2011年4月30日土曜日

なぜ治療方針のためには診断が必要なのか?

昨日書いた内容で、一番肝心な点は、診断は治療のために必要である、ということであった。もちろん診断は治療のため以外になされることもある。そもそも精神の異常にはどのようなものがあるかについて純粋に研究し、分類する立場があってもよいし、かつての精神医学は治療に関しては非常に悲観的であったから、診断とは一種の博物学的な興味とも繋がっていた。
しかし現在の精神医学では、特に薬物療法の発展とともに、多くの精神障害が治療により改善される可能性がでてきているのである。
ここで余談であるが、現代の診断が治療とより結びつく一方では、かえって結びつきを弱めているものがある。それが病因である。といっても昔は病因が明らかだった精神障害が、不明になってきた、といっているわけではもちろんない。以前は安易に原因を追求し、またそれを突き止めたことになっていたような精神障害について、実はそれが極めて多くのファクターが原因となっており、安易に一義的な原因を突き止めることは出来ないという理解が深まりつつあるのである。
何しろ統合失調症 schizophrenia の原因として、「統合失調症を生む母親 schizophrenogenic mother」 という概念がまかり通っていたのは、まだ半世紀しか前の話ではない。DSM-IIIやDSM-IVはその原因を問わないという姿勢において首尾一貫し、それだけに批判も集めていたが、原因を問わない、という診断基準がそれでもこれだけ使用に耐えていることは、上述の病因と診断との乖離を反映しているのである。
診断が治療と深く結びついているというのは、例えば薬物療法を考えた場合には歴然としている。抑うつ症状を示す患者に抗うつ剤を投与する場合、その患者が単極生のうつ病の診断を持つか、双極性障害を持つかは、薬物を用いる際の心構えや用心すべき点を考える上で非常に重要である。いうまでもなく抗うつ剤の副作用としての躁転をここでは意味しているのだ。米国では双極性障害の人には抗うつ剤は禁忌である、とさえ言う精神科もいるほどである。

30分面接の時間配分


ここで本来のテーマに戻り、30分の診断面接の構造について考えてみたい。
まずは最初の15分である。この時間は、患者の原病歴のあらましを描き出すことに全力が注がれる。
最初の3~5分。この時間はまずラポールの形成に用いられなくてはならない。有効な情報の聴取は、よりよいラポールの形成の上になされる。出会いの最初はまず患者を笑顔で迎え入れ、座るべき場所を示し、来談したことへの敬意を表する。この面接が30分であり、いろいろ質問に答えていただくことになることを伝え、了解していただく。ここで丁寧に「おっしゃりたくないことならお答えにならなくてもいい」と付け加えてもいいだろう。
この最初の段階で基本的データの収集を行うという方針もありうる。患者の年齢、居住環境、職業の有無、婚姻歴などは、いずれは聴取しなくてはならない重要な情報である以上、最初にチェック項目のようにして聞いてしまうのも悪くはない。ただしそれもラポール形成の上である。患者の側が「いきなり個人的なことを根掘り葉掘り聞かれてはたまらない」と感じてしまうようでは、面接はよい滑り出しを得たとは決していえないのだ。
最初の5分の残りの部分は、米国の面接法の講義などでは、できるだけオープンクエスチョンを与えて患者の話し方の様子を伺うべし、とある。これは正しい示唆であるといえる。30分面接は、これから終わりになるに従って、ますます構造化されていく。とすれば最初は柔らかく始め、患者が自由な表現の機会をどのように用いるかを知ることには意義が多い。ただしそれでもそのオープンクエスチョンとして選ぶのは、それだけの価値のあるものをお勧めする。それは端的に「今一番来談の理由とすべき事柄は何か?」「一番困っていることは何か?」といった、主訴に繋がる質問である。

2011年4月29日金曜日

勉強嫌いの精神科医

私は渡米した際には、基本的には日本の平均的な精神科医のあり方に近かったか、やや新しいものに関する勉強を怠るというタイプの医師であったと思う。すなわち「臨床はそれなりにやるが、精神医学の勉強はその本質にかかわらないから、あまり必要としない」と考えていた。これは60~70年代に学園紛争の波に呑まれた一部の精神科医の間に広がっていた空気であり、私も卒後はそれに暴露されて不勉強の口実に使った。そしてそれはまた博士号をとるこ矢研究論文を書くこと、学会発表をすることへの否定的な考えにもつながっていた。
この種の空気に染まると医師は驚くほど不勉強なままに臨床経験だけを重ねていき、しかもそのことに気がつかない。私も渡米した当時は、医師として4年も経ったのだから、大抵のことは知っているであろうと思っていた。そこで当時のECFMGという試験の対策用の問題集を買い求めた。ECFMG(今は別名に変わっている) はアメリカ人の医学生が受ける国家試験と同レベルものを、私のように外国の医学部を卒業した医師が受けるように作成したものである。世界全土で実施し、日本でも東京が会場となり、年に二回実施されていた。アメリカで医師免許を獲得するためにはまずはこのECFMGに合格しなくてはならないので私もその受験勉強をしたのだが、内科、小児科、外科、などなど各科がある中で、他の科はまだしも、精神科の問題集だけは楽勝だと思っていた。しかしこれがさっぱり出来ない。それは端的に、精神科医になってからあまり教科書的な勉強をしないということを意味していたのだが、そのこと自体の自覚が私にはなかった。
ちなみに私はこのECFMGにも日本に滞在していたころから実は数限りなく受けては落ち続けて、パリ留学中もパリ会場で受験しては落ち、渡米して一年目にようやく合格したのだが、まあ私が試験に落ちる話はもういいだろう。
アメリカで晴れて医師免許を取得して、メニンガー・クリニックで精神科のレジデントとして働き始めたのだが、何しろ学科の授業が週に二日はある。そして4年間のレジデント教育のうち、第2,第4学年には、PRITEという模擬試験が行われる。これは実は専門医試験と同じフォーマット(すなわち実技と学科)であり、そのためにたくさん勉強を強いられるのである。そして卒業してから2年して受け始める専門医試験、これが曲者であることはすでに述べた。
それに比べて日本の精神医学教育は、少なくとも国のレベルで定めているものとしてはゼロに近い。卒業して精神科医になったら、所属先の医局でクルズス(少人数の講義)という名の教育は受けるが、それで勉強は終わり、というところがある。それに試験という形でチェックされない知識というのは、多寡が知れている。(ちなみに現在の精神科の専門医制度は、この部分を変えようとしているのであり、ある程度の成果は出ているかもしれない。)
ここまでで長文になりつつあるが、私が言いたいのは、そのアメリカの精神医学教育の中の主要なものとして、精神科の症候学と診断学が当然含まれるということだ。いや、それが大部分といっていい。日本の医師のように「診断なんて・・・・DSMなんて」と言っていられない。そしてその為の標準化されているテキストがある。それがDSMというわけである。
さて30歳代のはじめに米国に渡った私は、かの地で精神科の臨床をや利、それで生計を立てるためにこのレジデントトレーングを経たわけであるが、30歳を過ぎても勉強と試験を繰り返すことについては、基本的に大嫌いだった。診断基準などを覚えこむことも苦手であるし、先述のとおり治療の本質にはかかわらないこと、という思いがあった。「診断で患者さんを治せるか!」などと嘯いていたものである。しかし嫌々ながら専門医試験を受け続け、得たものは非常に多かった。精神の問題は奥が深く、実に様々な様相を呈す。それはある程度までは分類できるが、それ以上は個人間のバリエーションが大きく、またいくつかの問題が重ね着状態になってその人の問題を形作っている。患者を前にして自分が何を扱っているのかを知ることでしか、それをどのように治療すべきかということは決まってこない。というよりはどのような治療をするべきかを決めるために必要な手段として、診断があるのである。私たちが疑問点を明らかにし、好奇心を満たすというだけのために診断が存在するのではないということ点は非常に重要である。
これは不思議な現象なのだが、ある患者さんがかなり置いて訪れ、その臨床像を忘れそうになっている時に自分の過去のカルテを読み返す場合、一番さがすのは、「診断」の部分なのだ。過去に自分がその患者さんと会い、アセスメントを行い、何を結論づけたかのエッセンスは、一語の診断に込められていると言っていい。昨日のブログで「診断とは医師の間のコミュニケーションの手段だ」といったが、まさに過去の自分とのコミュニケーションを行うようなものなのである。

なぜ治療方針のためには診断が必要なのか?

2011年4月28日木曜日

初回面接とは診断面接である

初回面接で何をやるのか、という問いに対する答えがこれである。診断を決めること。いや実を言うと、これは正確ではない。治療方針を定めること。そしてそのために診断を確定することが最優先課題となるのだ。治療をするためには診断を下さなくてはならない、という言い方に抵抗を持つ人もいるであろう。私も昔はそうであった。「精神科の診断なんていい加減だから」、とか「いろいろな人が異なる診断基準を使うのだからあてにならない」、という意見も出そうである。診断は単なるレッテル貼りである、という考えも成り立つ。しかし診断はレッテルであったとしても、どのようなレッテルを貼るかは非常に重要なのだ。私がよく用いる表現であるが、「診断というレッテルは、貼った後はがすためにある」のである。すなわち診断とは、患者の示す多様な様相にひとつの切り口を与えてみせたに過ぎないことを自覚して行うものであり、別の視点や切り口からは別のものになりうることを理解しつつ用いることである。
診断はコミュニケーションである
よく診断は意味がない、とかDSMは操作的である、という日本の臨床家の話を聞く。彼らの気持ちが全くわからないわけではないが、アメリカでDSMを使い続けて十数年の経験を持った私としては、そのポジティブな意味も強調するべきだと考える。それは診断とはある種のコミュニケーションの手段であるということだ。誰から誰へのか?臨床家から臨床家へ、である。たとえばDSMの定義するうつ病がある。日本で何かと批判の的になっているこの診断基準をここであえて例に出そう。ある患者についてA医師がうつ病と診断をしたということをB医師が知るということで、その患者に対するA医師の評価の結果が伝わる。「そうか、Aはそのように考えたのか」というふうに。それが診断の目的なのである。その際重要なのは、二人が同じ診断基準であるDSMを用いているということだ。そしてその同じDSMの基準は、出来るだけ細かく作っておくほうが言い。そのほうがA医師の意味するうつ病と、B医師が意味するうつ病が一致するからだ。
するとたとえば「DSMではうつ病として取る範囲が広すぎる」、という批判は本質的ではない、ということになる。A医師もB医師も、その範囲の広いDSMのうつ病という基準を同時に用いているのであるから、同じものを見ているということには変わりないからである。DSMのうつ病に関しては、アメリカでの精神科医のコンセンサスから成り立っている。それを広すぎると主張する日本の精神科医のほうが「正しい」という保証はない。うつ病としてアメリカの精神科医とは別のものをイメージする、ということだけかもしれないのである。(続く)

