2010年10月24日日曜日

上から目線の国

ふと思うのだが、(というよりいつも思っているが)日本って、上から目線の国だね。先輩が、年上が、上役が、後輩に、年下に、部下に上から目線で話す。それは端的に言葉に現れる。日本語は尊敬語、丁寧語、謙譲語しかなく、「卑下語」「軽蔑語」などないのだが、尊敬語、丁寧語を使わないという形で区別をする。上から目線の国である、ということは同時に下から目線の国でもある。上から目線の人には、下から目線で対応することになっているからだ。これって文化にあまり貢献していない気がする。貢献しているとしたら、上から目線で話しかけられることに疲れ、「自分だってアイツの立場になってやる!」と頑張ることくらいか。でも今度は自分が上から目線で話すことになるのだから、変わらない。
上から目線の文化では、上から理不尽なことを言われても、容易に反発できないということが生じる。そうすることは生意気だからだ。(ちなみに「生意気」という表現、英語にはなかなか見つからないのである。少なくとも日本語で意味するところの「ナマイキ」は。)年下は、後輩は「雑巾がけ」をしなくてはならない。正論は通じず、年上の理不尽さがとおる。
私なこのことを、50歳代になってつくづく感じる。私が無理を言っても簡単に通ってしまうような状況にいることが多いことに気がつく。でも私よりシニアな人たちばかりの世界に行くと、やはり上から目線を感じるのだから、やはり少しも状況は変わっていない。特別私が賢くなって人徳が出て、子供扱いされなくなっているということはありえないのだ。
私は日本社会での叱責や、お説教や、望んでもいないアドバイスのほとんどが、上から目線で行われ、立場が上の人間が「上から目線で理不尽なことを言う」という権利を行使しているに過ぎないと思うことがある。
欧米社会を例に出すのはすこしイヤらしいが、例えば英語の社会は、タメ口の社会であるから、この上から、下から、というのがあまり働かない。彼らのものの言い方はまるで上から目線なことが覆いが、応える方も同じように上から目線なのだ。上からに対して上から、という形で釣り合いが取れている。アメリカで生活していると、実際の年齢を問題にされることが本当にない、ということもその証左だろう。人種も違い、文化も違うところから人が集まっているから、年齢の差など問題にしていられないのだ。そのせいでかなりフェアな、しかしシビアな関係が展開している。フェア、というのは年上から理不尽なことを言われなくていいという意味でだが、シビアなのは、年下だっておかしいと思うところはどんどん付いてくるからだ。
私はつくづく思う。50代以降に日本にいられるのは幸せである。