2010年11月18日木曜日

ほとんどがウケ狙いから始まる政治家の失言

一昨日は、「中国はドライアイスのように『昇華』して、一足飛びに先進国になるのではないか」、と書いたが、やはり違うように思う。例えば中国は軍備を増強して周辺の国に睨みを効かせ、すきあらば侵攻するぞ、というような脅し(ブラフ?)をかけて来る。日本はそのいい犠牲者だ。この種の覇権主義は、国民により選ばれることのない、独走が許される政治体制でしか生じないだろう。ほかの「先進国」を見ればわかるとおり、国粋主義的な発想には、それと対になる市民権運動や平和主義的な主張を持つ人々がすぐ対抗する。「先進国」では保守反動と革新派はたいがい綱引きをしていて、このバランスの上に政権が存在するのである。そしてそこには、民衆やメディアが政権を担当する与党に目を光らせ、隙を見ては批判する、こき下ろすという体制がなくてはならない。つまりは言論の自由、メディアによる報道の自由が保障されていなくてはならないのだ。やはり大衆による革命という洗礼を通過していない国は、どうしてもそこに行き着けない。西欧諸国はその血なまぐさい歴史を前世紀には終えているのだ。それを終えた国同士が「お互い仲良くやりましょう」、という紳士協定を結ぶのである。中国はそこに一人だけぽつんと混じり、浮いているのだが、ほかの代表と同じ立派な服装をし、しかもお金をたくさん持っているために他の紳士と同様に処するしかないという状態なのだろう。


さて柳田法相の失言問題。私にはある程度わかる気がする。話を面白くするには、自虐ネタかゴシップ。聞く人は退屈な話よりは喜ぶだろう。スピーチをしている最中に聴衆に眠たそうな顔をされるのは、悲しいことだ。そこでサービスをもっとしようとして、間違いが始まる。柳田さんの「国会での答弁は二つだけを覚えておけばいい」の話は、あれだけあからさまに言わなければ、それなりにうけたかも知れない。しかし彼の言い方は度が過ぎていたし、聞く人が聞いたらとんでもない発言でもあった。失敗が生じるかどうかは、例えば「もしそれを~が聞いたら(知ったら)どうなるのか?」という問いをどの程度頭に思い浮かべることができるか、によるのだろう。