2011年4月27日水曜日

精神科30分面接

新たな原稿を書く必要性が生じた。今度は精神科医が行うインテーク面接についてのものである。精神科医が初診で患者と会って最初の30分以内で診断的な見立てを行い、それを患者にフィードバックし、治療方針を決める、というところまで持っていくにはどうしたらいいのだろうか?これは精神科医が実は毎日のように行っていることでありながら、方法論が定められていず、教科書もないという驚くべき事情がある。
例えばゴルフを学ぶなら、最初にクラブをどのように握るか、というところから入るだろう。ところが精神科の面接の教科書には、いきなりコースに出たところから論じ始めるか、あるいはそのような教科書すらも全然存在しないかもしれないのである。それぞれの教育機関で作られているものはあるかもしれないが・・・・。そこで精神医学の先進国(ある意味では、であるが)米国ではどうかと言えば、これがあまりないのだ。その代わり・・・・それを試験官の前で行わせて合否を決めるというコワーい試験がある。アメリカで精神科のレジデントを終えて2年ほどすると、精神科の専門医 board certified psychiatrist になるための実技試験を受け始める。この試験に合格するために、アメリカの精神科医の多くがこの30分面接に頭を悩ませるのだ。合格率は6割程度だが、この実技試験は、私のような外国人の医師にはかなりきつい。ヒアリングの悪さが露呈してしまうのだ。
私はこの試験のことを実によく知っている。というのもこの試験に○回も落ちたのだ。一年に一度チャンスがあるこの試験のための練習をし、受け、惜しいところで落ちというところを何年も続けたために、かなりの方法論を身につけることが出来た。私に最後まで欠けていたのは、英語の聞き取りの力により患者(実際の患者が日当を支払われた上で用いられる)が語る内容のわずかなニュアンスをつかむ能力だったのだ。
思い出すだけで辛い思いであった。カリフォルニア州ロサンゼルス、フロリダ州タンパ、カリフォルニア州サンディエゴ、コロラド州デンバー、オハイオ州シンシナチ、ワシントン州シアトル・・・・しまった。これだけあげると、何度落ちたかバレてしまうではないか。)
実はこの試験、筆記試験と実技試験がある。筆記試験を受かったものが3回の実技を受けることが出来る。これを3度落ちると再び筆記試験。それに受かるとまた3回の実技試験が受けられる。自らの名誉のために言えば、私は筆記に関しては一度も落ちなかった。いつも高得点でパスである。そして実技であえなく撃沈を繰り返した。筆記も実技もアメリカのあらゆるメジャーな都市で行われるのであるが、もちろん飛行機代もホテルの滞在費も、受験料も持ち出しである。観光の名所に行き、筆記試験のプレッシャーにおびえながら、また落ちるのかと暗い予想が頭をよぎり・・・・。街を歩く観光客たちをしり目にホテルに籠ってシャドウボクシングならぬ「シャドウインタビュー」に明け暮れた。つまり目の前に患者をイメージして、30分面接をしてみるのである。
最後に私を救ってくれたのは、ICボイスレコーダーだった。自分の30分インタビューを何度も録音しては聞き直し、自分の発音の癖、聞き取りの苦手な部分を修正するということで始めて私がこの試験にパスした時は、実は2004年の帰国が近い将来に迫っていたのである。
ということで暗い思い出話はそのくらいにして・・・・
30分面接と言っても漫然と患者と雑談するわけではない。おそらく一分一分が何らかの意味を持ち、ストーリーを追う形で過ぎていく。そこではあらゆることが起きうる。患者が突然泣き出すかもしれない。インタビュアーの態度に腹を立てるかもしれない。それらに動じることなく、あらゆることを想定内に収めつつインタビューを進めていくのだ。これは一つのドラマといっていい(続く)

2011年4月26日火曜日

今日はNHKに、あるラジオ番組の収録に行った。北山修先生のお誘いで2年前に収録したものと同じシリーズである。普段と全然知らない世界を垣間見るのは面白い。相手をしていただいたのは、黒崎めぐみアナ。2年前に同じように収録してからは、顔を見知ったことでNHKの番組でしばしば気がつくようになった。TVとラジオはまったく違う。ラジオで話すことは、例えば本を書くことに似ている。本もラジオも、メッセージを伝える側はどちらかと言えば受身的だ。本を買ってもらったり、ラジオのスイッチを入れてもらったりすることでメッセージが伝わる。テレビに露出することはなんとなく侵入的で、相手の世界に乱入するというニュアンスがある。それだけテレビは視覚的で感覚的なインパクトが強いメディアと言えるのだろう。

2011年4月25日月曜日

このところ被災地の方々に何ができるか、と考え中である。これは明らかに私自身の問題でもある。何もしていないという後ろめたさだからだ。純粋に人助けをしたいというのとは違う。母校の精神科同窓のMLで、定期的に精神科医としてボランティアとして働ける人を茨城県、福島県その他で募っていた。月曜の午後の研究日をしばらく提供できないかと考え、距離的には茨城が限界と考えて申し出たが、それは間に合っているから福島を支援してほしい、とのことだった。さすがに福島まで週一度日帰りは無理なので、それではGW中に福島へ3日間、と応募したが、もうその期間は人手が足りているので、6月以降のウィークデイなら可能とのこと。しかし授業がある身ではそれも無理。結局私は何もできていない。私の側が中途半端なのである。被災地救援は、こちらの仕事を犠牲にするしかない。でも日本の臨床にしっかりとしたバックアップシステムがないのも問題だ。また米国での話になるが、同じ職場の精神科医たちはグループでバックアップをしあう関係を作る傾向にある。なぜなら夏や冬に長期の休みをお互いに取ることは互いに了解済みだからだ。相手が休みを取る数日は、処方だけはするなどの体制を作ることで、最小限に回していけるようにする。日本だとそれがない。日本人にとっての休みは、他の人も休みの時に一緒に取るタイプだ。「赤信号、みんなで渡れば・・・・」という訳である。そしてその根底には、仕事を休み、休暇を過ごすことへの後ろめたさがある。(私もその典型である。)

2011年4月23日土曜日

治療論 その6 (改訂版) 患者の人生の流れは・・・・・の続き

東京はヘンな天気である。突然降ったかと思えば、晴れ間が見える。今日の空模様のように、3月11日以来、現実の「予想のつかなさ」はより実感を持って迫ってきているような気がする。ある記事によれば、南関東に大地震が起きる確率は、この震災以来高まっているという。北の「北上山地」、南の「房総半島東沖」には余計なひずみがかかっているということだ。3月11日は、都心を襲う震災の前触れだったかもしれない。私は自分の年齢からいって、何が起きても甘んじるしかないと思えるが、若い人にはこの種の将来の不安を抱えて生きていくことは可哀想なように思える。関東に住むことは確かにある種の爆弾を抱えて生きていくことなのかもしれない。

さて「患者の人生の流れは、容易には変えることが出来ない」という認識を持った治療者はどのように患者に接するのだろうか? それは患者への関わりに対する自己愛的な思い入れへの反省を、治療者自身に促すことになる。それは端的にいうならば、従来の精神分析における「解釈」に対する考え方を変えることに繋がるといっていい。
フロイト以来、精神分析における解釈とは、治療者がその分析家としての叡智を結集する形で患者に対して行う治療的なかかわりの中でも決定的なもの、最も本質的なものとみなされてきた。古典的な分析理論においては、治療者は解釈以外のことは行わないという了解が不文律としてあった。精神分析的治療が米国に導入されて以来、早くから精神療法における「探索的(表出的)関わり」と「支持的な関わり」との区分が唱えられてきたが、そこでの決め手は、この解釈をめぐるものだった。前者は精神分析を筆頭にした解釈を中心としたかかわりであり、後者は解釈以外の支持的なかかわりや種々の「パラメーター」を混入させたものであった。そして探索的療法の、支持的療法に対する優位性については暗黙の了解があった。それはそもそもフロイトが唱えた「解釈か、(非解釈的な)示唆 suggestion か」、というテーマと、前者の後者に対する優位性に端を発していたといっていい。フロイトは何しろ前者を金、後者を混じり物の入った合金というたとえを用いて紹介しているからだ。前者がより本質的で価値のあるものであるという含みは明らかである。
フロイトの確立した精神分析の最も魅力的な部分は、患者の無意識を治療者が知ることが出来、そしてそれを伝えることで患者の精神の構造が本質的に変わる、という考えである。それが心の治療に関心を持つ多くの人を惹きつけ、トレーニングへと誘い、理論の勉強へと駆り立てる。私自身もそうして精神分析に魅せられ、それを学んできたが、実際の臨床における患者のあり方は、フロイトが想定したものと若干の(あるいはかなりの)齟齬を見せる。患者は治療者の解釈以外のところで反応し、言葉によるかかわりとは少し別の部分(「しばしば関係性」と漠然と呼んでいるもの)から影響を受ける。その中で治療者が実は何をしたいと望んでいるのかを知っておくことが、(患者の人生を変えたいという欲望も含めて)より重要視されるようになってきている。治療者が自分のできることは、高々現実を提供することに過ぎない、という謙虚な姿勢であることは実は非常に重要な点なのである。(ここでの「現実」とは何か、を言い出すとヤヤこしくなるので、ここでは省略。)

2011年4月21日木曜日

治療論 その6 (改訂版) 患者の人生の流れは、容易には変えることが出来ない

臨床を行っていてしばしば感じることは、「患者の人生の流れを変えることは容易にはできない」ということだ。ただしそう言うと、「では治療者は何も患者に影響を与えられないのか?」と言われそうだ。そこでより正確を期して、次のように言いなおさなくてはならない。「患者が治療者から時々影響を受けることも含めて、その人生の流れを変えることは容易にはできない」。
治療者は時々患者に影響を与えることはある。それには異論はない。しかしその影響は極めて予想不可能であり、また偶発的なものである。治療者が患者に変化を及ぼすことを意図した関わりが、そのとおりの結果を招くことは残念ながら非常に少ない。だから結局は患者の人生の流れを変えることを意図した関わりはなかなか満足の良く結果を招くことが出来ないのである。
ちなみにこのような考え方は、治療的な不可知論であり、いわゆる「弁証法的構築主義 (I. Hoffman,  M. Gill) の考え方とその本質は同じである。
ただしこの私の提言には例外がある。それは治療者が患者に与えるネガティブな、ないしは外傷的な関わりの影響についてである。それらの関わりが一定の程度を超えた場合、その悪影響はかなりの程度に予測可能となる。私たちはその種のかかわりのプロトタイプを子育てに見出すことが出来る。子育ては様々な形を取り、そこにはあらゆる偶発的な出来事が生じる。しかしその関わりが外傷性を有する場合、それが高い確率で子どもの心にネガティブな影響を与える結果となるのである。

2011年4月20日水曜日

イラストレーターの実力その3.

