2011年7月31日日曜日

解離性障害の続編について

「解離性障害」(岩崎学術出版社、2007年)の続編がこの秋に出るが、そのカバーは → となることを期待していた。しかしやはり駄目だった。あまりに漫画チック過ぎるということで却下となった。もちろん覚悟はしていたが・・・・・。ということでカバーは非常に落ち着いたものになりそうだ。たとえば
                 ↓ ↓ ↓

2011年7月24日日曜日

小寺セミナーは無事終了

今日は小寺セミナー「関係性精神療法」が無事に行われた。四谷の東京JALCity。若手のT先生、A先生と企画したセミナー。50名強の参加者をいただいた。精神分析的なタブーやお作法を排除して議論できるような理論的な素地を、この関係性精神分析、関係性精神療法は提供してくれている。現代の精神分析の中で唯一希望を与えてくれる流れ(学派?)といえる。

2011年7月13日水曜日

冷房がなかった頃

暑い日が続く。今日あった70歳の患者さんがアパートの14階に住んでいて、冷房を付けていないという話を聞いた。今の時代にはこんな話は驚きだが、人類の歴史の99.9パーセントは冷房などない時代だった。一昔前までは、冷房が付いている、というのは贅沢なことだったのだ。今は熱中症などの危険が言われて、冷房を付けるというのは人は何ら抵抗を感じないらしい。
私は大学の教養学部時代の二年間、しっかり冷房なしの6畳間(民家の二階の下宿)で過ごした。窓用の冷房など、付けようとしたら窓枠が外れるくらい華奢な作りだった。階段を人が上がってくるだけで、家全体が揺れたものである。驚くべきことに、その部屋には扇風機もなかった。私はその頃、扇風機は暑い空気を掻きまわすだけで全然効果がない、と思っていた。だからあえて扇風機も買わなかったのである。夕方帰ってくると、閉め切った部屋には暑い空気が閉じ込められている。良くあそこに入り、朝まで過ごしたものだと思う。都会の下宿などで窓を開け放つわけに行かず、朝起きる頃などはじっとり汗をかいて、まさに暑さで起きるという感じ。夏休み中などは、冷房を求めて外は外出というのが定番だった。近くの杉並区の宮前図書館などよく入りびたったものだ。
夏の冷房など、ないと分かればあきらめがつくものである。今だって冷房のない外国に旅行する時などはそれなりに我慢をする。ところが日頃散々お世話になっている冷房が壊れた時などはこれほど苦痛なことはない。今のマンションも、実はこの一週間ほどはその状態だった。修理の人が来てくれるまであと何日と指折り数えたものだ。(なんと一週間先にしか予約を入れてもらえなかった。)ひ弱になったものである。

2011年7月6日水曜日

災害とPTSD:津波ごっこは癒しになるか? (4)

