2011年3月30日水曜日

雑感

震災からもうすぐ三週間。少しずつ日常生活は安定に近付いているのだろうか?余震はたしかに減っている。「明日はどうなるかわからない」という感覚はたしかに減っている。物不足はなんとなく不安感を誘っていたが、もうスーパーには牛乳が戻り、ガソリンスタンドにも車は列を作っていない。都内に住んでいるせいか、計画停電の影響は受けていない(申し訳ない)。相変わらず街の灯りは暗く、自宅での節電は続いているが、例の「後ろめたさ」のためか、むしろこのくらいなら喜んで我慢しよう、と思える。テレビに映る政治家も、防災服を脱いでいる姿が見られている。
例の外付けハードディスクの問題、一応修復は済んだ。これを読む人の中には、「本をPDFにするなんて、なんと酔狂な」と思う人が8割方ではないか?それについてひとこと。私には本がそのままの形でデータ化され、どこにでも持ち歩け、プリントアウトが出来、あっという間に複製できるということが、未だにマジックである。また私がPDF化するのは主として、重くて持ち歩くのが厄介な本、あるいは検索によりキーワードを拾うことが仕事にとって不可欠な書籍である。薄い本、新書本などは取り扱いが容易なためにPDF化はしていない。
PDF化することのマイナス点は、めくることが出来ないいこと、線が引けないことなどだろうか?いずれもプラス面に比べれば比較にならない。
電子化による恩恵をこうむっている私であるが、ビデオゲームには興味がない。というより十分にやった経験がないからだろうか?逆に小さい頃から電子機器に囲まれている子供はかわいそうに思う。遊びがことごとくバーチャル化することの危険は大きいのかも知れない。一日に何時間かは、パソコンやケータイを使わない時間を設けないと、リアルな世界での生活に不適応を起こす人間ばかりができてしまうのではないかと恐れる。最近のゲームはあまりに面白すぎる、それが問題なのだろう。「キャサリン」などのように、現実よりよほど「リアル」な体験が得られてしまう場合、人間は現実に生きることの意味さえ失いかねないからだ。私は子供時代をケータイやゲームとは無縁に過ごせたことに感謝する。じゃないと今以上に不適応になっていたかも知れない。