2011年4月9日土曜日

治療論 その2(改訂版) の続き

大きいフォントが読みやすいのはわかるが、やはりどう考えても内容からいえば出来るだけ小さいフォントで掲載したい。まったくたいしたことのない内容だからである


絶対読者を置いてきぼりにしているだろうなあ。どうでもいいテーマだろうなあ。マアいいか。不可知性というテーマでは、このブログで十数回続いたシリーズを組んだこともあるが、その中で2010年8月15日日曜日の「不可知性の7. 人を対象と見るか、モノと見るか? 」が今日のテーマに近いだろう。
人を理解するということは、その人が不可知であるということを少なくとも頭でわかるということと関係している。(どうして頭でわかるだけでいいのか?不可知である相手のことを心でわかることなど出来ないではないか!!)そしてもちろん自然も不可知である。誰が東日本大震災を予知してブログに書いたり、ツイッターで流したりしただろう?(これはもう確実なことである。これだけの人口がいて、あれだけの不幸をもたらす大惨事を誰も予知してツイッターで流すことがなかった。もし流していたら、このネット社会であるから確実にそのことが話題になったろうからだ。これほど自然は予知ができないのだ。人の予知能力はそんなもんである。)脱線気味だなあ。
かつて私の患者に、非常に言葉が丁寧な人(Aさん)がいた(半分はフィクション)。 その人の言葉はあまりに回りくどく、フォローするのが大変であり、時にはいらだたしさを感じたのである。そしてそれをAさんに伝えるべきかを考えていた。そして私はある時「もうちょっと普通の言葉で話していただけますか?丁寧語が多すぎて意味がよくわからないときがあるんですけれど。」といってみた。Aさんは一瞬驚いた様子で、「そうですか?先生が丁寧な言葉なので、私はもっと丁寧な言葉で話さなければ失礼だと思っていました。」と言った。
それからAさんの言葉つきはあまり代わらなかったが、私のほうにいらだたしさが若干消えたことを覚えている。私は治療がさらに進んで後に、その会話以来Aさんの丁寧な表現があまり気にならなくなったことを告げたことを覚えている。
よくある治療場面の一こまである。私は取り立てて治療者としてAさんの助けとなることはしていない。少し気の聞いた上司や友人ならそんなコメントをすることもあるかもしれない。ただAさんはおそらく私からは予想もしない形で私からの「丁寧な言葉使い」についてのコメントを聞いた。これは一種の直面化としての意味を持っていただろう。ただしそれは「自分は過剰に丁寧語を用いて、治療者に慇懃無礼な口のきき方をしていたのだ」という類のものではない。自分の言葉使いがそのような反応を及ぼすことがあるのだ、という現実なのである。彼の言葉使いが客観的に馬鹿丁寧なのか、慇懃無礼なのか、という問題とはまったく無関係ではないにしても、基本的には異なる問題だ。ただそのような反応を一人の人間(すなわち私)に生んだ、というただそれだけのことなのである。彼が将来他の人から同じような反応を受けるかはわからない。また私のほうも彼の丁寧な話し方に、何か私自身の問題でそのような反応をしていたのかもしれない。でも私の中のいらだちもまた私にとっての「現実」なのである。(そう、この場合は現実に治療者の反応、も含んで考えている。ヤヤこしい。)私は私の反応が正しいかどうかという判断とは別に、それを口にしてみた。そこからAさんとのこの件に関するやり取りがすこしだけあった。私は少なくとも彼の丁寧な言葉は、私の側の過剰な?丁寧さから来ている可能性を知り、またその後に彼の話し方に対する印象が変わった。そしてそれを彼に伝えた。私のほうの変化はどこから来たのか?わからない。彼のほうが実際に話し方を変えたのか?私のほうで、彼に話し方についてのコメントをしたことで一種の後ろめたさが残ったからか?それとも私の話し方の影響だったのだ、という説明に納得したのか? もちろんこれらの仮説は浮かぶが、本当のところは・・・・・・わからないのである。おそらくそれでいいし、そのまま先に進むしかない。ただ彼の中に私とのこの短いインターラクションが起こり、それにより彼自身の見え方がほんの少し変われば、それでいいのだろう。
ここで少し牽強付会的なことをいうならば、この種の現実を安全に提供できる状況に、おそらく治療者はあるだろう。それは治療関係性のなせる技である。Aさんの体験した現実は、実は自分の話し方についての反応、ということにはとどまらなかった。私がそれについて少し不満を口にし、しばらく後にそのことを撤回したこと。そういう人間と、関わったこと。それらはことごとく現実であり、それが一応は安全に体験されたということ。それはまったくどうでもいい体験としてAさんにほとんど何も残らなかったかもしれないし、結構インパクトを持っていたかもしれない。それを治療者はあまり決めることは出来ない。あえていえばAさんが私をどれだけ重要な人間と勘違いしていたか(転移を向けていたか)により決まってくるのであり、それを治療者側は基本的に操作できないのだ。ただそれを一定の枠組みの中で提供するということ。しかしそのくらいのことしか治療者は出来ないともいえるのである。(これで一応終わり。まったく改訂になっていない。新たにまとまりのない文章を付け加えるだけになってしまった。)