再び「津波ごっこ」に戻って
最後に津波ごっこに話をもどそう。こんな記事を紹介した。
・・・「津波がきた」「地震がきた」の合図で子供たちが一斉に机や椅子に上ったり、机の下に隠れる。・・・児童心理の専門家によると、子供たちが地震と津波の衝撃を遊びを通じて克服しようと格闘しているのだという。(・・・の部分は中略)
子供たちが津波ごっこに興じるのはなぜか? おそらくはっきりしたところは誰にも分からないだろう。「衝撃を遊びを通して克服しよう」というのはオトナの理屈づけであろう。もちろんその可能性は否定しないが、「どうして人は鬼ごっこやおばけ屋敷を好むのだろう?」どうして人は殺人がつきもののミステリー小説を好むのだろうか?」などの問いにむしろ近い気もする。鬼ごっこは人間が邪悪なもの、精神分析的には悪い内的対象との関係をマスターするために行う、とでも言うのであろうが、真相はわからないのである。
多分人間は適度のスリルを好むのであろう。どこかで読んだ研究だが、人の体験はノルアドレナリンの分泌と共にドーパミンの分泌が伴う時にそれを求めるようになると聞いた。(急いで出典を調べなくてはならない。)つまりある体験はそれが快楽的な部分を併せ持つことで人はそれを遊びに取り入れ、繰り返し行うようになる。おばけ屋敷も、津波ごっこもそのような要素があるのだろう。津波ごっこが親しい友達どうして行われることで、それは快楽的な要素、楽しさを付与される。それはちょうど精神科的には安全な環境での直面化や暴露療法に意味があるという原則に見合うもののように思う。そして何が楽しいのか、ということには文化的な要素が大きく関与してくるはずだ。お化け屋敷もキャッキャ言いながらまわるか楽しみの部分が生まれるのであろう。津波のことを話すのは必ずしもタブーではなく、笑って再体験してもいいのだ、という雰囲気の中で行われることで、陰惨で死のにおいがこびりついた体験からスリルと興奮の伴う体験へと変わるのだろう。さもなければ津波で家族を失った子供等は、津波のことを一切口にせずに過ごすことになりかねないのだ。
もちろん津波ごっこに参加する子供は様々だ。津波が実際に他人事で、身内や友達に犠牲者は一切出ず、その遊びでスリルだけを味わう子供がいる。他方では津波により友人を亡くした子供がいて、しかしそれを遊んでいいんだ、という意味を与えられたことで改めて想起して克服する子供もいるのだろう。その子はきっと躊躇しながらの参加になるだろう。そして津波に実際に飲み込まれそうになったり、目の前で親族が波にのまれるなどして、深い外傷を負った子供は、津波ごっこの際には逃げるようにして遊びの輪から外れるかもしれない。人の集団とはそんなものだろう。人の行うことはそのように、ある人にとってはトラウマの解消につながり、ある人には再体験の可能性を有しつつ営まれていく。専門家はそれにやや細かい視線を当てて様々な可能性を探りだすことを仕事をするのである。そしてそれによりクラスの津波ごっこで傷を負いかねない子供を守る可能性も生まれるのであろう。

2011年7月5日火曜日

災害とPTSD:津波ごっこは癒しになるか? (3)