極めつけはこの図である。これは解離の世界を描いたもので、現在ハンドルを握っている人格が主たる人格、後ろの方に他のいくつかの人格の存在を示している。まずは私の描いた図の稚拙さを十分味わって欲しい。(これでも学術誌の論文に載せた図である。)
                   
                      ↓↓↓↓

        ジャーン(大久保氏筆)


                          

2011年4月19日火曜日

イラストレーターの実力その2.

素人の絵の特徴は、線の一本一本に表情が表されていないことだろうか?(岡野の原画)


↓↓↓↓

プロの手にかかるとこうだ(大久保氏筆)
     

         

2011年4月18日月曜日

プロに直してもらうと・・・

本の挿絵に使う絵をプロのイラストレーター(大久保直樹氏)に描いてもらった。私のヘタッピな原画がこれほどまでになると、気持ちがいい。
私の描いた原画
                              ↓↓↓

大久保氏筆

2011年4月16日土曜日

治療論 その5 (改訂版) 「自分が患者の立場なら何を望むか」から出発する

しかし福島原発の例を見ていると、失敗学の究極の例という気がする。核兵器の廃絶がおよそ不可能であるのと同様に、原発の廃絶もまったく現実味がない。とすると福島の例は「こんな事故が起きる可能性があるぞ」という失敗例であり、将来に生かすべき重要な教訓を与えている。本来は世界が他山の石としなければいけない事件なのだ。それにしてももし情報公開をあまりしない国(特に例は出さないが)で同様の事件が起きたらどうなっていたのだろうとも思う。


1990年、まだアメリカでの留学を始めて間もないころ、和田秀樹先生とは、留学先で一緒にたくさん時間をすごしたものである。あるとき先生がこんなことをおっしゃった。「自分は治療をするならクライン派的にやると思うけれど、受けるならコフート派的な治療がいい。」
この言葉をよく覚えているのは、ある意味ではこれが精神分析や精神療法を学ぶもののひとつの素直な考えだと思ったからである。
和田先生はそのころアメリカでコフート理論を学び始め、その魅力に取り込まれ始めていた。しかし彼はそれまでは日本でクライン派の先生からスーパービジョンを受けていたという事情があり、クライン派的な考え方に慣れ親しんできた。私がメニンガーで出会った頃は、彼の中でちょうどクライン派からコフート派へと視点が移行し始めていたころだったのだろう。彼はそれから帰国して、わが国のコフートの代表的な研究者の一人として活躍していらっしゃるが、彼の上のような率直な言葉がヒントの一つになって、この「治療論その5」が生まれたのだ。
サービスを提供するあらゆる職業的な関係について、「自分がサービスを受ける立場だったらこうして欲しい」というようなサービスをするのは基本中の基本である。そして心理療法についてもそれがいえるはずなのだが、実はこのロジックを心理の世界に当てはめようとすると、急に複雑な話になってしまうのだ。
まずは私にとっての正論。治療者が目の前の患者に同一化し、自分だったらそう扱って欲しいような仕方でその患者を扱うことは、その治療指針の最たるものだと思う。迷ったらそれを考えたらいい。
ただし必ずしも自分がして欲しい扱いとまったく同じ扱いを相手にする必要はない。「自分には人からこう扱って欲しいという傾向があり、それは多少人とは違う」という自覚があればなおさらだ。ただそこを考えの出発点と考えるということだ。
さてこのようにただし書きをつけて用心をしても、すぐさま反論の矢が飛んでくるものだ。運が悪いと、あっさりと「フロイトの唱えた禁欲原則に反する」と切り捨てられる可能性もある。でも次のような理屈を唱えられてしまう可能性もある。
「もし自分が治療者だったら支持的に扱ってもらいたいかもしれない。でもそれが自分のためにならないということもわかっていて、ほんとうなら洞察的に、すなわち厳しい直面化や解釈を用いて治療して欲しいと思うはずだ。だからこの主張は間違っている。」
でもこれは少しおかしな論理なのだ。
もしこれが事実だとすると、治療者が目の前の患者さんの気持ちに成り代わったときに思うことは、「それは支持的に接して欲しい。でも実は厳しい直面化や解釈が必要だということもわかっている。」これは言い換えるなら、「本当は支持的なだけでなく、洞察的にも扱って欲しい」となる。それが治療者が自分が患者の立場だったらして欲しいことであり、そこを「出発点」とすればいいことになる。
ここにあげた反論の例は、結局人は治療者に支持的に接して欲しいという気持ちと洞察的に接して欲しいという気持ちの双方を併せ持つものだ、ということを示唆している。そしてそもそも「自分が患者の立場だったらなにをして欲しいと思うか?」という思考は重層的だということにもなる。最初に「こうして欲しいだろうな」という考えが浮かんだすぐ次の瞬間には「でもこうしても欲しいな。」という考えも浮かぶ。コフートは共感とは「身代わりの内省 vicarious introspection である」といったが、結局自分の心が重層的であるからこそ、相手の立場に立ったときの思考も重層的になるのだ。そして結局「自分が患者の立場だったらなにをして欲しいと思うか?」に対する答えは決して単純ではありえないということがわかる。だからこそ先ほどから、まず最初に浮かぶ答えを「出発点」だといっているわけである。
最初に浮かぶ答えが出発点であるべき根拠は十二分にある。もし「自分が患者の立場だったらなにをして欲しいと思うか?」に対して最初に浮かぶのが、「黙って聞いていて欲しい」という気持ちであれば、やはり治療はとにかく「黙って聞いている」事からはじめるべきなのである。そしてようやく患者さんの心にある「次の層」が見えてくることになるだろうからだ。

2011年4月15日金曜日

「続・解離性障害」の断片

現在書きためている著書からの抜粋である。

第◯章 解離の歴史(2) ヒステリーの概念からいかに解離が生まれたか 


本章では解離ないしはヒステリーの概念の歴史に注目したい。ヒステリーは臨床的には解離性障害と同一である。しかし解離性障害が精神医学の中で正式な位置を占めているのに比べ、ヒステリーは依然として不条理で不当な扱いを逃れないままでいる。それはこの概念が背負っている歴史的な経緯のためであり、その為に最近の精神医学ではヒステリーという用語は用いない傾向にある。そしてヒステリーへの偏見は、実は解離性障害に対する無理解をも生んでいる可能性が否定できないのだ。
ヒステリーは人類の歴史と同時に存在していた可能性がある。その古さはおそらくメランコリーなどと肩を並べるといってもいい。ヒステリーに関する記載はすでに古代エジプトの時代すなわち紀元前2000年ごろには存在していたとされるのだ。
最近出版された「The Technology of Orgasm: "Hysteria", the Vibrator, and Women's Sexual Satisfaction.(オーガスムのテクノロジー:ヒステリー、バイブレーター、女性の性的満足」という本は、ヒステリーが人類の歴史上いかに多くの誤解を受けていたかという問題を斬新な視点から浮き彫りにしている好著であるが、それに沿って論じてみたい。Maines, Rachel P. (1998). The Technology of Orgasm: "Hysteria", the Vibrator, and Women's Sexual Satisfaction. Baltimore: The Johns Hopkins University Press
紀元前5世紀には古代ギリシャの医聖ヒポクラテスがヒステリーを子宮の病として記載している。そもそもギリシャ語の「ヒステラ」(Gk. Hystera)「子宮」を意味することは広く知られている。かの哲学者プラトンもまた、ヒステリーについて次のように記載している。「子宮は体の中をさまようことで、行く先々で問題を起こす。特に子宮が丸まって胸や器官に詰まってしまった場合は、それが喘ぎや息苦しさを引き起こす。」「この病は子宮の血液や汚物の鬱滞のせいであり、それは男性の精巣から精子を洗い出すのと同じようにして洗い流さなくてはならない。」(Technology of Orgasm P,24)
同じく古代ギリシャの医学者のガレノスは、紀元一世紀になりヒステリーについての理論を集大成した。それによるとヒステリーは特に処女、尼、寡婦に顕著に見受けられ、結婚している女性に時折見受けられることから、情熱的な女性が性的に充足されない場合に引き起こされるものであるとされた。ヒステリーのこのような扱われ方は、主としてヒステリーの持つドラマティックな身体症状が人々の注目を集めていたからであると考えられる。「子宮が体中を動き回る」ことによって引き起こされていたのは、主として身体面の様々な症状だったのである。
ガレノスは非常に具体的な治療法について書いている。それによるとヒステリーは特に処女、尼、寡婦に顕著に見受けられることから、女性の性的欲求不満により生じると考えられ、治療法としては、既婚女性は性交渉を多く持つこと、そして独身女性は結婚すること、それ以外は性器への「マッサージ」を施すこと(これは今で言う性感マッサージということになるのだろう)と記載されている。驚くことにこの治療法がそれから二十世紀近くまで、すなわちシャルコーの出現まではヒステリーの治療のスタンダードとされるのだ。(Understanding somatization in the practice of clinical neuropsychology. Oxford University Press, 2007, P3)
ガレノスの説がこれほど長く続いたということは、それがヒステリーの本質に迫った説明の仕方であったことを示唆しているであろう。その一つの特徴は、それが事実上子宮を有する女性にのみ限定される病気であるという考えを正当化していたことになる。そしてそれは従来社会でまた女性が直面していたタブーとも関係していた可能性があるのだ。一般的に文明が未発達であからさまなタブーが存在する社会において、解離性の症状が生まれやすいと考えられる。文明の恩恵をまだ十分に受けていない文化において、さまざまな形での文化結合症候群が見出されてきたことは周知の通りである。そして女性の性愛性は、おそらく長年社会における最も大きなタブーのひとつであった可能性がある。ヒステリーを女性の性愛生の抑圧と結びつける傾向もそれらの事実と関連があるものと思われる。
このヒステリーに関する理論の中で特に興味深いのが、男性との性交がその症状を軽減する、という考え方である。17世紀の医学者による同様の記載も紹介しよう。「妻たちは処女や寡婦たちより健康状態がいい。なぜなら彼女たちは男性の種と自らの分泌物によりリフレッシュされる。それにより病気の原因が取り去られるのだ。それはヒポクラテスの言葉のとおりである。」(Nicolaas Fonteyn, 1652 Technology of Orgasum p29)
今の時代からはとても考えられないことではあるが、当時はそれがまことしやかに考えられていたのだ。そして私はそこには男性の側のファンタジーが明白な形で介在している可能性があると考える。つまり「女性は常に男性との性的なかかわりを望んでいる」という男性の側の願望ないしは論理が、結果的にヒステリーに関するこのような間違った観念を存続させていたとも考えられるのではないか?

