2012年9月19日水曜日

第4章 サイコパスは「異常な脳」の持ち主なのか? (3)

そもそもASPDとは?サイコパスとは?

 そろそろ言葉の説明が必要になってきた。これまでに殺人精神病、サイコパス、ASPD、犯罪者性格など、いろいろな言葉が明確な区別なしに登場しているからだ。またサイコパスについては、それを直訳した「精神病質」という表現もある。これらの言葉には混同や重複がみられ、また専門家の立場によっても使い分けの仕方が異なるのも確かだ。
 まずDSMという「バイブル」により比較的明確に定義されているASPDについて。改めて言うが、これはantisocial personality disorder の頭文字で、日本語では「反社会的パーソナリティ障害」のことである。DSMの診断基準によれば、彼らは暴力的で衝動的、うそをつき、社会的ルールを守ることが出来ず、人の気持ちに共感できない、という人々をさす。ちょっとお友達になりたくない人たち、過去にDVや犯罪歴を持っていそうな人たちである。

 ではサイコパスとは?一般的な定義からすれば、衝動的で人の気持ちに共感できず、他人に対して残忍な行為を行う・・・・。何かASPDとあまり変わりがない。しかし歴史的にはASPDよりずっと古いのがサイコパスの概念である。本家本元はこちらの方だ。昔からmoral insanity「道徳的な狂気」と称されていたものがこれである。精神医学の世界では、統合失調症や躁うつ病などが明確に定義される前から、犯罪を犯すような人たちをひとまとめにする概念が成立していた。おそらく社会にとっては害悪を及ぼす人たちをいち早くラベリングする必要性があったからだろう。それがサイコパスである。
 サイコパスとはもちろん外来語であり、正確にはpsychopathy、あるいはsociopathy という表現が用いられ、日本ではシュナイダーの概念である「情性欠如者 gemutlose」という言い方も同義として扱われた。他方のASPD1980年のDSM-IIIから登場し、「犯罪を犯したり人に暴力をふるう人たち」一般のプロフィールを代表したようなところがある。
 さてこれら両者の区別であるが、事実サイコパスという用語はしばしばASPDと混同して用いられる傾向があるし、ICD-10のように両者を同列に扱う基準もある。しかし一般的にはASPDが行動面から明らかな所見に留まるのに対して、サイコパスはさらに内面的な特徴、たとえば罪悪感の欠如や冷酷さなどに重きが置かれている。だからあえて両者を区別する際は、サイコパスの方がより深刻でより深い病理を差すというニュアンスがある。つまりASPDの中でより深刻な人たちがサイコパス、という理解の仕方が一応可能であろう。
 そこで以下にサイコパスという表現に絞って論じよう。サイコパスの最大の特徴は冷酷さであると考えられる。より年少から罪を犯し、より重層的な犯罪行為にかかわり、行動プログラムに反応をしないという。彼らは痛みによる処罰などにも反応せず、平然としているために行動療法的なアプローチがそもそも極めて難しいという問題がある。

サイコパスたちを責めることが出来るのか?
 さてここまで述べるとだいたい私の趣旨がわかってもらえるだろう。福島氏の殺人者精神病は、このサイコパスのプロフィールと重なる部分があるのである。ただし一回限りの、出来心での殺人ではなく、本人の生来の冷酷な性格の帰結として殺人を犯してしまった人たちこそが、サイコパスの基準を満たすと考えるべきである。そしてそこには脳の形態上の異常が見られるということであった。その異常として福島が指摘したのはかなり多岐にわたる以上であったが(クモ膜嚢胞、孔脳症、小回転症、脳室・脳溝の拡大や左右差など)、ブラックウッドらの詳細な研究によれば、それが内側前頭皮質と側頭極の灰白質の容積の小ささ、という形でさらに特定されている。
この様にサイコパスたちが持つ冷酷さや非共感性などは、彼らが生まれつき持っていた脳の異常のせいということになるが、実はこの問題は、私たちを深刻な混乱に導きいれる可能性がある。もしサイコパスたちが脳に障害を負った犠牲者、被害者だとしたら、私たちは彼らがおかす様々な犯罪について、それを彼らの責任に帰することはできるのだろうか? それは生まれつきさまざまなハンディキャップを担った人たちを責め、罪を問うて社会から隔離することとどう違うのだろうか? もちろんこれに答えはないが、極めて重要な課題を投げかけていることだけは確かである。