トラウマには意味づけが関与している
私が昨日のブログで述べた事は、結局は「トラウマを受けたと思うからトラウマになる(ことになる)」とも言い換えられるかも知れない。しかしこれは誤解を招きかねない、アブない表現だ。「トラウマとは要するに気のせいだ」という風に取られかねないからだ。しかしそうではない。どのような経緯で生じても、トラウマはトラウマであり、同様のインパクトを持ち、同様の病理を生む可能性があるのである。この点を理解していただくのはこの小論の一番の目的である。
もう少し整理して述べるならば、トラウマには、意味づけが決定的なかたちで関与しているということだ。自分の持った体験において我が身が深刻な危機にさらされたという意味付けや認識がそのトラウマという体験を成立させている。時には自分がかつて体験したことが深刻な事態であったことを後から認識して、そこから発症するPTSDもある。
アメリカで同僚医師からこんなケースを聞いた事がある。ある女性が男性に脅されてお金を取られそうになり、すんでのところで逃げて助かったという体験を持った。しかし本人はそれがトラウマになったというほどではなかったのだが、やがて同じ男性が別の女性を殺して金品を奪ったという報道に接して愕然とした。そしてそれからフラッシュバックが起きるようになり、PTSDを発症したということである。つまり自分の持った体験が「自分は殺されかねなかったんだ」という意味を与えられたことで、トラウマとしての意味を持つようになったというわけである。
ただしこの意味づけには、どのような症状として表されるのが一般か、というより細部にわたったものも含まれるのである。PTSDの診断基準に見られるように、トラウマの体験の後、その際体験としてのフラッシュバック、情緒的な鈍磨反応、失感覚、それとは対照的な過覚醒といった症状群は、一部の患者にはごく自然に生じても、それを報道で知ったり、身近にそれを呈している人を見ることで他の患者にもおきやすくなるのであろう。これがWattersがPTSDが文化に規定されるということだ。しかしこれらの症状は何もないところから生まれたのではない。おそらく患者はPTSDを発症しなければ、欝やそのほかの不安障害を呈していた可能性があるのである。
実は同様の文脈で誤解されていると私が考えているのが、「擬態うつ病」ないしは「新型うつ病」である。最近急増しているといわれる「新型うつ病」について論じる人の中には、それが偽うつ病、つまり「うつ病のフリ」に過ぎないという主張も見られる。うつ病の診断が広まることにより「自分もうつではないか?」と思う人が増え、結局は本当にうつでもない人まで、うつだと主張するようになる、というのが彼らの趣旨である。しかしどのような経緯であれ、よほど明らかな仮病を除いては、うつはうつであり、その苦痛は同じであるというのが私が強調したい点である。それまでは自分をうつと考える機会がないためにうつという症状を持つに至らなかった人がうつ病になっているということなのだ。最初から明確なうつ症状を示す人以外に、そのようなタイプのうつもあるということだろう。そのような人はうつ病としての症状を得なかった場合はおそらく上述のPTSDの場合と同様に、別の症状を呈する可能性があるのだろう。でもうつを発症したならば、それはうつであり、通常のうつ病と同様の苦痛を呈するはずである。実際にうつの増加とともにわが国の自殺率も増加していることがそのことを示しているであろう。人は「うつ病のフリ」では死なないのだ。
まさに意味づけから生まれる「文化結合症候群」
ついでにここで私になじみ深い解離性障害の話をしよう。その障害の中に文化結合症候群の話をしよう。文化結合症候群には様々な興味深い病理現象が数えられており、その大半は解離性の障害と考えられる。気が違ったように荒れ狂う「狂躁発作」としてのラター、イム、などは東南アジア諸国に古くから存在が知られているが、これらのいずれにおいても、人はある種の精神的なショックの際に唐突に衝動的で粗暴なふるまいを起こし、後に健忘を残す。
その中で我が国に固有の文化結合症候群として知られるのがイムである。イムは北海道のアイヌ社会における風土病とされてきた。アイヌの中年女性が「トッコニ」(マムシ)という語を耳にしたり、蛇の玩具を見ると、錯乱状態となって人に襲いかかってきたり、物を拾って投げたりする、あるいは他人の言葉をそのまま真似る(反響言語)などの症状も見られる。明治初期に活躍した内村鑑三の息子である精神医学者内村祐之は、このイムを詳しく観察したことでも知られる。彼はイムの発作が防衛の役割を担うものとして理解し、次のように結論付けた。「イムの発作はその安全弁とも理解される…。ヒステリーの発作もイムの発作も、その本来の意味は、天然が弱者のために備えた防衛機転であり、保証機転であるのである。」(内村、1947) この内村の臨床的な評価は、ヒステリーおよび解離性障害に対する当時の一般的な評価を代表しているものと言えるだろう。
ここで注意すべきなのは、文化結合症候群には一定の症状のパターンがあり、人はそれを踏襲した形で症状を形成するということである。これはまさに文化のなせる技である。アイヌの女性はイムの症状を伝え聞く。自分はトッコニという言葉を聞くと人に襲いかかるかも知れないのだ、という情報を頭に入れる。そしてそれらのうちの一部の女性が実際にそれを症状として表現することになる。しかしそれは彼女が作為的に行なったわけではない。症状の形成が文化の影響を受けているのである。

2011年7月4日月曜日

災害とPTSD:津波ごっこは癒しになるか? (2)

