2010年9月8日水曜日

親子の関係 1. 「もうそういうのやめようよ」

私と神さんは今子離れの練習をしている。つい先日こんなことがあった。夏休みを過ごしていた息子が関西の下宿に戻った。私と神さんはこれに全然慣れていない。20年間うちにいた息子が、一時的にではなく、休みのような例外をのぞいては、ずっと家に居なくなる、ということの実感が湧いていないのだ。
息子が下宿につく頃にはさっそく神さんは息子を子供扱い(まあ、実質的にまだ子供なわけだが)するようなことを言い出す。「昨日は炎天下を長い時間並んで席をとってサッカー観戦をしたのだから、今朝も相当疲れた顔をしていたわ。下宿に帰ることに熱でも出しているかも知れないわね。あの子は小さい頃からそうだったんだから。」そしてそれとなく様子を伺うメールを打つ。これを息子は当然無視。もう神さんは過剰に不安になっている。「きっと熱を出して寝込んでいるのよ。」そして嫌がられるのを覚悟で、夜遅くケータイを鳴らすがこれまた無視される。留守電を入れておくが返事なし。
私にも神さんにも、彼がことさら私たちの「安否の気遣い」を無視しているというのはどこかで分かっている。それでも心配なのだ。
翌日神さんは「もう絶対に熱を出して起きられないのよ。今日から実習に行くと言っていたのに。」それから何度かメールを出し、とうとうその日の夕方には私自身がケータイに電話をし、出ないので留守電を入れたがこれも返事なし。
息子は母親の頭の中で何が起きているのか分かっていて、とにかく放っておいて欲しいのだろう。なにか余計な心配をされていること自体が煩わしいのだろう。それを分かっていながら、神さんはこんなことを言う。「あの子がここまで私を心配させることはなかったわ。やっぱり何かが起きたのよ。」
翌日になり神さんは、「これから新幹線で下宿に様子を見にいくわ。きっと電話に出るどころじゃないのよ。」といい、息子の身に何かがあったことをもう疑っていないようである。そしてそれを止める立場にある私も「うん、そのほうがいいかも知れないね。そう決めたら早いほうがいいよ。」などと言っている。実は私も心配しているのだ。神さんはもう返事はないだろうと思いながら「これからそちらに行くからね・・・・」と電話を入れる。するとそれを聞いた息子はたちまち電話に出る。さすがに下塾にまで押しかけてこられるのはたまらない。そして冒頭のセリフとなる。「あのね、こういうのやめようって言ったじゃない。」こりゃ名ゼリフだ、いやどこかで聞いたことがあるな、と思った。
実は同じことがこの春に起きたのだ。息子が初めて下塾に行くという時、「無事についたのか」と急に神さんはワケもなく心配になり、安否を気遣うメールや電話をしたのだ。返事を面倒臭がった息子は、ますます不安に駆られた神さんに、とうとう「子供扱いをしているような電話にはもう応じないからね」という意思表示をしていたのだ。
もちろん息子の方も、ひとこと「無事」であることをメールででも送ってくれば済むのだ。しかし私としてはこれには苦笑するしかない。私自身がまったく同じことを、ある意味ではもう30年以上も自分の親としているのだから。私もまたものの見事に心配する親を無視し、連絡を長く取らずに世界の各地をうろつき、「こうやって親を鍛えなきゃ」などとうそぶいてきた。

ある意味では親との関係が近すぎるから、ことさら連絡を取りたくないし、心配する親をますます無視し続ける。その意味で親離れしていないといわば、その通りなのだ。それにしても息子は既に私の上を言っていると思う。私が彼の年の頃にまったく同じことが起きたときに、私は激怒したものだ。「まったくどうしてそういうふうに、子供扱いをするの!」(実はまだ子供だったのだが。)
それに比べて関西の下宿でケータイに出た彼は、カミさんに対して余裕で苦笑していたというのである。あるいはそれも無理もないかも知れない。「こういうのやめて」とたしなめられた神さんは、ワケも分からず「よかった、よかった、無事で・・・・」と繰り返すだけだったからだ。