2011年4月14日木曜日

菅さん、あなたっていう人は・・・・

皆さんもお聞きになっただろうか、菅総理の話。13日、首相官邸で松本健一内閣官房参与と意見交換し、松本氏は会談後、福島第一原子力発電所周辺の避難対象区域について、首相が「当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか。」といったと記者団に言ったが、それが物議をかもしたと聞いて、菅氏は松本氏に「俺は言っていない」と電話をしたというのだ。もちろん真相はわからないが、菅氏の、(というよりは政治家の、というべきか)すごくいやなところを見せられた気がする。そのことについて記者に聞かれた菅氏が「僕は言っていませんから」的な答え方をしたシーンを見たが、それを言った直後の顔の背け方から、まさに「シラを切っている」という印象を私は持った。真相は彼が松本氏に「俺は言っていないからね」ということで、「お前さんが泥をかぶりなさい」といっているのだろう。もしそうだとしたら言葉に表現できないほどの苛立ちを感じる。私が松本氏だったら、最低限の自己弁護をするだろう。たとえば「その発言は、私が勝手に想像をしていったこと、ということでご理解ください。」とか。これだと菅氏も松本氏を責められないのではないか?
それにしてもこれって・・・品性の問題だよね。

2011年4月13日水曜日

外傷体験と言葉

外傷体験と言葉というテーマですが、そもそも深刻な外傷は言葉に出来ないという特徴があります。ですから外傷についてのサイコセラピーは、ちょっと矛盾した課題ということが出来るかも知れません。本来言葉にしにくいことを言葉で扱う試みだからです。それに安易に言葉に直そうとすることで、心の傷口がさらに開いてしまうことへの懸念もあります。
そもそも記憶というのは陳述的、非陳述的という両方の部分を持っています。もとの英語は declarative memory と non-declarative memory ということで、要するに言葉に出来る部分と出来ない部分という意味です。このうち後者には、例えば体の感覚が覚えているとか、感情が覚えているという言い方が当てはまります。ですから私はこれらをわかりやすく、「言葉の記憶」(=陳述的記憶)と「体の記憶」(=非陳述的記憶)といいかえています。
さて普通の記憶は、この二つがくっついています。だから、例えば昨日の夜にあった余震の記憶について、それを思い出して、「あれは大きくて怖かったね」、などと話す時は、昨日の夜の余震の情景が浮かび、その時何をしていたのかについても覚えていますから、それを言葉で説明することができます。そしてその時の怖かった感情も一緒に思い出されることが大事です。そちらの記憶、つまり体の記憶の部分も、言葉にすることができる記憶にくっているわけです。
ところが外傷記憶というのは、この両方場がバラバラになっています。ですから大震災にあってそれがトラウマになったという場合は、「あの恐ろしい震災については、情景は浮かんでも何も感情がわかない」と事が起きてきます。あるいはそれとは別に、「その時の恐ろしさが、突然何の前触れもなく襲ってくる」という、いわゆるフラッシュバックの状態も起きます。そしてそれが言葉の記憶と体の記憶がばらばらになっているということによるものなのです。
さて治療のひとつの目標は、外傷記憶を普通の記憶に変えていくということになります。つまり言葉の記憶と体の記憶を繋げていく作業ということになります。それは具体的には、その記憶を「思い出し」ていただく、ということになりますが、これは単純には行きません。通常の意味で「思い出す」事が出来ないのが外傷記憶だからです。そこで「その体験をした時のその人に話してもらう」、ということを考えます。しかしこれには例を出して説明する必要があるでしょう。
私の知っているある男性患者Aさんは、幼いころに一時的にではありますが、母親と別れ別れになってしまったことがあります。その時はもう一生会えないのではないかと思い、その体験が非常に恐ろしかったということで、時々夢に見たりします。
ところがAさんは起きている時にもこれを思い出す事があるのですが、その時はすっかりこの年の子供に返ったようになり、シクシク泣いたり、怖い怖いと言って叫んだりするわけです。しかし言葉でその様子を表現することができません。ですからその子どもの時の気持ちに返ってもらい、その体験を十分に言葉にするという治療が必要になってくるわけです。
このようにある外傷体験を負った際には、その人がそれを言葉に出来ないほどの恐ろしい体験を持ったということで、その時の体験が、その人格ごと隔離されてしまうということが起きます。言葉に出来ないということは、その体験がその人のライフヒストリーに組み込まれなかったということでもあるのです。戦闘体験のフラッシュバックなどでも同じことが起きます。それが外傷になった=言葉に出来なかった=後で通常の形では思いだせなくなった=突然何の前触れもなくよみがえる、これはいずれも同じことの異なる表現なのです。言葉の記憶と体の記憶が別れてしまう、とは結局このようなことが多かれ少なかれ人の心に起きているということを意味します。
では治療はやみくもに、患者さんにその時に帰ってもらうのか、ということになりますが、それほど単純ではありません。通常はそれができるようになるためにはある程度の時間を要するという問題があります。トラウマとは要するに心の傷であり、それがある程度癒えてくれない限りは扱えないというところがあります。例えば震災を受けたり、肉親を失ったりした時、子どもはそれをしばらくは口にしようとしないものです。あまりにも苦痛だったり恐怖だったりしたからでしょう。その代わり時期が来れば、子どもは地震ごっこなどの遊びの形にしたり、その時の絵を書いたりするということで、少しずつその時の記憶を再生して、扱う用意が出来てきます。それを「災害を遊びにして不謹慎だ」などと考えてはいけません。逆にそのような用意ができるまでは、外傷記憶は非常に慎重に扱う必要があります。
ただしフラッシュバックが起きるときは、それが無理やり想起されてしまっているわけですから、それを止めるというよりはその時には介入するという形になります。フラッシュバックの際に、その体験をいかに言葉に直してもらうかを試みてもらうかは、それなりに意義がある介入であると言えます。

2011年4月12日火曜日

臨床現場での言語論

さて私は精神分析のトレーニングを積む中で、何か自分が使う言葉が大きく変わってしまった気がするのです。精神分析というのは、治療者側が自分の言葉の一つ一つについて反省し、考え直すという作業でもあります。それは言い換えれば中立的な言葉ということになりますが、それは精神分析や精神療法を行うときだけに限らず、本質的にはそのほかの場面で人と会う際、たとえば精神科医として患者さんと会う場合、教官として生徒と会う場合にも同じような心構えで言葉を使うようにしています。
もちろんいつも中立的な言葉の使い方をするわけではありません。親しい同僚とか家族と話すときなどはそれが自然に崩れますが、そのときは「ああ、自分はこういう風に崩しているんだな」、という漠然とした自覚が常にあります。こんなことは精神分析をやる前には考えたことはなかったのですから、その意味では精神分析的な考え方が私の人生そのものを決定しているということといってもいいでしょう。
ではその中立的な言葉の使い方とはどういうものかといえば、わかりやすく言えば余計な私情を交えない言葉を用いるということです。出来るだけ裏の意味をこめたり皮肉を言ったりせず、中立的な言葉を選択する、といってもいいでしょう。これは精神分析で言えば、逆転移を意識しながら患者を関わるということに相当します。逆転移とは、治療者が自らの感情に流されて、患者の言葉を歪曲してとらえる、というほどの意味です。
人は他人と話すとき、さまざまな個人的な感情や願望の影響を受けています。自分の抱いている興味とか、疑いとか、苛立ちとか、そのほかさまざまな余計な感情を持ち込みつつ人と話しをしています。しかし分析家の仕事が患者さんに自由に話してもらうことにその主眼があるとしたら、それらの余計な感情や願望は、ことごとくその目標に反することになります。それらが入り混じった言葉を話すと、相手はそれに気づいて合わせようとしたり、逆に反発したりして、相手の話が聞けなくなります。
ひとつ例を挙げてみましょう。たとえば患者さんが最近離婚したという話をしたとします。それを聞いた私がたとえば自分だったらどう感じるだろうかと想像して、「それはさぞつらかったでしょうね。」と問いかけたとしたらどうでしょう。ごく当たり前の反応に聞こえるかもしれませんが、ある意味で私の体験をそこに持ち込んでいることになります。なぜなら患者さんは「離婚をしてどんなに清々したか」を話そうとしていたかもしれないからです。私が「さぞつらかったでしょうね」ということで患者さんは「そうか、離婚して清々したなんて話しをしてはいけないんだ。」と思い、私の話に合わせようとするかもしれません。すると患者さんに自由に話してもらうどころか、私が患者さんの話を引き取って誘導尋問に載せてしまうことにつながりかねません。ですからそのような時は、「離婚してどんなお気持ちですか。」という問い方をすることで、さらに患者さんの話にはいっていくことになります。
この種の話の聞き方をしていると、今度は自分が話を聞いて欲しい時の身の処しかたもわかります。それは私がケアを受ける立場にある関係で、あるいはギブアンドテークが成り立っている親しい間柄ということになります。私がバイジーである際は、バイザーがそれに当たりますし、それは配偶者だったりします。その場合は自分が聞いてもらっているのだという意識がありますから、聞いてもらえて助かったという気持ちも多少なりとも芽生えるわけです。
こんなふうに書くと、私は常に模範的な話し方を心がけている、などと誤解を受けるかもしれませんが、そんなことはありません。結構自由にやっています。私情を交えない話し方は厳密に言えば不可能なことであり、人はお互いに自分の気持ちを表して、あるときは相手に聞いてもらい、別のときは逆に相手の話を聞く、というやり取りをするものです。それに相手の生の感情を知ることが話をよりいっそう興味深く、エキサイティングなものにする可能性が大きいわけですから、そのためにも自分の感情をそこに含めた、中立的でない話をして自分も楽しむということはいくらでもあります。でもそれはどちらかといえばわかってやっている問うところが多く、出来れば自分の話しをするよりは、人の話を聞くと言う姿勢のほうを好みます。もちろん私が言いたいことはたくさんありますが、それはブログなどの形で、聞きたい(読みたい)人だけがアクセスする、という場に限ることにしています。
私がこの中立的な言葉を好むのは、実は私は若いころは人との付き合い方に非常に苦労するところがありました。相手のためにアドバイスをしているのに、なぜ相手に敬遠されるのだろう、とか、人の話を一生懸命聞いていたつもりなのに、相手は満足しないのはなぜだろう、とか悩んだわけです。でもそれは私がさまざまな邪念を持って相手の話を聞いたり相手に話したりしていたということがわかり、大変助かったことを覚えています。
中立的な言葉を話すことを習得する上で、精神分析のトレーニングと同様に大切だったのが、英語での生活だったと思います。英語は母国語ではないために、少しの言い間違いが相手を傷つける、誤解を与えるということが非常に多く起きてしまうのです。それを通して、いかに注意をしながら話すべきかを学びました。また英語には、出来るだけニュートラルに自分の気持ちを相手に伝える言語というところがあります。日本で誰かと議論をしていて、「なぜ?」と聞くと、相手は問い詰められたと感じ、機嫌を損ねるということがあります。しかし英語では“Why”という問いには、冷静に根拠を伝えるという掟のようなものがあります。これは感情をいったん脇に置いて話す、という練習になりました。

