベッルム)で、小脳の方が小さいからマイナーという語感はない。ただし「um」が縮小語尾であることを知っていれば別だが。)でも小脳って、意外とすごいのだ。最近注目されている部位でもあるし、本書で一つの章を設けるだけの価値は十分ある。
 小脳といっても一般人になじみは少ないだろう。ミスターチルドレンのボーカルの桜井君が最近「小脳梗塞」になったことくらいでしか話題にはならなかったのではないか。小脳自体はあまり梗塞が起きない部位なので、そしてあまりそれで命を落とすことはないので話題にならないのだろう。小脳腫瘍、というのもあまり聞かない。しかし日本には小脳研究の第一人者伊藤正男先生がいらっしゃる。その意味で日本は小脳研究の先進国と言える。そういわば医学部の一年生の時基礎医学の一つ生理学の授業で、ひときわ貫禄のある先生が伊藤先生だった。うわさでは「何かの世界的な権威」、ということくらいしか知らなかったが。もう30年以上前の話だが、今でもご健在で研究を続けていらっしゃる。

伊東正男先生 今でも現役でご活躍である。

 
実を言うと小脳は秘密のベールに包まれていたのだ。ただ運動機能には非常に重要であるということだけはわかっていた。小脳の病変で、運動失調などが起きるからである。しかし最近になってようやく、それが精神の機能にとっても重要らしいということがわかってきたのだ。
 小脳にはいくつの特徴がある。それは脳の中で小脳に限っては、その構造がかなり明らかになっているということだ。大脳に関しては、その皮質は6層構造ということになっているが、かなり場所によりばらつきがある。しかし小脳はどこをとっても規則正しい3層構造をなしている。ネットで検索するときれいな絵が出てきたので拝借する。

小脳皮質は顆粒細胞からなる顆粒層、プルキンエ細胞(英語で言えばパーキンジャーセル。アメリカで最初聞いたときは何の事だか分らなかった。)からなる層、そしてゴルジ細胞、バスケット細胞、星状細胞からなる分子層という三層構造。ここにどのような信号が入ってきてどのように抑制されて、ということがわかっている。まるでコンピューターのようだ。そしてそこに関与している神経細胞の数は膨大である。顆粒細胞だけで500億、と言われている。何か巨大な装置が、脳全体の働きを補助し、支えているらしいということがわかってきた。そしてこの小脳皮質の細胞の働きを調べていくと、それは一種の学習を行う機関であるということがわかってきた。そう、小脳とは大脳を支える巨大な裏方、ハードウェアなのである。脳自身が使っているコンピューターというニュアンスが当てはまるだろう。

ちなみにそもそも神経回路を3層構造に分け、それが学習の機能を持つというモデルがかなり以前に提案されていた。ローゼンブラットという人が1950年代に提出していた「パーセプトロン」の概念である。これはいわばコンピューター理論と脳科学を合体させたような理論であったが、1970年代になり、小脳の細胞が構成する3層構造が、まさにこのパーセプトロンである、という議論が巻き起こった。ここに先ほど紹介した伊藤正男先生の貢献があったことになる。
パーセプトロンのローゼンブラット原図

このパーセプトロンが行っているのは、例えばある行動を行った際に、それが誤差を生じたという信号を受け取り、その行動をより正確にしていくという作業である。たとえば利き手とは異なる手で字を書く、という練習をするときのことを考えよう。最初は手がほとんど思うように動かず、字の形を成さないであろうが、練習を重ねていくと、試行錯誤で徐々にそれらしい形になっていくだろう。そこで少しずつ正確に字を書けるようになる際には、力の入れ加減、ここの指の筋肉の使い方などに関して、失敗しては訂正し、という数限りない学習が繰り返される。それを行っているのが小脳のこのパーセプトロンだと考えられるのだ。