2010年9月2日木曜日

怒らないこと 7. むしろ「怒ること?」

今日も・・以下同文。
あすは仙台まで日帰り出張。

いつもの小沢さんワッチングも兼ねた、怒りの問題。

小沢さん、戦っていますね。何か吹っ切れた様子。困ったものです。
まったく私の勝手な解釈かもしれないが、対人恐怖的な足枷が取れて、ある意味では素(す)の小沢さんが出ている感じだ。素の自分とは、子供のような自分。物心がついて、思春期になり、強烈に人を意識するようになって以来、少なくとも社交場面では失われがちになった、闊達な自分、童心、ということである。ここら辺は「対人恐怖者の言語」に馴染みのない方にはわかりにくいかもしれないが、すでに何度か書いたとおり、対人恐怖傾向のある人が、怖さを乗り切れるのは、相手に対して怒っているときなわけだ。小沢さんは好敵手である菅さんに挑発され、ねじを巻いてもらっているわけである。(昨日も共同記者会見で、菅さんに言われていた。「あなたが国会でずっと最後までやっているのを想像できない」、とかなんとか。でもあれは、「私はもう20年前にそれをやりました」、という小沢さんの余裕綽々の応酬にあっていたが。)

なぜ小沢さんが対人恐怖傾向の持ち主なのか。この間テレビで、しばらく前に瀬戸内寂聴さんと対談したときの様子が放映されていた。小沢さんが年上の人に向かって話していた様子は、彼が強者として振舞う相手には絶対に見せない顔だった。「私はもともと口下手で、人前に出るのは苦手なんで・・・・」という時の彼は、本当に気弱で引っ込み思案という印象を与えていた。
多くの対人恐怖研究者ときっと意見が異なると思うが、私は対人緊張になりやすい人の一部は、実際に口下手、言葉がスムーズに出てこない、顔がこわばる、あるいは身体に何らかの特徴があるなどの問題があると思う。

小沢さんも決して滑舌はよくないし、大事な話となると、まるで原稿を読んでいるような味気ないスピーチになる。(滑舌の悪さではひけを取らない私には、それはよくわかる。)話の内容は、理論的、というよりは紋切り型、スローガン的。何しろ小沢さんが一番生き生きとするのは、恫喝しているときなのだ。マスコミ関係から鋭い質問をされることは、小沢さんを怒らせる。何しろマスコミの記者たちを見下しているから、そんな人にうるさく言われるのは耐えられないからだ。そういう時彼はキレて表情が変わるが、すると対人緊張の重い扉はぱっと開いてしまう。後は「あんた方マスコミがそうやって書くからでしょう?」などという、耳を疑うようなセリフが出てくるのである。自分に向けられた批判を誰か別の人の責任にすり替える素早さは、天才的と言っていい。(その時多少滑舌が悪くて言いよどんでもいいのである。情緒的なインパクトが強すぎて、相手はそれだけで圧倒されているのだから。)
よくそれまで人前で少しも怖気づくことがなかった人が、何らかの問題をきっかけにして、すっかり人前に出るのが怖くなってしまう。それはたとえば声のかすれ、チック、顔面痙攣、などなど。治療によりそれらの問題が解消すると、もとの開放的な人付き合いを開始するというパターンを臨床上よく目にするのだ。

私が一番面白いと感じる、「恥ずかしがりの目立ちたがり屋」は、両方の傾向が矛盾するだけに、その人の行動を極端なものに走らせ、周囲を巻き込むということが起きる。憎めないのだが、困った存在でもある。