2011年4月11日月曜日

「精神分析と言葉」

急遽このテーマでまとめなくてはいけなくなった。細かい事情はここでは述べないとして、例によってこのブログの場を借りることにする。


私は精神分析家、ということになっている。(この持って回った言い方は今後も続けていくことになるだろう。)そして精神分析とはある特殊な形で言葉を扱うプロセスという印象を一般に持たれていることもわかっている。分析家は患者さんの言葉の流れを聴き、それを分析してそこに隠されたものを解き明かしていく、というニュアンスがあるだろう。そして分析家とはそのエキスパートということになるのだろう。
確かにフロイトの時代はそうだったが、現在の精神分析はそれとはずいぶん異なってきている。患者さんの言葉から無意識を解き明かしていくような一定のメソッドなど存在しない。夢は無意識への王道だということをフロイトは言ったが、夢の内容を解釈する方法さえも、多くの分析家が合意したり了解したりしているものはない。ある夢を聞かされた10人の分析家が10通りの異なる解釈をするということだってあるのだ。
むしろ現代の精神分析家たちが考えていることは、精神分析とは患者との共同作業であり、そこである種の環境ないしは世界を二人で構築することであり、その際言葉は欠くことのできない手段であるという理解が一般的であろう。つまり言葉は関係性を媒介する重要な手段であって、それ以上でも以下でもない、ということになり、私もそれに同意している。
それはどういうことか。
私は精神分析的なコミュニケーションは、治療者と患者がある意味で最も親密になるプロセスであると思う。それは両者が一定の距離を保つことで可能となる。そこにおいては、患者が出来るだけ自由に自己表現を出来るような空間が形成される必要であると思う。(そして治療者のほうもある程度は。)もちろん患者はすべてを表現できるわけではない。思いのたけをキャンバスにぶつけて絵を描くといっても、キャンバスを破ったりそこからはみ出していいというわけではない。治療空間もちょうどキャンバスと同じような枠組みを必要とする。(距離、とはそれを保障するのだ。)そしてそこで自由な自己表現を実現するのである。治療者はそれをありとあらゆる形で手助けするというわけだ。
治療空間においては患者はそこでこれまで言葉にしなかったこと、出来なかったことを表現することになるだろう。そこで逡巡し、躊躇し、言った後に驚き、訂正したりする。分析家はそれを聞いて不明な点を助けたり補ったり、質問をしたりしながら、患者さんの話(ナラティブ)を構成していく。だから治療者は言葉に敏感であり、堪能であるべきであろう。しかしそればかりではない。治療者のほうに、自分の考えを押し付けたり、患者の意図を歪曲したりしないだけの自制心や自己観察があって初めて可能になる。
治療者は言葉が堪能でなくてもいい、ということを私は外国で体験したと思う。
もともと私の言葉へのこだわりは相当のものがあったし、それはおそらく音へのこだわりに特に現れていた。中学時代には、英語の時間になると外国人がテキストを朗読している音と、日本人の英語の先生がその後に読む英語がどうしてここまで違うのかということに感動してばかりいるという学生であった。そのうち自分は日本語という言葉にいかに制限されてしまっているのか、いかに世界が狭くなってしまっているのか、ということを考えるようになった。言葉は人とコミュニケーションを行う際の鍵であり、自分は日本語の鍵しか持っていないことが残念に思うようになった。私はこうして若くして日本を飛び出したというところがある。
そのアメリカで私は精神分析のトレーニングを行ったわけであるが、最初は言葉が不自由で分析なんか受けられるのかと思った。私が分析を受けた最初のころであるが、母親との思い出を話していて言葉が詰まってしまったことがある。昔久しぶりに田舎に帰ったら、おふくろが小さなお結びを二つ、お弁当用に作ってくれた。それを下宿先に持って帰るのを忘れたのだが、それに気がついた母親がどんな思いをするのかかわいそうに思い、というよりはお結びがかわいそうになり、二時間もかけて田舎に引き返した、という話をしようとしたのであるが、「お結び」が英語で表現できない。rice ball では絶対ない、オムスビ、じゃないとダメ、という気持ちになった。だから精神分析がうまくいかないとしたら、英語のせいかもしれないとさえ思っていた。しかしそのうち言葉が出ないということは、カウチの上で子供返りしたようなものであり、かえって悪くないこともある、ということを当事一緒に留学していた和田秀樹先生と話したことを覚えている。(彼も分析家との間で同様の体験をしていたのだ。)
さて私はその後分析家の卵として患者と接することになったのだが、言葉のハンディということについては、少なくともそれが治療にとって主たる障害となることは避けることが出来たと思う。それはやはり言葉の巧みさや流暢さではなくて、先ほど述べた「ある種の世界」を作るための営みが可能かどうかということが問題なのであり、英語を一定程度こなすことが出来れば、それをクリアーできるということを学んだのである。2004年にアメリカを去る時までには、私は同僚に「僕の英語にはアクセントなんてないよ」といって笑いを取ることができるようにはなっていたのだ。

2011年4月10日日曜日

治療論 その3 (改訂版)  助言やアドバイスは簡単には汎化されない事を肝に銘じよ

今日の私の話には、私の子育て体験が相当関係しているように思う。息子に小言を言うということが多くの場合お互いにとって消耗でしかないことを、私はかなり早い時期に気がついたように思う。その早い気づきは、少なくとも私のためにはなったと思うし、彼にとってもよかったと思う。(彼にとってはどうでもよかったって?そこが問題の核心なのだ。)


治療論2からの延長の意味を持つテーマである。スーパービジョンにおける助言のあり方について考えてみる。もちろんスーパービジョンにおいて、バイザーからバイジーに与えられる助言と同類のものは、精神療法において療法家から患者に与えられることも少なくないであろう。漫然と行われる精神療法は、単なるおしゃべりとあまり変わらないからね。ただし多くのまじめな療法家は、通常の精神療法において、療法家の主たる役割が助言やアドバイスであるという捉え方をしている人は少ないであろうから、ここではスーパービジョンにおける話に主として限定しておく。
ここで私が問いかけるのは、なぜ助言やアドバイスがなぜ意図されたほどに効果を発揮しないかという問題である。この問いにはやや悲観的な響きが伴うかもしれないだろうし、それは多くのバイザーの方々には共有されないかもしれない。というのも精神療法のバイザーの多くは、口をすっぱくしてバイジーに助言を与え、叱り、小言を言うということが多くの場合効果を発揮しないということには無頓着なように思えてならないからだ。私の主張は治療論2で唱えているとおり、人を変えるのは主として現実との遭遇であるということである。もちろんこの現実には、現実の治療者とのかかわりが含まれてもいい。逆に言えば、バイザーからの助言やアドバイスは、残念ながらその現実を構成していないことが多いことに、バイザー自身も、そして多くの場合バイジーの側も自覚していない場合が多いのだ。
結論から言えば、バイザーや親のメッセージの多くは、残念ながら般化される運命にはない。そのとき聞いておしまい、という形をとる運命にあるのだ。
ここであるバイザーとバイジーの関係を考えよう。時間に厳しいバイザーである。ほんの1、2分だけ遅れでスーパービジョンに現れたバイジーに、「セッションにはどんなことがあっても決して遅れてはなりませんよ。たとえスーパービジョンのセッションでも同じですからね!」と叱りつける。そして「遅れる、ということは相手を軽視していることにつながりますからね。きっとあなたは患者さんとのセッションにも遅れてくることがあるんじゃないんですか?」バイジーはうっかり、時々患者さんを待たせてしまうことがあることを認めてしまう。するとバイザーはさらに声を荒げるだろう。「私の教育分析家は、5年間、ただの一度たりとも時間に遅れることはありませんでしたよ。」「いつも先に治療者が来ている、ということが安全な治療構造を成立させる上での基本ですからね。」と言葉を継ぎ、時間を守ることが治療的な環境においていかに大切かを解くだろう。確かに若干時間にルーズなバイジーはうなだれ、しきりにバイザーに頭を下げる。こうしてバイザーはバイジーに時間を守ることの大切さを教え込んだ・・・・はずである。ところがバイジーに時間を守る大切さはおそらくあまり伝わらない。「どうしてほんの少し時間に遅れたことをそこまで咎められなくてはならないのだろう?第一バイザーとの関係では、私はむしろサービスを受ける側だし。時間を守るよりもっと大切な事だってあるだろう。」 しかし彼はバイザーの手前、その教えが伝わったことにするだろう。でもおそらく彼が学んだのは、バイザーからの小言の汎化されたもの、すなわち「時間に遅れるべからず。」ではない。「このバイザーにとっては、時間厳守は極めて重要であり、バイジーである以上自分もそのつもりにならなくてはならない」ということしか学んでいないのである。つまりこのバイジーとどのように付き合っていくか、しか学んでいないのである。(ただしこのバイザーとの時間に遅れては大変なことになる、というのは現実として体験している。だからそれは習得したのだ。)このバイジーが時間厳守を肝に銘じる様になるためには、おそらくさらに現実的な体験を経る必要があろう。多くの患者やバイザーたちから繰り返し同じメッセージを受け取ることで、そのバイジーは最終的にそのメッセージを汎化させ、自分のものとして取り入れることにするかも知れない。しかし他のバイジーからは全く別のメッセージを受けることで、時間厳守よりもっと大切な事を学ぶバイジーもいるだろう。「時間なんかあまり気にしなくてもいいんだ」という逆の教えを受ける可能性もありうるのだ。どこかで「セッションの時間に遅れることでこんなに大きな問題を引き起こしているのだ」という体験が本当の意味で身にしみる必要があるのだ。ここで大切なのは、時間厳守を教え込んだつもりのバイザーは、バイジーに単に余計なストレスを与えるだけに終わってしまっているということだ。バイジーは真理を伝えられて正しく導かれる代わりに、自分なりの真理の追究を続けるだろう。しかし表向きはバイザーからそれを学んで身につけたものとして振舞うのである。これは一種のfalse self の形成ということになる。そのような場合はそのバイザーを離れたら、バイジーはその学んだはずのこととは別のことをおこなう可能性が高い。多くのバイジーが、実際の治療ではバイザーに言われたことと逆のことを行うと言われるのもそのせいだ。同様のことは、親に叱られて様々なことを学んでいく子供についても言える。親は子供を教え導き、正しい行動を教え込んでいるつもりである。ところが多くの場合、子供にとっての教訓は、「~すべきである」ではなく、「この親の目の前では、~すべきである」でしかない。そしてそれを続けることを強要されることは、子供にとってほとんど外傷的な意味を持つことすらある、といったら言い過ぎだろうか?

