2011年1月15日土曜日

またまた雑感(実は多忙)

私は別に政治の話が好きではないし、第一ぜんぜん詳しくない。ただし毎日体験していることを書くと、必ず周囲の人々に迷惑をかけてしまう。だから私の日常の話題は常に、自分のことか、神さんのことか、うちのチビ(犬)のことか・・・・政治のことになる。でも政治家の振る舞いを精神科的に眺めるのはとても面白いと思っている。ということで、以下は読売新聞電子版(今日付)からの抜粋である。


海江田経済産業相は14日の記者会見で、「人生は不条理だ」と、同じ衆院東京1区で争った与謝野氏が後任の経済財政相となったことへの不満を隠さなかった。西岡参院議長もBSフジの番組で、「選挙区が同じ人を内閣に並べて、首相は小選挙区の民意をどう考えているのか」と批判。こうした動きに、自民党幹部は「菅首相はばかだ。与謝野氏1人を捕まえて、民主党内に80人くらい敵を作った」と冷ややかに語った。(2011年1月14日23時02分 読売新聞)

与野党ぞこってのこれらの批判は、「でも財政再建のためには、不満や不協和音があったとしても、与謝野氏の起用もやむを得ないのではないか?」という方向には決して行かない。そこが一番重要なのに、与謝野氏が起用されたことのネガティブな側面のみをコメントし、ポシティブな面は無視する。それが「政治」だろうか。例えば野党の党首が、「総理のこの仕事については評価する。」というような内容の発言をしては絶対にしてはいけないのか?よほどいけないらしい。だから誰もしないのだ。
私には日本がこれ以上赤字国債に頼ることに歯止めをかけるためには、思い切った経済政策の転換が必要なことは明らか過ぎるほど明らかだし、そして菅さんは国民の不興を買ってでもそちらに舵を切ろうとしているように見える。もちろんそれ以外のたくさんの思惑や計算があるとしても、与謝野さんの起用にはその様なポジティブな意味があることは多くの人が本音の部分で思っているのではないか。
この「ホンネ発言」を廃してあくまでも建前論で終始するのが「政治家の言説」なら、私はそんな世界に生きることを想像するだけで耐えられない。もちろん誰も私に政治家になってくれとは言わないし、なれといわれても街頭演説すら出来ないだろうが。
その意味で小沢さんの言葉の一つ一つが私にとっては気になるのは、彼の言葉は徹頭徹尾「政治家の言説」であり、とりわけ欺瞞的で、またひどく空疎に聞こえる。それは彼の言葉を聞いて、その時の表情の作り方を目にしたときにすぐに感じ取ることが出来るものだ。総裁選に負けたときの言葉。「これからはイッペイソツとして、党のために・・・・」カラーン。どうして自己矛盾に陥らずに、ここまで徹底的にこの種の言説を続けることが出来るのだろう?その意味でやはり小沢さんは大政治家、ということにもなるのだろう。
政治の世界に比べれば、よほど本音や誠意や正直さが尊重されるのが精神療法の世界である。クライエントはかなり敏感に治療者の欺瞞性をかぎ分け、セッションにやってこなくなる。治療者はその欺瞞(それまで十分に意識化していなかった逆転移など)を見つめなおすことで、その見捨てられ体験を克服していくのである。