2011年5月8日日曜日

症例提示の仕方 (1)

30分面接が終わったからといって、安心してはいけない。それをどのように理解し、治療方針を立てるかを示すことが最終的なゴールだからである。米国の精神科専門医試験については、それを12~15分ほどの口頭によるプレゼンとして試験官に行う。(残りの15~18分は、プレゼンの内容についての口頭試問であり、全体が一時間で終了するという計算になる。ああ、思い出すだけで嫌になる。) プレゼンの際重要なことをあげれば、①聞く人にわかりやすいような提示の仕方をする。(病歴の提示に関しては時間軸上の順序に従ってin chronological order 行う。)② それにより面接者が少なくとも平均以上の精神医学的な知識を有していること、そして「安全な」臨床家であることが示されるようにする。③ 診断面接において十分に聞けなかったこと、聞き逃したこと、ないしは陰性所見があれば、それについての釈明や説明を行う。④ 診断や治療方針に関しては、ひとつの考えにとらわれず、いくつかの可能性を同時に考えられるような柔軟性を示す。
このうち①に関しては、一番説明がしやすい。誰かにある人についての説明を受ける状況を考えよう。どのように説明されたら一番わかりやすいだろうか?それを考えながらやればいいのである。診断面接とはうまくしたもので、実は面接した内容が、ほぼ順番どおりそのままプレゼンできるようになっている。ここに特別のからくりがあるわけではない。まず面接者が患者のことをわからなくてはならないが、その際に得るべき情報の順番が、ある意味で報告で伝える順番でもあるはずだというわけだ。
たとえば診断面接で、まず患者の年齢、性別、職業、家族構成や居住環境を最初のうちに聞くことを私は勧めたが、これはある人を理解するうえで最低限必要なことであり、またまず報告することでもある。その次も同様。まず主訴。それがどのように起きてきたか? きっかけは? それにより社会機能はどの程度奪われているか・・・・・。そう、診断面接で聞いたことの順番なのだ。(もうちょっと言うと、診断面接のフォームも、そのように作られている。)
プレゼンの仕方のひとつの指針をここで書いてみたい。一本芯を通すのである。主訴と、現病歴と、過去の病歴と、家族暦と、診断と、治療指針が一本の線上にあるようにする。小説を読んだりするときもそうだろう。全体がつながっていて、たとえば導入部で描かれたエピソードが話の伏線になっていることで、全体がつながっている感じが重要であり、それが呼んでいる人がその小説が「わかり」引き込まれる原因にもなるのだ。(ただし野田秀樹や伊丹十三のような、一見つながりがあまりない逸話が並んでいるような戯曲や映画などでは、全体にひとつのテーマがそれとなく流れていたり、ストーリー自体が実は単純なので、クリアー過ぎる芯をワザとぼかすということをするのだろう。一本芯は、あまり単純すぎると退屈になって面白くなくなってしまうのだ。)
この文脈で③が生きてくる。ここでこの所見があれば一本の線が引けるのに、そうではない時、聞き逃したかのうせいのあること、あるいは陰性所見を同時に報告するのである。もちろん現実の患者はその人生や病理の現れ方がさまざまな偶発事に左右されていることは十分ありうるので、それを補うことで、やはり相手にとって聞きやすく、理解しやすく(ということは自分にとっても納得しやすく)するのである。
一本の線は、プレゼンの最初から引かれ始めるべきである。例を挙げよう。
主訴が「家を出るのがこわい」であったとしよう。もちろんもう少し主訴として付け加えたいところだが、とりあえずこれが患者の口から、困っていることとして最初に出てきたものだとしよう。続いて現病歴として「2年ほど前より、外出時に・・・・・となることが多くなった。」という風に、家を出られないことの具体的な理由が述べられる事から始められるほうが聞きやすい。ところがたとえばこんな現病歴がプレゼンされたらどうだろう?
「去年の夏ごろより、Aさんは奥さんと話してもイライラすることが多く、家でも口をきかなくなって来たという。今年の初めより、夜間に不眠を訴えるようになった。食欲もなくなり、体重も減少した。奥さんはAさんの態度に耐えられなくなり、離婚話を持ち出したことから、Aは家庭での悩みを職場でも話すようになった。職場の帰りに同僚と酒を飲むことは続いていたが、その量が増えてきた。しかしそれでも仕事を休むことはなかった・・・・・」
ここら辺から聞いている人(試験官)はいらいらしてくるはずである。ぜんぜん一本の線を引き始められない(あるいは面接者がプレゼンをしつつ線を引く気になっていない、あるいは彼の頭の中で線が引けていない????)家を出るどころか、ぜんぜん会社にいけてるジャン。
「家を出るのが怖い」という主訴から、聞く人はすでにある種の恐怖症(対人恐怖、引きこもりも含めて)か統合失調症を予感している。次にくるのはうつ症状あたりであろうが、うつ病の場合は、「仕事にいけない」、「行く気になれない」という主訴になるはずで、しかもできない、やれないことは、家を出ることだけではないはずである。こうして報告を受ける人は、主訴を聞いた時点で、線を引くための点を頭のなかでどこかに打っているはずであるが、その次の現病歴がうつ病を匂わせるような、しかも外出が怖いというとは直接つながらない話であるために、すでに相当の混乱に陥っていることになる。
ここで主訴としての「家を出るのが怖い」というプレゼンの仕方が間違っていたということもいえるであろう。確かにそれは「一番困っていることは?」という問いかけに反応して患者の口から出てきた言葉かもしれない。しかし面接者は話を聞いていくうちにそれを自分流に理解したうえで「つまりしばらく仕事にいけていないので、周囲の人の目が気になっているということなんだな、一番困っていることはそもそも仕事に行くだけの気力が起きないことなんだな」と理解し、患者の話を総合して「仕事に行く気力が起きない」と言い換えればいいということになる。少なくともこれが主とそして最初に提示されれば、その後のややまとまりのない現病歴も、少しは入ってくるし、そこにうつ病を思わせる線を引き出すこともできるのである。
ちなみに陰性所見については、現病歴で「特に他人から害を及ぼされるような気がしたり、人とであったり電車に乗ったりすることそのものに特別恐怖心を抱いているわけではない」ということを報告することで、恐怖症や統合失調症の路線ではないことを相手に伝えることもできるわけである。(また最初からうつ病を疑ってしまい、たとえば被害妄想や被害念慮についてまったく面接で聞いていなかった場合には、そのことをここで釈明ないしはコメントしなくてはならない。面接者としては、自分の面接の不備さを暴露することに抵抗を覚えるかもしれないが、試験官の目には、「自分の面接の不備な点について気がついてさえもいない愚か者」ということでさらに減点されるということになる。)(続く)