2010年8月7日土曜日

不可知性 その1.フランスのたけし人気

ということで、いっそこのテーマにしてしまおう。失敗についてもいつの間にか結構書いたし。不可知性。Unknowability. 面白いなあ。普通は別に面白くないか? 結構長くなる気がする。
たけしがフランスで人気だそうだ。彼の映画はファンがたくさんいて、彼は巨匠扱いだそうな。彼のことを聞いて私は不可知性のことをごく自然に考えてしまう。「パフィー」がアメリカで受けている、という話を聞いたときもそんなことを思った。
不可知性ということと、人気ということ、ヒット曲、株価の上昇降下、結晶の形成、臨界状態、・・・・・みな繋がっている。複雑系という糸によって。私たちが住んでいる世界とは一種の臨界現象であり、ちょうど食塩の濃度が増して、どこかで塩の結晶ができはじめるような段階にあると言ってよい。そこではどこで結晶が形成され、大きくなっていくかはおそらくきわめて偶然に左右される、そういうことだ。
どうして私たちの生きている世界が臨界点にあるかといえば、臨界点に達している事柄に関して大きな動きが生じる可能性があり、私たちの関心を呼ぶからだ。相転移の生じないような状況、たとえば世界にまれに見る平和な時代であった江戸時代などは、政治体制という意味では相転移は起きず、そしてドラマのテーマにもならなかった。でも最大の相転移が訪れた幕末は、めまぐるしい出来事が生じ、一瞬先もわからない動乱を経て、数限り無いドラマが生まれた。私たちの興味や関心はそういうところにばかり向かうから、結局世界の動きは常に臨界現象ということになるわけだ。

そこでたけしの話だ。彼の何かがフランス人の映画評論家の心をつかみ、彼を評価し、そこから結晶が生み出されたのだろう。人気は途中から一人歩きをする。皆が注意をそれに向けたということは、それが人気を得るということになり、あとは自動的に、これまた予想不可能な地点まで結晶が育つ。他人がいい、と認めたものは、自分もそれを認めたいと思う。それにより自分も仲間に加わりたいからだ。それと実際に「いい」と感じることとは、意外なほど近い関係にある。かくしてたけしは映画監督としてすごい、ということにフランスではなった。日本ではさほどそうではなく、むしろ「あのフランスで認められているのだからすごいはずだ」というふうに評価されるというところがナサケけない。

そういえば日本においては少なくとも何が人気を博するかは、不可知とは言えないぞ。欧米、特にアメリカですでに流行ったもの。これが少し遅れて日本でも流行る。本当の意味で予想不可能で奇想天外なことは起きないというのが私たち日本社会なのだろうか?