2011年4月4日月曜日

治療論 25 治療者のモチベーションが「感謝されること」でないとしたら

よくテレビで「天才外科医●●医師」についてのドキュメンタリーを放映している。私はこれが結構好きである。ただし私の「公式チャンネル」はNHKなので、間違って別のチャンネルのボタンを押してしまってたまたま目に映った場合の話である。
私の印象に特に残っているのは、脳外科医の福島孝徳先生についての番組だ。彼のことをここで実名で書くのには何の問題もないであろう。何しろ福島孝徳記念病院のHPには、「病に苦しむ患者様のために、最高の医療環境を提供する―「塩田病院附属記念病院」は、「神の手」と称賛される世界最高の脳神経外科医・福島孝徳ドクターのアイデアを反映した国内で類例のない病院です。」とあるのだ。
彼の番組を見ていてわかりやすかったのは、彼が「患者さんに感謝され、喜ぶ顔を見ることが力になっている」ということを述べていたことだ。それはそうだろう。彼があれほど殺人的な診療日程をこなすのは、刻一刻彼を待っていて、彼の偉大なメスの力により恩恵をこうむる人々からの感謝があるからこそである。そして彼のことを「感謝を望むなんて、なんて自己愛的な人だろう」などとはぜんぜん思わない。むしろ非常に納得できるのである。
ところでこのことを精神療法に携わる治療者に置き換えたらどうだろうか?たとえば精神分析家が「私は患者さんがよくなり、感謝されることが治療の原動力になっています」と言ったら、おそらく分析仲間の間ではNGであろう。彼は「自分の逆転移をまず自覚しなさい」とでも言われるのがオチだろうからだ。ところが患者さんから感謝されたいという願望を自覚し、それを乗り超えた、より完成された分析家が、福島先生と比べて倫理的に高いレベルにあるといえるだろうか?全然そんなことはないのだ。
このことはある重要な点を指し示している。少なくとも「患者さんがよくなり、感謝されること」を目指していない分析家は、「何か別のもの」を目指してるということになる。それは人によりさまざまであろうと思う。そしてその中にたとえば「精神分析的な治療を正しく行うこと」による自己満足が含まれるとしたらどうだろう?私はこれも悪くはないと思うが、そのことも十分分析の対象にすべき逆転移として扱うべきであろうと思う。