きのうの津波のアートセラピーの話の続きである。
私はこの「アートセラピーに気をつけるべし」という判断はかなりソフィスティケートされたものであると思う。CISDの非治療性を見出した慧眼ともつながるのではないか。なぜならそれは直観と異なるcounter-intuitiveからである。私はこの話を聞いて「え、津波の体験を絵で表現するのって、いいアイデアじゃないの?」と心の中で思ったのだ。そして同時に「いけないいけない、実はこれは外傷にもなったりするんだろう。最近の知見ではそうなっているに違いない。専門家としてそれを知らないなんて恥ずべきだ」と判断し、何も言わなかったのである。
ただここにはもう一つ微妙な問題も含まれている気がする。それは「アートセラピー」は危ない、という呼びかけに呼応するようにして、それが実際にトラウマに働いてしまうようなケースの存在なのである。トラウマは自分がトラウマを受けたのだ、という主観と共に始まることもある、というまことに微妙な問題なのである。それが以下の話だ。
トラウマと思うからトラウマになる????
これから私は実はかなりの問題発言をしなくてはならない。同じようなことを書いている人たちにいつも非常に反発を感じていることと少し似ていることを、自分で書こうとしているのだ。それは、トラウマ体験というのはきわめて主観的なものであり、いわば二重の意味で主観的なものだということだ。最初の意味は、その人にとって特異的な反応を起こすような体験。戦闘体験で敵に銃を発射しただけでも非常に大きな外傷体験になってしまう人がいるとしよう。それはその他の、戦場ではどこか割り切ってゲーム感覚で敵をなぎ倒す人々とは明らかに異なる。その人には特定のトラウマについての独特の反応があるという意味だ。ちょうど高所恐怖になる人と閉所恐怖になることと、先端恐怖になる人がいるように。そしてもう一つの主観的とは、自分がトラウマを負ってしまったのだ、という自覚をいわば外部から与えられ、それがトラウマ反応を引き起こすというごく限定された意味での主観的な性質だ。しかしこれは限定的な意味だからといって珍しい現象とは限らない。結構起こっているのではないか?


最近興味深いニュースを読んだ。これもオンラインで読むことのできるものだ。
Miller-McCune誌 July-August 2011 に掲載されたMichael Scott Mooreの記事である。PTSD Affecting More U.S. Soldiers Than British. Why do so many American and so few British soldiers suffer from post-traumatic stress?
イラクやアフガンでの体験からPTSDになる割合が、米国の兵隊はイギリスのそれに比べて数倍多いという。U.K.’s Royal Society of Medicineの発表によれば.米国では30%なのにイギリスでは4%であるという。そしてそれは同等のレベルの戦闘体験を持ったグループ間で言えることだというのだ。もちろん英国の兵役が6カ月でアメリカが1年ということもある。しかしアメリカ社会におけるPTSDが英国に比べてかなり高いことも影響しているという。これについてEthan Wattersという専門家は、PTSDは文化によっても作られ、しかも完全に当人にとってはリアルなものである、というが、私も全くその通りだと思う。
どういうことか。米国では兵役を終えた人は自分はPTSDではないかと関心を持つし、他人もそのような目で見る。何しろ深刻な外傷体験を受けた人の10~15%にPTSDが発症することが知られているからだ。そもそもこの概念の始まりは、ベトナムからの帰還兵を悩ます一定の症状群について記載することから始まったことからも、帰還兵がPTSDを発症するかどうかについての関心は高いことは伺える。そして一般にある疾患についての関心が高まると、その罹患率も上昇するという現象を私たちはたびたび経験してきた。ちょっと昔のBPDがそうだし、最近の自閉症やアスペルガー症候群もそうだ。社交不安障害についてもそれがいえる。
しかしそれでは「PTSDは気のせいだ」ということにはなるかというとそうではない。それはWattersが言っていることでもある。どのような経緯でなったとしてもPTSDはPTSDであり、それ自体はにせものではないということだ。それにもし「PTSDは気のせいだ」ということであれば、「PTSDではないというのも気のせいだ」ということにもなる。つまりイギリスの戦闘兵は自分がPTSDであるということに気がつくきっかけがないだけであり、おそらくアメリカ人の戦闘兵と同じくらいの割合で、PTSDを実際は発症しているのだ、というロジックも成り立ってしまうことになる。てそれを言うなら同時に「トラウマではないのも気のせいだ」ということになる。
人間の戦闘体験はおそらくその歴史の開始時からある。それでいてPTSDのような症状があまり記録に残っていないとしたら、それはPTSDなどというものが最初から発想になかったから、という可能性があるのだ。PTSDや、それに限らずほかの精神疾患も文化により規定される側面があるというWatters の見解は、つまりそういうことである。見つからなかったとしたら、それはそんなものはないと思い込んでいたからかもしれないのである。このように考えると、ある診断基準が定まるとそれに罹患する人の率が急上昇するという例の説明もつくという訳である。
どうしてPTSDは以前は(あまり)存在しなかったのだろうか?おそらく時の為政者にとって戦争による心のダメージを語ることを禁止されていたのかもしれない。同様のことは男性が原因となる性被害にも及んでいる可能性がありはしないか?その社会での支配層(成人男性の為政者)にとって不利なことはあまり語られず、名前を付けられない症状はそうとして認識されず、結局は存在しなかったということになるのだろう。