2011年4月9日土曜日

治療論 その2(改訂版) の続き

大きいフォントが読みやすいのはわかるが、やはりどう考えても内容からいえば出来るだけ小さいフォントで掲載したい。まったくたいしたことのない内容だからである


絶対読者を置いてきぼりにしているだろうなあ。どうでもいいテーマだろうなあ。マアいいか。不可知性というテーマでは、このブログで十数回続いたシリーズを組んだこともあるが、その中で2010年8月15日日曜日の「不可知性の7. 人を対象と見るか、モノと見るか? 」が今日のテーマに近いだろう。
人を理解するということは、その人が不可知であるということを少なくとも頭でわかるということと関係している。(どうして頭でわかるだけでいいのか?不可知である相手のことを心でわかることなど出来ないではないか!!)そしてもちろん自然も不可知である。誰が東日本大震災を予知してブログに書いたり、ツイッターで流したりしただろう?(これはもう確実なことである。これだけの人口がいて、あれだけの不幸をもたらす大惨事を誰も予知してツイッターで流すことがなかった。もし流していたら、このネット社会であるから確実にそのことが話題になったろうからだ。これほど自然は予知ができないのだ。人の予知能力はそんなもんである。)脱線気味だなあ。
かつて私の患者に、非常に言葉が丁寧な人(Aさん)がいた(半分はフィクション)。 その人の言葉はあまりに回りくどく、フォローするのが大変であり、時にはいらだたしさを感じたのである。そしてそれをAさんに伝えるべきかを考えていた。そして私はある時「もうちょっと普通の言葉で話していただけますか?丁寧語が多すぎて意味がよくわからないときがあるんですけれど。」といってみた。Aさんは一瞬驚いた様子で、「そうですか?先生が丁寧な言葉なので、私はもっと丁寧な言葉で話さなければ失礼だと思っていました。」と言った。
それからAさんの言葉つきはあまり代わらなかったが、私のほうにいらだたしさが若干消えたことを覚えている。私は治療がさらに進んで後に、その会話以来Aさんの丁寧な表現があまり気にならなくなったことを告げたことを覚えている。
よくある治療場面の一こまである。私は取り立てて治療者としてAさんの助けとなることはしていない。少し気の聞いた上司や友人ならそんなコメントをすることもあるかもしれない。ただAさんはおそらく私からは予想もしない形で私からの「丁寧な言葉使い」についてのコメントを聞いた。これは一種の直面化としての意味を持っていただろう。ただしそれは「自分は過剰に丁寧語を用いて、治療者に慇懃無礼な口のきき方をしていたのだ」という類のものではない。自分の言葉使いがそのような反応を及ぼすことがあるのだ、という現実なのである。彼の言葉使いが客観的に馬鹿丁寧なのか、慇懃無礼なのか、という問題とはまったく無関係ではないにしても、基本的には異なる問題だ。ただそのような反応を一人の人間(すなわち私)に生んだ、というただそれだけのことなのである。彼が将来他の人から同じような反応を受けるかはわからない。また私のほうも彼の丁寧な話し方に、何か私自身の問題でそのような反応をしていたのかもしれない。でも私の中のいらだちもまた私にとっての「現実」なのである。(そう、この場合は現実に治療者の反応、も含んで考えている。ヤヤこしい。)私は私の反応が正しいかどうかという判断とは別に、それを口にしてみた。そこからAさんとのこの件に関するやり取りがすこしだけあった。私は少なくとも彼の丁寧な言葉は、私の側の過剰な?丁寧さから来ている可能性を知り、またその後に彼の話し方に対する印象が変わった。そしてそれを彼に伝えた。私のほうの変化はどこから来たのか?わからない。彼のほうが実際に話し方を変えたのか?私のほうで、彼に話し方についてのコメントをしたことで一種の後ろめたさが残ったからか?それとも私の話し方の影響だったのだ、という説明に納得したのか? もちろんこれらの仮説は浮かぶが、本当のところは・・・・・・わからないのである。おそらくそれでいいし、そのまま先に進むしかない。ただ彼の中に私とのこの短いインターラクションが起こり、それにより彼自身の見え方がほんの少し変われば、それでいいのだろう。
ここで少し牽強付会的なことをいうならば、この種の現実を安全に提供できる状況に、おそらく治療者はあるだろう。それは治療関係性のなせる技である。Aさんの体験した現実は、実は自分の話し方についての反応、ということにはとどまらなかった。私がそれについて少し不満を口にし、しばらく後にそのことを撤回したこと。そういう人間と、関わったこと。それらはことごとく現実であり、それが一応は安全に体験されたということ。それはまったくどうでもいい体験としてAさんにほとんど何も残らなかったかもしれないし、結構インパクトを持っていたかもしれない。それを治療者はあまり決めることは出来ない。あえていえばAさんが私をどれだけ重要な人間と勘違いしていたか(転移を向けていたか)により決まってくるのであり、それを治療者側は基本的に操作できないのだ。ただそれを一定の枠組みの中で提供するということ。しかしそのくらいのことしか治療者は出来ないともいえるのである。(これで一応終わり。まったく改訂になっていない。新たにまとまりのない文章を付け加えるだけになってしまった。)

2011年4月8日金曜日

治療論 その2 (改訂版) 続き 「不可知的な現実」とは?

私は基本的に人間は自分自身のことが見えないようにできているものだと思う。いや、見えては困るのかもしれない。今を生きる、ということは自省する、ということとは相容れないのだ。 車を運転している人間は、まず運転席から見える視界に全神経を集中する。その自分の姿がバックミラーにどう映っているかなどは、当面はどうでもいいのである。なぜなら自分の車がほかの車や通行人と接触することなく、されることもなく、安全に走行できることがまず重要だからだ。
私たちが生きているということについても同様のことが言える。私たちは各瞬間にいかに痛みや苦痛を避けるかを判断し、できることなら心地よさや快感を求めつつ世界の中をナビゲートしていく。何を回避し、何を求めるかは、大抵はとっさの判断にゆだねられる。
他方その人を助手席に座って見ている教習所の教官(一応治療者、スーパーバイザーの比喩である)は、様々なことを考えるだろう。「ぎこちない運転をしているな」、と感じるかもしれない。「何であんなところで急にハンドルを切るんだろう?」と思うかもしれない。実は運転者はちょうど視界の端に映った歩行者が飛び出す予感がして、それを無意識に避けようとしたのだ。その瞬間には本人にとっては理由や必然性のある行動が、周囲には無駄だったり意味のない動きに見えたりすることもある。しかし教官は、助言をするのが自分の仕事だと思っているから、目に付くところはどんどん指摘していく可能性がある。それが運転者にはぴんと来なかったり、指摘される必然性を感じられないことだったりする。教官が「仕事で」助言を与えたり、駄目出しをする分だけ、「うるさい、ほっておいてくれ」、と感じることもあるだろう。
それでは運転者にとってもっとも大切で、インパクトのあるものはなにか。それは体験そのものである。飛び出そうとする歩行者にハンドルを切ったおかげで、こんどは対向車に急接近してしまい、怖い思いをした、など。自分の運転のある種の癖やパターンが及ぼす結果を、現実の体験は教えてくれる。そこからの教えを、運転者は守らざるを得ない。そうすることが危険や恐怖の回避に直接的につながってくるからだ。
では教官=治療者は何もしないのか? 実はその路上実習に誘っているのは教官だったりする。知らない間に高速道路の入り口に入りそうになったら教えてくれるのも彼だろう。時にはこのまま行くと横から突っ込んでくるトラックと正面衝突というときには補助ブレーキを踏んでくれるかもしれない。でも初めての路上実習に出る際の緊張をやわらげてくれるのもまた教官かもしれない。教官は横で、実はいろいろなことを考え、運転者の心中を推し量っているのかもしれない。別に技法があるわけではなく、一見ただそこにいるだけ、に見えるかもしれないが、運転者がのびのびと運転を学ぶのに案外大切な存在だったりするのである。教官もまた「現実」の一部である限りにおいて。(続く・・・・かな?)

