2012年5月25日金曜日

続・脳科学と心の臨床(5)


以上報酬系について大まかな話をした。報酬系の話は複雑であるが、私たちの脳のあり方が私たちの行動をどのように規定しているかを考えるうえで重要である。この他にも私たちの心や行動を左右している脳の部位はたくさんある。例えば青斑核というところが突然興奮するとパニック発作が起きる。扁桃体の興奮で激しい恐怖に襲われることもある。(両側の扁桃体を除去してしまうと、恐れがなくなってしまう)。前頭前野を広範に除去すると人格が変わってしまい、人間らしさを失ってしまう、などなど・・・。その中で報酬系は、私たちが何に向かうか、何を回避するかという最も基本的な問題を扱っている。

面接者への教訓
来談者の行動の多くは彼ら自身が気がつかなかったり意識できないような動機に基づいている。どのような行動も、どのような症状も、それが報酬をもたらしたり、不安や恐怖を回避したりするといった意味を持っている。その例外としては衝動的な行動やアクティングアウトが考えられるかもしれない。しかしそれらもその瞬間には快楽を生んだり不安の回避に役立ったりしているのが普通である。ただそれが長期的に自分の利益に繋がらないために、その直後にはすでに後悔したり自己嫌悪に陥ったりするわけだ。
だから症状について聞くときは、それがどのような意味で報酬になっているかどうかを同時に聞いて理解しない限りは十分でない。過食に苦しむ来談者に、食べている最中の心地よさや一時的な充足感についても理解を示さない限りは、それがどのような問題をもたらすかについて話し合ってもあまり意味がないのだ。リストカット然り。ゲーム然り。さもなければそれらの行為に顔をしかめる親の立場と同じになってしまう。
来談者の人生が安定してかつ生産的であるということは、彼らの行動が一貫して報酬を生み出し、なおかつそれが将来的にはより大きな報酬に繋がるような役割を果たしているということである。そのような時に短期的な報酬は長期的な報酬を生むことでさらに大きな充足感を生む。それ以外の報酬、例えばゲームを一日何時間もやることによる報酬、パチンコによる報酬、酒を飲むことによる報酬などはそれがその人の将来的な自己実現に寄与しないために空しさを生むことになる。それを仮に「空しい報酬」とよぼう。空しい報酬に浸ることなく、自分をより生産的な行動に導くという能力は、実はかなり高度なものである。それはいわゆるEQにも繋がる、高度な脳の働きである。それは人生をシミュレーションしてそこから逆算して自分の行動を決定していくという前頭葉(DLPFC)の機能であり、実はかなり遺伝的なものなのである。それを来談者に会得してもらおうとしても、それほど簡単にはいかない。おそらくCBTの出る幕はないだろう。
ただしひとつの可能性を面接者は考えておかなくてはならない。それは空しい報酬が、現在の何らかの苦しさを「癒し」ている可能性である。それは職場での同僚からの手荒な扱いであったり、過去の外傷体験の回想に伴うものであったり、うつ症状の苦しみであったりする。その場合空しい癒しを取り去ることは辛うじて保たれていたその人の人生のバランスを崩すことになる。来談者の空しい報酬を禁じたり、それを批判したりすることには、だから相当に慎重にならなくてはならないのだ。