2011年7月3日日曜日

災害とPTSD:津波ごっこは癒しになるか? (1)

昔何度か書かせていただいた心理学関係の雑誌からの原稿依頼が急にあった。テーマも指定されている。「災害とPTSD」。締切りが7月18日という。無茶苦茶ではないか?もう二週間しかないのに。昔からこの雑誌の企画の素早さと斬新さ、そして締切りの急さには悩まされた。二週間の期間に意味のある原稿などかけようか?ところが出来上がってくる雑誌には、同じように急な求めに応じたとしか思えない執筆者の原稿が並んでいる。今回の企画にも錚々たる人々の名前が並び、私のようなものが書かせていただくだけでも僥倖と思わなくてはならない。ということでムリをしてこの場を使わせていただく。と言っても何も新しい素材で書くわけではない。かつてこのブログでも扱った素材の焼き直し、いや焼き増しである・・・。と言ってすでに書き始めている自分が情けない。
津波ごっこの報道
私の素材は、かつてこのブログでも取り上げた、津波遊びの問題である。そのとき私はこんなことを書いた。


2011年5月29日日曜日 「津波ごっこ」について


ネットで昨日拾ったある記事。
東日本大震災の巨大津波に襲われた宮城県の沿岸地域の園児たちが、津波や地震の「ごっこ遊び」に興じている。「津波がきた」「地震がきた」の合図で子供たちが一斉に机や椅子に上ったり、机の下に隠れる。また、子供には不釣り合いな「支援物資」「仮設住宅」といった言葉も聞かれるという。「将来役立つ」「不謹慎だ」と評価は分かれそうだが、児童心理の専門家によると、子供たちが地震と津波の衝撃を遊びを通じて克服しようと格闘しているのだという。「徐々に回数は減ってきましたが、震災直後は『津波がきた。逃げろ』と叫ぶとみんなが一斉に少しでも高い椅子や机に上がる津波ごっこ、『地震だ』と叫ぶと机の下に競って潜り込む地震ごっこを子供たちはやっていましたね」
心理学を専門にしている人間にとっては最も妥当な理解ということであろう。フロイトの「快楽原則の彼岸」での糸巻きの例で、ある意味でお墨付きがついている。私は常識については必ず疑うので、この妥当な説明にも、「本当だろうか?」と考えている部分がある。(大体わかったような説明は嫌いだ。)
それでも確かに多くの子供たちにとってはこの種の遊びは結果的に適応的だということくらいは言えるだろうか。そしてそれにも多くの個人差があるはずだ。おそらく「津波遊び」にはいろいろな子供が加わっているはずだ。津波に遭ってかろうじて生き残り、そのトラウマを克服しようとしている子供、津波に遭わず、それがひとごとだった子供。そして忘れてはいけないのは、クラスメートの「津波遊び」を見てフラッシュバックを起こしてうずくまる子供もいるはずだということである。
大多数にとって適応的なことも、少数の人々には不適応的であったり、外傷的にすらなりうるのである。


