2010年8月12日木曜日

失敗学 12 「本来の実力」ってなんだ?

日本列島に嫌がらせをしているような台風4号の動き。

また失敗学に入り込んでいる。相撲やゴルフなどでよく出てくる表現。「自分本来の相撲が取れなかった。」「実力が出しきれなかった。」これらはいずれも目くらましの、私たちの思考をひどく混乱させる表現だが、広く用いられ、しかもわかりやすい。人はこのような言い方にあまり疑問を持たない。石川くん君が「本来の力」を出したら、ゴルフの大会でかんたんに優勝するかもしれない。しかし「自分の力を出し切れなかったら」予選落ちをしてしまうというわけだ。
ではどのような時に本来の実力が出せるかと言えば、高いスコアをマークした時にそうであった、と後からわかるというわけだろう。でもこれってトートロジカルだ。実力が出たかどうかは、高いスコアが出ることでわかる。他方では、高いスコアが出るということは実力が出た証拠である …・
このことから分かるとおり、失敗学に基づかない思考は、本質主義的だ。つまり遼くんのゴルフの実力というものが、あたかも実態を伴ったように想定される。でも少しでもゴルフというスポーツを少しでもしたことのある人は、それが非常に揺れ幅の多い、蓋然的なものであるということを知っている(スミマセン、偉そうで。実は私はゴルフをしたことがありません。)

失敗学はもうひとつのテーあである不可知論につながっていて、そもそも実態を伴った「実力」を信じない。実力とは失敗学的には、「失敗」を起こしにくいこと、と言い直すことができようが、失敗がそもそも確率論的なものでしかない以上、実力も同じように理解される。すると実力とはむしろゴルフの選手の平均の飛距離とか、パターの回数とか、平均のストローク数などで表される。もし遼くんの平均ストローク数が、69で、普通のゲームでの順位が、5位だとしよう。すると遼くんが5位になったゲームで、始めて彼は実力を出したということになる。しかも偶然。

今年の5月に、遼くんが58ストロークという驚異的な記録で優勝したとき、彼はこういうべきだったのだ。「今日はまぐれにまぐれが重なり、実力とは別のスコアになりました。お騒がせしました。」