2012年5月30日水曜日

続・脳科学と心の臨床(5)-1

彼の報酬系は「ハイジャック」されてしまうことがある



報酬系の話は実は精神科関係の疾患にとっても重要である。それは嗜癖の形成である。特定の薬物、特定の行為等で報酬系が強烈に刺激され、強い快感が体験されると、人はそれを追い求めるようになる。問題はその体験をしばらく繰り返すと、人はそれから逃れることがきわめて難しくなるということだ。嗜癖とはそれほど恐ろしい病なのである。


 先ほど「報酬系は中脳被蓋野から側坐核へ至るドーパミン経路である」という説明をしたが、その内容の細部を知る必要はない。ただし被蓋野からのルートの一部は、前頭前野にも及んでいる、ということは覚えておいていただきたい。前頭前野とは大脳皮質で、ここで生じたことは意識にのぼる。この前頭前野への投射は、いわゆる飢餓感や渇望に関係していると言われている。このルートにより快感の体験は、「もっと欲しい!」という渇望、飢餓感として意識されるわけである。そして今度はその前頭前野から側坐核へのグルタミン作動性のループが知られている。嗜癖ではこのループに重要な変化が生じていることがわかっている。そこが太いパイプのようになり、そこを強烈に信号が流れるようになってしまい、もうそれを変えることが出来なくなってしまうのだ。そして前頭前野で「~が欲しい」と思い浮かべることで、激しい渇望がわき上がり、それを止めることが出来なくなってしまうのが、この報酬系がハイジャックされた状態、つまり嗜癖が成立している状態なのだ。


私たちはたばこ(ニコチン)や酒(アルコール)やいわゆる麻薬(大麻、コカイン、アンフェタミン、ヘロイン,モルフィンなど。ただし正式な意味での麻薬 narcotics は阿片から生成されるもの、つまりヘロイン、モルフィン、コデイン系のもの及びその人口合成物質、つまりオピオイドのみをさす。日本語の用い方が不正確なのだ。 )によりその様な状態が生じることを知っている。しかしそれはギャンブルやゲームなどによっても生じうることが知られる。それらへの嗜癖が生じている人の報酬系の興奮をfMRIなどで調べると、興味深いことが生じている。それは彼らにおいては、普通の人にとっては快楽的なことも、報酬系に興奮が起こらないのである。例えばおいしいものを食べても余り喜びを得られない。普通のセックスでは快感は得られない。その時例えば煙草やアルコールや、その他の嗜癖になっているものを付け加えることで、初めて報酬系が通常通りの興奮するように出来ている。つまり嗜癖物質や行為を介さなければ、本来の快感を味わえなくなってしまっているのだ。


私たちは嗜癖を生じた人たちのことを、普通の人たちより享楽的だと感じるかもしれない。彼らは通常の人間よりより大きな快感を得ている、と。しかしそれは実は正しくない。彼らは普通の人が体験できるような満足体験を得らえず、不幸や苦痛を味わっているのである。そして人並みの快楽を得るために薬物や嗜癖になっている行為をするという極めて不幸な事態が生じているのだ。



面接者への教訓2) 


来談者と対面する時、彼がどのくらい人生で不可逆的な変化を被っているかを常に考えることは重要である。それはその来談者が背負っている運命のようなものであり、その部分を心理療法で変更したり修正したりすることは極めて難しいことだ。そこは「定数扱い」すべきなのである。


その不可逆的な変化は、以下の三つの可能性がある。一つはどのような深刻なトラウマを負っているのか。一つは幼児期の愛着対象との関係がどの程度深刻な阻害を受けていたか。これらの二つについては別の章で述べるとして、もう一点重要なのが、彼の報酬系がどの程度「ハイジャック」されてしまっているか、である。この状態は表からは見えにくいが極めて重要である。ある人が一見正常に話をしていても、その人がある種の嗜癖を持っている場合には、もはや正常な思考や行動は期待できない。その人においてはその思考や行動のおよそ全てが、嗜癖物質や行動に伴う快感を得ることを目指している。面接者がアルコール中毒の人にいかに生産的な人生設計を説いても、彼らはそれを聞いているふりをしても心の中では鼻であしらっているだけだろう。彼らの頭の中は、いかに面接者との話を適当に切り上げて、どこかで酒を手に入れるか、ということしかないのだから。


問題は報酬系がある強烈なターゲットを有した状態は、極めて強固で変更不可能だということをいかに理解しておくかである。嗜癖の脳科学を知らないと、そこで来談者を説得しかかったり、意志の力に訴えかけようとするかもしれない。あるいは嗜癖に負けてしまう来談者に対して叱ったり、面接者の言葉を軽んじていると被害的になったりもするだろう。でも面接者に必要なのは、来談者にとっておそらく唯一の救いの道である禁断 abstinence をいかに成し遂げるかを、来談者に冷静に考えることなのだ。また嗜癖に陥りかねない状態にある来談者に対して面接者が出来るおそらく唯一のこと。それは心理教育である。それは嗜癖の恐ろしさ、不可逆性について説くことである。嗜癖を回避するおそらく唯一の完璧な方法は、その嗜癖物質や行動にさらされないことである。君子危うきに近寄らず。