ここに書いたことは、私の日ごろの治療観をそのまま伝えていることになる。外傷体験にさかのぼることはそれを克服することにつながるかもしれない。しかし人によってはそれが外傷をより深いものにする可能性もあるのだ。私は臨床家だが、災害やPTSDについて常に頭を悩ましていることがある。それはトラウマをいかに直接扱うか、という問題だ。言うまでもなく患者さんはトラウマの瞬間にとらわれている。何らかの切っかけでタイムスリップして、昔の受傷時の体験を繰り返す。これはPTSDのフラッシュバックの形を取ることもあり、解離性障害における交代人格の出現という形を取る場合もある。これをどう扱うのか?繰り返しを促すべきなのか、抑制するべきなのか?どちらが患者さんにとっていいことなのだろうか?正解はない。その時々で判断するしかない。そしてその判断自体が複雑な要素が絡んでいて決して単純ではない。日々の臨床は実はこの判断の繰り返しと行ってよい。
例えば過去の性被害にあった20代後半の患者さん。加害者への恨みは決して去ることがない。二週間に一度の面接は必ずその話に行き着く。そのエピソードが何度も何度も、何度も繰り返し話される。その話を促すことは彼女が一種の嗜癖を形成することに一役買ってはいないだろうか?
あるいは夜が更けると決まって訪れる名前のない人格が訪れるという30代の女性。その人格は幼少児の外傷を担っている。決してその外傷を忘れられずに、同じ保証を要求する。彼女がその外傷を克服するまで辛抱強く待つべきなのか、それともお引き取り願うべきなのか?
実はこの問題を複雑にしているファクターが、外傷と時間経過の問題である。いつの時点で外傷を想起し、扱うのを援助するべきだろうか?受傷後数時間しか経っていない場合と、数年立っている場合では、その扱いがまったく異なるであろうことを私たちは知っている。外傷の専門家であれば、おそらく誰でも知っている、いわゆるCISDの研究がある。


