2010年8月28日土曜日

怒らないこと その4. 怒ることは蜜の味

「今日も暑い」はもう書き飽きた。 NHKを見ていて思うのだが、女性キャスターやアナウンサーは、絶対美人を使っているよね。アタリマエか。従来NHKだけが、「女子アナは美人が好ましい」という命題を認めないような採用の仕方をしていたようだが(そして男性アナに関しては、未だに「人間、見た目ではないよ」を感じさせるような人材を起用しているようである)、最近はお天気お姉さんにいたるまで、”better looking, the better” への方針転換をあからさまにしているようである。
美人女子アナ、美人キャスターの起用はしかし、 決して世の男性のためだけではない。女性にとっても、子どもにとっても、整った、若い女性の顔は、見ていて心地よさを生むのだろう。だからその表紙の雑誌を手に取り、買い物カゴに入れたくなる。それは、どうしてか? それが赤ちゃんにとって一番癒される顔というわけだろう。十分に若く、笑顔が美しいお母さんのもとで、赤ちゃんは健全に育つ可能性がより大きくなるのだ。そして私たちは老若男女を問わず、その赤ちゃんの頃の「好み」を一生持ち続けるのだ。それが雑誌の表紙を飾るというわけである。(アエラのみ例外。)
コンビニの雑誌売り場にならぶ雑誌の数々。どれも表紙は若い美人の笑顔なのは、壮観でもあり、またその画一的なところは、ちょっと不気味ですらある。たまには100歳のおばあちゃんの顔が並んだっていいではないか? でもそうならないのには、私たちの中の赤ちゃんがそれを許さないからだ。(100歳のおばあちゃんは、赤ちゃんを抱っこすると手が●●●てうっかり●●●てしまうかも知れないではないか。)それに比べて若い男性の整った笑顔など、ほとんど価値なし、だ。赤ちゃんは別に若くて整った顔の男性に抱っこして欲しくないのだ。そもそもいつもお父さんに抱っこされている赤ちゃんは胸騒ぎがしてもおかしくない。だってそれはお父さんが働かずにうちにいるということだから。お父ちゃんは抱っこしてくれなくていい(とは、言い過ぎか?)

いつもの小沢さんワッチング(彼は強者だから、批判していいのだ)ニュースにあった。 「古賀氏は菅首相に電話し、「一致結束した体制を築けないか」と要請。首相は「その通りだ」と答えたという。 続いて、連合を訪れた小沢氏にも同じように働きかけたが、小沢氏は「そう思っていたが、(首相に)そういう意思がないということなので」とさらり。」

まったくよく言うよ。小沢さんは、自分への批判を人のせいにするのは、天才的にうまいのだ。ただしここにはほんの少しの真実があるらしい。菅さんが要職は小沢さんや小沢派の人に譲るつもりがなかったのだ。 それにより「友愛の鳩山さん」(やはり宇宙人だ!!)の工作は失敗。でも小沢さんには好機到来だろう。自分が首相に手を上げる口実がより確かなものになるのだから。菅さんにしてみれば、小沢さんに牛耳られる首相職などいらない、ということか。こちらも相当根に持つタイプだ。ただし相手をあらゆる手を使ってねじ伏せる力は、はるかに小沢さんの勝ち。

さて「汝怒るなかれ」のメッセージがなぜ一般受けしないのか、という問題だが、何と言っても怒るという行為はカタルシスになるし、気持ちよい行為であることが少なくないからだ。このタイトルにあるように、怒りは楽しい。人を怒鳴り散らすのは蜜の味だ。スマナサーラさんの本には、「怒りの人生に喜びはない」と書いてあるが、人に対して怒りまくることは、実は快感のもとにもなりうる。ただしそれが同時に激しい後悔や自己嫌悪を生む可能性があるのは、怒りが人を破壊し、傷つけるさまを目にするからだ。そして相手に怒りを向けている自分自身が持っている理不尽さや残虐性などに思いを至らせ、それが後ろめたさを生む。

怒りが苦しみを伴う可能性はもうひとつある。それは自分の怒りの表現が、たちまち相手の怒りをあおり、それがあまりにパワフルなために結局劣勢に回ってしまう場合だ。つまり怒りの表現が、結果的にさらなる憤懣を募らせる場合である。「この怒りたくても怒れないことに怒っている」という怒りは、これほど不快で苦しいものはない。

だから相手を破壊しても少しも後悔や後ろめたさを感じないような人や、自分の怒りが誰にも制止されずに果てしなく相手を破壊しつくす場合には、怒りはさぞかし快感だろう。暴君や専制君主はこの「怒りをいくらでも楽しめる」数少ない人たちだ。反社会的で自己愛的なリーダーにとっては怒りは蜜の味なのである。

そういえば某大国のカリスマでこんなことを言った人がいたな。「わが国は核の一つや二つを落とされても平気だ。人口が多すぎるくらいだから。」

そう、「汝怒るなかれ」は、実はもう少し怒っていいのに怒りを表明できないでいる敏感で優しい人たちにしか理解してもらえないのだ。なんとも皮肉なものである。