2010年11月6日土曜日

治療論 その6. 患者さんの人生の流れは変えることが出来ない

朝からいい天気である。一日中オフィスにこもっていても気分は悪くない。この一週間色々なことがあった。あす朝の「報道2001」が楽しみだ。

臨床を行っていてしばしば感じること。バイジーさん達にはいつも言っていることだが、患者さんの人生の流れを変えることはできないということだ。ただしそう言うと、「では治療者は何も患者さんに影響を与えられないのか?」と言われそうだが、次をよく読んで欲しい。「患者が治療者から時々影響を受けることも含めて、その流れを変えることはできない」、と言いたいのだ。治療者は時々患者さんに影響を与えることはあるのである。そんなことは当たり前である。しかしこれは「治療者は時には患者さんを変えることができる」ということとは異なる。治療者が共感を示す。両者の間に何かが生じる。それが時には患者を変える。その一連のプロセスに、治療者は意図的な影響を与えることはできないというわけだ。
ただし私は「治療者は患者を変えることが出来る、などと自惚れてはいけない」などと言いたいわけではない。これは治療者の力不足などという議論ではない。むしろ「患者の人生を取り巻く現実は複雑すぎて、治療者がそれを意図的に変えようとする力が及びようがない」ということである。たまに治療者が意図した仕方で患者を変えられたとしても、そこに働いた偶発性は無視しようがない。
また外傷的な関わりについては別である。治療者は患者さんに対して外傷的な関わり方をすることで、その人生を不幸に導く力は、確かにあると言える。問題は「治療的」な関わりの方である。だから人間は他人に幸運をもたらす力に比べて、不幸をもたらす力を、はるかに多く持っている、ということが出来るのだ。

ちなみにこのような考え方は、治療的な不可知論であり、いわゆる「弁証法的構築主義 (I. Hoffman, M. Gill) の考え方とその本質は同じである。でもここで示した治療観は、臨床経験から来る素朴な実感であり、理論とは無関係である。