CISDの不思議
倒れて苦しんでいる人を見たら、私たちはすぐにでも駆けつけて「大丈夫ですか?」とでも声をかけるのではないだろうか?しかしそこでいきなり肩をゆすり、大きな声で話しかけて安否確認をするよりも、そこが安全な場所であることを確認して、当面は何もせずに見守る必要があるかもしれない。もちろんその人が外傷を負っている場合には積極的な治療が必要ということもありうる。最近では以前のように傷口を洗い、消毒して包帯を巻くというやり方よりも、むしろ消毒もせずにそのままにしておくという、いわゆる湿潤療法の方が薦められているという。
心の傷も受傷直後は放っておいたほうがいいのではないかという考え方は常識的といえる。しかし私たちが心の外傷についてまだ十分な知識を持たない頃は、出来るだけ早く手助けを行うべきという考えが支配的であった。いわゆるCISD (Critical Incident Stress Debriefing といわれる治療法が米国のMitchell らによって開発された。
CISDは災害が生じたときに72時間以内に、2,3時間かけてその体験を話し合う機会を提供するものだ。そこでどうやって災害が起きたのか、どのようにそれに対処したのか、何を感じたのかなどについて一種のブレインストーミングを行うことである。ここでデブリーフィングdebriefingとは、本来軍隊で用いられる用語で、帰還兵に戦況を報告させることを指す。Mitchell はもともと米軍のパラメディックであったためにそれを非常事態ストレス・デブリーフィングcritical incident stress debriefing(CISD)として開発した。
このCISDは一時非常に広く行われ、日本でも阪神・淡路大震災を機によく知られるようになった。災害の生々しい体験を直後に救援者や被災者に語らせるという手法は、関係者にいささか躊躇を与えるものではあったが、それがせい先端の治療法であるという意識もあったであろう。本来米国では救急医療が日本よりはるかに進み、その中で開発された手法として浸透したのである。
CISDはこうして災害の際の精神医学的な介入の主流となるはずであった。ところが1990年代後半から新たな研究が報告されるようになった。それはCISDがそれほど有効ではなく、後にPTSDを引き起こす可能性を軽減するというわけではないという研究結果であった。そしてこれが当然物議をかもすことになった。(Rose S, Bisson J, Wesley S: Psychological debriefing for preventing posttraumatic stress disorder(PTSD)(Cochrane Review). In: The Cochrane Library, Issue 4. Oxford: Updated Software; 2002.)
この事情に関しては日本トラウマティックストレス学会のHPに非常に優れた解説が載っている。それを拝借して説明するならば、医学的なエビデンス・データを発信しているThe Cochrane Libraryも数多くの研究論文や研究者との直接連絡から、CISDの有効性に関する検討を行っており、こちらでは「心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」とより厳しく結論づけ、「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」とまで言及しているという。(以上HPによる解説から。(http://www.jstss.org/topic/treatment/treatment_05.html#top)
外傷を体験した人たちにいち早く行う介入。直感的には決して間違ってはいないCISDという治療手段も、それが逆効果となってしまう不思議。何が治療的に作用して、何がそうでないかはほんとうに難しい問題なのだ。
ちなみに私自身は、CISDが有効であるという説も、かえって害になるという説もどちらも極端であろうと思う。また最初の津波遊びのモチーフに戻る。外傷に立ち返ることは人によっては有効にも無効にも、時には害悪にもなるのである。EMDRしかりTFTしかり、なのである。
第一災害にあった人々は通常は救急隊員やパラメディックや医師たちに様々な質問を浴びせられることになるだろう。心配して駆けつけた家族に一部始終を聞かれるに違いない。同じ助かった仲間からは、運悪く命を落とした人たちの話を聞かされるかも知れない。デブリーフィングで生じる様々な侵入的な体験は、実は不可抗力で生じている筈だからである。
津波のアートセラピーも同様か?
今年の6月11日のブログで、私はこんなことも書いている。
 「アートセラピー」かえって心の傷深くなる場合も
 心のケアのため、被災地の子どもに絵を描いてもらう「アートセラピー」について、日本心理臨床学会が9日、注意を呼びかける指針をまとめた。心の不安を絵で表現することは、必ずしも心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防にはつながらず、かえって傷を深くする場合もあるという。
 被災地では、自由に絵を描いてもらうことが心の回復につながると、個人やNPO団体などが次々に入り、活動している。大手企業が主催する例もある。
 臨床心理士ら約2万3千人が所属する同学会が9日にまとめた「『心のケア』による二次被害防止ガイドライン」では「絵を描くことは、子ども自身が気づいていなかった怒りや悲しみが吹き出ることがある」と指摘。特に水彩絵の具のように、色が混ざってイメージしない色が出る画材を使う際には、意図せず、強い怒りや不安が出てしまう心配があるため、注意が必要とした。

見逃せない記事である。わが国では最近某団体が子どもが津波の体験を表した絵の展示会を行ったが、トラウマ関係者からそれに対する懸念があがった。同様の懸念は諸外国の研究でも明らかになっているというが、これも先日論じた子どもの「津波遊び」と似ていると考えていいであろう。描画は一部(大部分?)の子どもには癒しになり、一部の子には逆の効果がある。あるいは同じ子が描くとしても、どういう状況で何を描くか、誰に描くように言われたか、などにより癒しになったり逆になったりする。治療者や保護者はそれぞれの子どもの様子を見てきめ細かな判断をするしかないという結論に至る。臨床的なかかわりが難しいのもこの点に尽きるだろう。