2011年4月7日木曜日

治療論その2 (改訂版)    直面化を促すのは、不可知的な「現実」である

禁欲規則に関するテーマで重要なのが、では誰が患者やバイジーに、直面化を迫ったり、耳の痛い助言をするのか、ということだ。「あなたは~についての意識化を避けていますね。」というコメントや、「あなたのやったことはこういう点で問題だったね。」「ここはこうした方がよかったですね。」という直接的な助言はいかに伝えられるべきかという問題だ。いくらその言葉を飲み込んでも、いずれは伝えなくてはならない場合がある。そうでなければ治療者やスーパーバイザーとしての役目を果たしたことにはならないことにもなるだろう。
こんな例を考えてみよう。私がある患者Aさん(30歳代後半の男性、とでもしよう)と治療関係にある。彼は常にあるジレンマに悩んでいるとしよう。(ちなみにこれは創作である。私の現在のクライエントさんの誰も、自分のことを言っていると思われないような例にする。)Aさんはいつも自分の身の丈より一歩高い目標を持ち、それが実現するつもりになり、実際に挑戦しては失敗して失望することを繰り返す。そして「自分はどうせ駄目なんだ、取るに足らない存在なんだ」と落ち込む。その挑戦とは、たとえば就職活動でも、論文を応募するのでも、異性に声をかけるというのでもいい。いつも期待をふくらませては失敗し、死にたくなってしまうという繰り返しのAさんは、自分を見つめ直したくて私との治療を開始したとする。
治療者として週に一度Aさんと会っていると、おそらく彼のこのパターンが繰り返されていくのを私は目のあたりにすることになる。彼は理想的な自己イメージを思い浮かべ、失敗をして落ち込むというプロセスを、セッションの中で実況中継のように報告するかも知れない。その際、分析的な立場に立ち、禁欲規則に従った治療はどのようなものになるだろうか? おそらくAさんの話を聞き、彼が陥っている病理、例えば現実の自己像を否認する傾向、それにより他人を見下したい願望や、一気に立場を逆転させて勝者になりたいという願望を指摘することになるだろう。その際Aさんが夢を追う姿を評価したり、失望した際の気持ちを汲み、慰めの言葉をかける、ということはむしろ避けるべきであろう。分析的な精神療法の教科書的は、そのような治療態度を推奨するはずだ。
さてAさんの治療者としての私はどうするだろう?おそらく20年前ならこの禁欲規則に従った治療を行ったかも知れない。でも今なら違う。どのように違うかはよくはわからない。ただ禁欲原則とは全然違う関わりを持つであろうことは確かだ。
そもそも30歳代後半まで繰り返したAさんの行動パターンは、治療などで大きく変わりはしないと考えたほうがいい。治療者との出会いがよほど大きなインパクトとなり、彼の人生観を変えるに至るのでない限りは同じことが続くだろう。そして私がAさんに「また同じ過ちを繰り返そうとしていますね。」と指摘することは、おそらくそれが直接間接に周囲から指摘され、そして何よりも彼自身がそれを自分自身に呟いているであろうから、あまり新しいメッセージとして彼の心に響く可能性は少ない。
私はおそらくAさんの行動パターンをいろいろな角度から見ようとするであろう。Aさん自身も、周囲の誰も思いつかないような説明の仕方を試みるかも知れない。そのプロセスでAさんが本当は人から評価されたことがなく、その為に他人をあっと言わせたいと思い、本来は自分が不得手なことにまでも力を注いでいるということが見て取れたら、私はAさんが自分らしさを自然に発揮できるような能力を一緒にさがそうとするかも知れない。彼が評価してもらえなかったことを評価することもあり得るだろう。そしてもちろん彼がどうしても見ようとしない問題点があったら、そのことも指摘するだろう。要するに…… 治療はとても「禁欲規則」で縛られてしまうべきものではないのである。
一つここで明確にしておきたいのは、Aさんが自分の行動パターンを変えるほどのインパクトを与えるのは、残念ながら治療者の言葉ではない可能性が高いということである。治療中にあっても、Aさんは同じ問題を行動に映し続けるであろう。彼はAさ結局は同じ行動パターンを繰り返しながら、現実と行き当たって学ぶことを通して変わっていくのである。治療者はそのプロセスを一緒に体験し、考えることしかできないというのが正直なところなのだ。
このAさんの代わりに、民主党の小沢さんが治療を受けているという状況を想像してみる。(まず彼がカウンセリングに通ってくるということはありえないだろうが、何故かそれが起きていると仮定するのだ。) 彼がしばしば示す民主党を壊しかねないような行動を抑えることなどカウンセラーには不可能なのであろう。彼は現実に突き当たってもうこれ以上動けないところまで突き進み、何かを掴みとり、そして何かに失望する。カウンセラーはおそらくそれを見守ることしかできない。でも治療者が患者の人生を変えようと思うことそのものが、僭越と言われても仕方がないことなのだ。
ところで「これじゃ治療者の役割などないのではないか!」と言われそうである。その人にはこういう言い方をすることにしている。治療者としての関わりが「現実」となれば、それは治療的なインパクトを持つ可能性があるのだ。 ではこの「現実」とは一体なんだろう?(続く)

2011年4月6日水曜日

治療論 その1 (改訂版) 昨日の続き

ちなみに「洞察や理解は別のところか訪れる」ということの意味について。私には罪悪感に関する持論があり、それは「罪悪感は、基本的には『許され型』である」というものである。罪悪感に関して、精神分析では「処罰型」と「許され型」という分類の仕方をする。前者は悪いことをした時に罰せられることではじめて罪悪感が植えつけられるという考えで、後者は人に許されて初めて罪悪感が芽生えると考える。前者がフロイトのエディプス理論にたった罪悪感の生成のされ方、ということになるから、分析理論の中では常識の部類に入る。
しかしこの問題も当たり前に考えれば、後者が本来の罪悪感の生成のされ方だということになる。だって悪いことをして、罰せられることで得られるのは、「こんなことをしたら、処罰されるんだ。」という学習であって、罪悪感そのものではない。(もちろん罰せられることで、自分がしたことが罪深いことであったという自覚が生まれる、という場合は別である。)罪悪感は相手が苦痛を味わっていて、自分が何の報いも受けていない(ないしは許されてしまう)という状況で自発的に起こってくる感情だからだ。すると治療でもスーパービジョンでも、「厳しいこと」や「叱責」によって得られるのは、「こんなことをしたら怒られるんだ」という学習効果でしかない。いやそれならまだいいが、「こんなことをしたら、この先生は怒るんだ」という学習だとしたら、もっと悪い。「この先生の前ではこれはしないでおこう」ということであり、決して汎化されない学習でしかない。「この先生の観ていないところでは堂々とやろう」というのとあまり変わらないからだ。
私は世の中で起きる叱責、説教、小言、アドバイスの大半がこのような形で無意味に行われていると感じる。そしてそれは残念ながら、精神分析における「解釈」にも当てはまってしまう。解釈の内容がいかに真実をついていても、いや真実をついているからこそ聞く人に痛みを持って体験され、その結果として叱責と同様の意味を持ってしまう。そしてその大半は無効なものとなってしまう。こんなことをしていて空しくないはずはないのだ。
私はフロイトの「禁欲規則」が意味のないものとは考えない。むしろ彼がこれを言い出したことで、考える材料を豊富に与えてくれていることに感謝するべきであると思う。ただしフロイトはあまりに人を理想化し、「人間は苦痛に耐えても真実を求める」ということを自分以外にも当てはまるものと勘違いしていたように思う。
では洞察はどういうときに生まれるか。他人から許されたときに、治療者が一番肝心なところに触れなかったときに、そこに安心感が生まれ、心の余裕が生まれる。その時に人はやっと自省する力を取り戻す。防衛に使われていたエネルギーが使用可能になるからだ。その時に実は他の人から見れば明らかであり、自分だけが否認していたような何かが見える。「自分ってなんて意地を張っていたんだろう?」とか「相手の痛みをあまり考えていなかったんだな。」などの素朴な発想が可能になるわけだ。

2011年4月5日火曜日

治療論 その1 (改訂版) まずは「禁欲規則」について真剣に考えよ

精神療法はいかにあるべきかについて考える際には、フロイトの「禁欲原則」について、特にその功罪について真正面から捉える必要がある。
ある高名な分析家の先生なら、精神分析の技法論には次のようなことを書くはずだ。「精神分析においては患者の願望を満たしてはいけない。すなわち患者に愛情を与えたり褒めたりすることは慎まなくてはならない。治療者は患者が見ることを避けていた無意識内容に直面化するのを手伝うことが、その本分なのだ。」。いわゆるフロイトの禁欲規則 rule of abstinenceの考え方である。でもこれって、治療本来のあり方だろうか?何かが違う。それが私の出発点といって言い。
この禁欲規則、どうでもいいと思っている治療者も多いが、私には無視できない問題である。というかこの問題に真剣にこだわっていない治療者は、私としては力不足の表れだといいたい。
精神分析を一生の仕事と考えていた私としては、治療とは何か、人を助けることとはどういう事かについて常に考えてきたが、このフロイトの禁欲規則をどのように捉えるかはもう30年来の重大な問題である。フロイトが100年前に提案した規則など、どうでもいいのではないかと思うかも知れないが、治療者の中にはこの規則をかたくなに守ることで、本来の治療者としての力を発揮できない場合が多いのであるから、この問題は深刻なのである。
日常生活での体験も、学生やバイジーさんとの体験でも、ましてや治療場面でも、私は厳しいことをほとんど言わないし、また言えないでいる。言う資格がないと思うことも非常に多い。でも彼らを正直な気持ちで評価したいようなことがあれば、おそらくかなり頻繁にそれを口にすると思う。つまり禁欲規則とは逆のことをしているのである。そこにやましさはない。それはなぜだろうか?
 もちろん学生やバイジーさん、患者さんに注文したいことは時々ある。「それはちょっとどうかな」と思うことも実はよくある。それを言わないとすれば、その一番の理由は、その「どうかな」という判断が実は非常に怪しいことを知っているからだ。上司に指導を受けたり注文をつけられたりという体験を少しでもお持ちの方は、それがかなり恣意的で理性的には受け入れがたいものであることが実に多いことをよく知っているであろう。私がバイジーさんの報告内容を聞いて「えっ、それってどうかな?」と思う際、そのかなりの部分が、実は私の側のバイアスや好みに起因しているものであることがわかっている。
ただしもちろんバイザーとして、先輩として明らかに注文をつけるべきことも当然あるだろう。(それはそうである。だからバイザーの役割を負っているのである。)そこでその言葉を飲み込む二番目の理由。それにより患者やバイジーが落ち込んでしまうからだ。もちろん患者さんが一時落ち込むことは、その後の成長につながるかも知れない。でもそれが一種の抑欝的な反応を引き起こし、その間患者さんの精神的な活動が冷え込んでしまうことの方がより問題なのである。他方長所を指摘し、評価することは彼らに生きるためのエネルギーを与え、彼らが自らを見つめるための精神的な余裕を持つことにも繋がる。そう、治療とは相手の自己愛をいかに守りつつ治療者としてのメッセージを伝えるか、という綱渡りなのである。禁欲規則とは、そこら辺の微妙な問題をかなり大胆に切り捨てた規則なのだ。
言葉を飲み込む第三の理由。人は注意されたことはたいてい聞かない。聞いているふりをすることは多いが。私自身がそれをこれまでやってきている。洞察や理解は、おそらく全然別のところから訪れることが多いのだ。
さて以上の三つの理由が解消されていると感じた場合、私は意見を言うことになる。おずおずと、あるいは注意深く。それでも後で言われてしまう。「あの時は先生にずいぶん怒られました。」

