2011年1月19日水曜日

解離に関する断章 その10 解離の火山モデル

私は最近、解離性障害について、火山活動の比喩で患者さんやその家族に説明することが多くなってきている。解離という現象は長い目で見た場合にある程度の予測が可能であるが、日常生活レベルではかなり予測不可能なところがある。例えばある交代人格が頻繁に出現する時期が過ぎると、あまり姿を現さなくなるということはしばしば生じるが、今日出現するか、明日はどうか、という予想自体はつかないことが多い。それが自然現象、例えば地震や火山活動、気象現象などと非常に似ているところがあるからだ。ちょうど日本では地震が頻繁に起きるが、日常レベルではいつどの瞬間に生じるかはほとんど予想不可能というように、である。
しかし解離の患者さんの治療中にいきなり「火山を思い浮かべていただければわかるとおり・・・・」などと話し出して、とっぴな例を出す治療者だ、と思われていないとも限らない。そこでこのような場を借りてこのモデルの有用性をあらかじめ説明しておきたい。

ちなみに学問的にも、自然現象と脳の活動とはある意味で非常に類似している。どちらも複雑系において生じる様々な現象であり、その基本的なあり方はカオスに近い。カオス、とは科学的に用いる場合は、確か「ある決定論的な手続きで生じながらも決して定常状態に至らない現象」とか何とか定義されるはずであるが、わかりやすく言えば、ある種のパターン(≒揺らぎ)はかろうじて見出せても、それが決して確かな規則性を見出すことができない、ということである。ちょうど地震について言えば、火山活動がある地方で頻発することがわかっていても、実際にその地方で、何年おきに地震が生じるかを決して正確には知ることが出来ないということであり、実は自然現象はことごとくこのような性質を持つ。(地球の自転の速さだって、一回ごとに揺らいでいて、しかもしだいに遅くなっている、という風に。何か当たり前のことを言っているようだな。)同様に交代人格の出現だって、あるいは時々生じる激しい人格部分による興奮状態にしても、そこに正確な規則性を見出すことは出来ない。(もちろん、人間の脳を自然と同じように極めて複雑な体系として理解しているわけであるから、脳において生じることは同様の性質を持つことには変わりない。てんかん発作、躁転、欝のエピソード、神さんの気分、みなある程度の周期性は伺われても、性格にはその変化を知りえない。)

ここで火山というモデルを用いることの理由を述べるならば、解離性障害を持つ人は、普段は十分に適応出来ていても、時々別人格が賦活され、出現するために興奮状態になったり記憶を失ったり失神したりするために、周囲から誤解されたり、職を失いかけたりするからである。火山のモデルはその交代人格の表れの唐突さや激しさを表現していると考えていただきたい。


ここに描いたのは、活火山と休火山、および死火山である。一番左の活火山はある興奮を伴う人格が頻繁に出現しているものである。また中央の休火山は、その噴火が一時おさまっている状態である。そして一番右の状態は暫くの間噴火が起きずに、これからもその火山が活動を再開することは当分ないことが予想されるために、死火山という呼び方をする。さらにはその下に表現したのは、地殻変動である。火山はこの地殻変動により生じることがおおいが、それは解離性障害の場合には、過去の虐待者との偶然の再会や、現在の生活で体験する外傷体験などである。これがなければ交代人格はもう二度と賦活されることもなくなる可能性があるが、運悪く虐待的な関係に入ってしまうと、再び生じるかもしれないのだ。