だから怒ってないって。

2011年4月4日月曜日

治療論 25 治療者のモチベーションが「感謝されること」でないとしたら

よくテレビで「天才外科医●●医師」についてのドキュメンタリーを放映している。私はこれが結構好きである。ただし私の「公式チャンネル」はNHKなので、間違って別のチャンネルのボタンを押してしまってたまたま目に映った場合の話である。
私の印象に特に残っているのは、脳外科医の福島孝徳先生についての番組だ。彼のことをここで実名で書くのには何の問題もないであろう。何しろ福島孝徳記念病院のHPには、「病に苦しむ患者様のために、最高の医療環境を提供する―「塩田病院附属記念病院」は、「神の手」と称賛される世界最高の脳神経外科医・福島孝徳ドクターのアイデアを反映した国内で類例のない病院です。」とあるのだ。
彼の番組を見ていてわかりやすかったのは、彼が「患者さんに感謝され、喜ぶ顔を見ることが力になっている」ということを述べていたことだ。それはそうだろう。彼があれほど殺人的な診療日程をこなすのは、刻一刻彼を待っていて、彼の偉大なメスの力により恩恵をこうむる人々からの感謝があるからこそである。そして彼のことを「感謝を望むなんて、なんて自己愛的な人だろう」などとはぜんぜん思わない。むしろ非常に納得できるのである。
ところでこのことを精神療法に携わる治療者に置き換えたらどうだろうか?たとえば精神分析家が「私は患者さんがよくなり、感謝されることが治療の原動力になっています」と言ったら、おそらく分析仲間の間ではNGであろう。彼は「自分の逆転移をまず自覚しなさい」とでも言われるのがオチだろうからだ。ところが患者さんから感謝されたいという願望を自覚し、それを乗り超えた、より完成された分析家が、福島先生と比べて倫理的に高いレベルにあるといえるだろうか?全然そんなことはないのだ。
このことはある重要な点を指し示している。少なくとも「患者さんがよくなり、感謝されること」を目指していない分析家は、「何か別のもの」を目指してるということになる。それは人によりさまざまであろうと思う。そしてその中にたとえば「精神分析的な治療を正しく行うこと」による自己満足が含まれるとしたらどうだろう?私はこれも悪くはないと思うが、そのことも十分分析の対象にすべき逆転移として扱うべきであろうと思う。

2011年4月3日日曜日

治療論 24 の続きの続き 「患者様」はさすがに言わない

それは私だって一方では治療者、医者などと言いながら、「患者さん」と「連発」することには抵抗がある。治療者と患者は英語でthe therapist and the patient とシンプルだ。どうして患者に「さん」をつけるのだ、逆差別ではないか、といえばそのとおりなのである。ただしたとえば「患者呼ばわりされたくない」「私を患者扱いするの?」という表現が成り立つ以上「患者」の立場が「できることなら身をおきたくない」ものであり、だからこそ「患者」という呼び捨てにはそれこそ「コンデセンディングcondescending 」なニュアンスがつきまとう。それを少し和らげる意味での「さん」づけなのだ。だから私は「患者様」とは言わない。(というか、医者と患者様、という言い方をしている著作を見たことはないから、言わずもがななのだろうが)。
私は土居先生のコメントはおそらく一昔前の医者の態度と現在のそれとの違いを反映しているように思う。一昔前は、医者は、治療者は偉ぶっていた。社会の扱いがそうだったのである。高等教育を受ける人が非常に限られていた時代は、医学部を出て医師の資格を取るのは稀有のことだったのである。その時代に、「医師と患者は対等である」と主張することは誰にも違和感を与えていたのであろう。しかし時代は移り、人は意味のない権威に必要以上の敬意を払うことをやめるようになってきている。時代はとにかくそれまで守られてきた非合理的な慣習が消えていくという方向にしか流れないのだ。
その文脈で言えば、私は心理士さんたち(どういうわけか「さん」、がつく。原因は不明である)が患者さんについて語るときに使う敬語が非常に過剰に感じてならない。スーパービジョンのときにも「~と患者さんがおっしゃった」と報告されると、それを余計なものに感じる。これは私が今度は「土居先生的」になっているということなのだろうか?

2011年4月2日土曜日

治療論 24 の続き

昨日の治療論では治療者の「上から目線」の話をし、サリバンの言葉で終わったが、実は一つずっと気になっていることがある。それは故・土居健郎先生にかつてもらった手紙についてである。私が岩崎学術出版社から出した「脳科学と心の臨床」という本が土居先生に献呈本として送られ、それに対して先生からいただいたものだ。12月8日付けになっているが、「脳科学と心の臨床」の出版は2006年だったので、その年の12月の手紙ということになる。どこかに書いたが、聖路加国際病院で、私は数年間土居先生のオフィスをシェアさせていただいた。つまり先生のいらっしゃらない曜日に使わせていただいたわけである。だから土居先生は短いメッセージを水曜日の私の勤務日の前日に、よく机の上に置いておいてくださった。問題の手紙は以下の内容だった。

「脳科学と心の臨床」を通読しました。これまでの本にも多少その傾向があったのかもしれませんが、本書には特にcondescending であるのが目立ちます。これは「患者さん」の連発に現れます。私はこの呼称が嫌いで、患者には必ず姓を「さん」づけて呼びます。もっとも以上は主観的なことですが、客観的に見て、心理臨床家の先生方が、これだけの脳科学の知識がないと臨床の質が落ちるとは思いませんが・・・・・。しかしともかく貴君の勉強ぶりにはいつもながら感心します。 
  12月8日 土居健郎   岡野憲一郎様


慢ではないが、私は土居先生にこのような形でも、あるいは学会などでもお褒めにあずかったことはないので、全体のトーンがポジティブでないことは問題にはしていない。それよりもよく私のようなものに律儀にお手紙を下さったものだと思う。
「この本はあまり臨床家には必要がないのでは?」という辛口のコメントにも「先生、ちゃんと読んでくださいよ。」などと心の中でツッコミ(畏れ多いことながら)を入れているから大丈夫である。しかしこの手紙で気になるのは、土居先生が私の「患者さん」という書き方をcondescending (見下し、上から目線)と表現していることである。どうして患者さんと呼ぶことが上から目線なの?
ただし辞書を改めて引くとcondescending には、「わざと腰を低くした」という意味もあると知って少し納得がいった。聖路加の別の先生にも確かめたことだが、土居先生は患者さん、という呼び方を嫌っていらした。シンプルに「患者」と呼べということらしい。これまでたいていの本で「患者さん」とやっていた私などは、いつも土居先生をいらいらさせていたに違いない。(続く。)

2011年4月1日金曜日

治療論 24. 人は皆それぞれ少しずつ「おかしい」ことを前提とする

日頃患者さんたちや職場の同僚や友人たちと会っていて思うのは、みんなそれぞれどこかアブナイ面を持っているということだ。表題のように「おかしい」と言い換えてもいい。一見ごく普通に社会生活を送っている人の個人的な側面に分け入ると、皆バラバラの知識や能力をもち、バラバラなりに与えられた役割に適応し、しかしそれが小さな破綻をきたすときにはかなり子どもっぽい、ないしは不適応的な防衛を用いる。人は皆不完全なのだ。社会適応を遂げている人たちは、その不完全さを職業遂行の際は、何らかの形で補うことが出来ている、というそれだけである。
このことがどうして治療論に結びつくというかといえば、人は不完全であるということを治療者が前提としない限り、患者を分かることは出来ないであろうということだ。私はケース検討などでいつも不全感を感じるのは、まるで患者が病理の固まりのように議論をすることである。論じている人間もまた不完全なのに。「不完全な人間が他人の病理を論じることはいけないことなのか?」と言われそうであるが、そういうわけではない。ただ自分が病理がないかのような前提にたった議論は、完全に「上から目線」になり、患者との関わりのあらゆる相にそれは表れる。そしてそれは必ず患者に伝わり、その分だけ治療に通うことが憂鬱になり、自己価値観の低下に繋がる可能性があるのである。それは治療という名を借りた権力の濫用に繋がるのである。
私がことあるごとにこの問題にこだわるのは、やはり昔から人から指図をされたり、指導されたりすることがことさら苦手で、「上から目線」には我慢ならなかったからだろう。もちろん理想化の対象から指導されるのは悪くはない。ある種の心地良さもあるかもしれない。しかしその理想化は、その対象をよく知らないことから来る。その人をさらによく知り、その人の不完全さを知った際には、少なくともその人の言うことに唯々諾々と従う事が可能なレベルの理想化は維持できなくなってしまうのである。私は相手に徹底して対等な態度を取ることを望むであろうし、それが得られないことを耐えがたく思うだろう。(だから若い頃からしばしば上司や先輩と喧嘩をしたものである。)
治療論のはずがエッセイになりかかっているが、言いたいのは次のようなことである。いわゆる作業同盟や治療同盟は、その基底に「対等さ」があるはずであり、その成立の基本にあるのは、治療車が自分を(患者と同様に)不完全であると認識するということである。ハリー・スタック・サリバンは言ったではないか。We are all much more simply human than otherwise (翻訳はすごーく難しい)と。