2010年8月31日火曜日

治療論  その2   直面化を促すのは、不可知的な「現実」である

今日も暑・・・・・以下同文。
小沢さんワッチング:もう小沢さんはヤル気である。そして私の理解では、小沢さんは怒っていて、誰も彼を止めることはできないということだ。菅さんにあそこまで言われて、彼は怒り心頭に発しているであろうし、彼はそうなると大人しくしていることなど不可能だろう。

プライドを傷つけられた時の怒りはそれこそどのような行動も取ることができる。ある意味では怒っている小沢さんはものすごい行動力を示し、水を得た魚のような状態なのであろう。一番活き活きとしている、というべきか。そしてそれは基本的には相手を破壊して、党を破壊しても止まらないかも知れない。怒りは蜜の味、とは彼のためにあるようなものではないか。

今日は堅苦しい治療論だが、小沢さん行動パターンを見ていると、結構そこに病理を感じる。しかし彼は決してカウンセリングなど受けることはないのだ。
禁欲原則の話にはいくらでも続きがある。誰が患者に直面化を促すか、という問題だった。
こんな例を考えてみよう。私がある患者Aさん(30歳代後半の男性、とでもしよう)と治療関係にある。彼は常にあるジレンマに悩んでいるとしよう。(ちなみにこれは創作である。私の現在のクライエントさんの誰も、自分のことを言っていると思われないような例にする。)Aさんはいつも自分の身の丈より一歩高い目標を持ち、それが実現するつもりになり、実際に挑戦しては失敗して失望することを繰り返す。そして「自分はどうせ駄目なんだ、取るに足らない存在なんだ」と落ち込む。その挑戦とは、たとえば就職活動でも、論文を応募するのでも、異性に声をかけるというのでもいい。いつも期待をふくらませては失敗し、死にたくなってしまうという繰り返しのAさんは、自分を見つめ直したくて私との治療を開始したとする。

治療者として週に一度Aさんと会っていると、おそらく彼のこのパターンが繰り返されていくのを私は目のあたりにすることになる。彼は理想的な自己イメージを思い浮かべ、失敗をして落ち込むというプロセスを実況中継のように報告するかも知れない。そのプロセスを彼と一つ一つ見ていく。その際、分析的な立場だったら概ね禁欲原則に従って、Aさんが夢を追うことを勇気づけたり褒めたりせずに、彼が陥っている病理、例えば現実の自己像を否認する傾向、それにより他人を見下したい願望や、一気に立場を逆転させて勝者になりたいという願望を指摘する、ということになる。確かに教科書的にはそれが治療の王道なのだ。

さてAさんの治療者としての私はどうするだろう?おそらく20年前ならこの禁欲原則に従った治療を行ったかも知れない。でも今なら違う。どのように違うかはよくはわからない。ただ禁欲原則とは全然違う関わりを持つであろうことは確かだ。

そもそも30歳代後半まで繰り返したAさんの行動パターンは、治療などで大きく変わりはしないと考えたほうがいい。治療者との出会いがよほど大きなインパクトとなり、彼の人生観を変えるに至るのでない限りは同じことが続くだろう。そして私がAさんに「また同じ過ちを繰り返そうとしていますね。」と指摘することは、おそらくそれが直接間接に周囲から指摘され、そして何よりも彼自身がそれを自分自身に呟いているであろうから、あまり新しいメッセージとして彼の心に響く可能性は少ない。
私はおそらくAさんの行動パターンをいろいろな角度から見ようとするであろう。Aさん自身も、周囲の誰も思いつかないような説明の仕方を試みるかも知れない。そのプロセスでAさんが本当は人から評価されたことがなく、その為に他人をあっと言わせたいと思い、本来は自分が不得手なことにまでも力を注いでいるということが見て取れたら、私はAさんが自分らしさを自然に発揮できるような能力を一緒にさがそうとするかも知れない。彼が評価してもらえなかったことを評価することもあり得るだろう。そしてもちろん彼がどうしても見ようとしない問題点があったら、そのことも指摘するだろう。要するに…… 治療はとても「禁欲原則」で縛られてしまうべきものではないのである。

一つここで明確にしておきたいのは、Aさんが自分の行動パターンを変えるほどのインパクトを与えるのは、残念ながら治療者の言葉ではない可能性が高いということである。治療中にあっても、Aさんは同じ問題を行動に映し続けるであろう。彼はAさ結局は同じ行動パターンを繰り返しながら、現実と行き当たって学ぶことを通して変わっていくのである。治療者はそのプロセスを一緒に体験し、考えることしかできないというのが正直なところなのだ。
最後に小沢さんがカウンセリングをしていいる場合を考える。やはり今回のような、民主党を壊しかねない行動を抑えることなどカウンセラーには不可能なのであろう。彼は現実に突き当たってもうこれ以上動けないところまで突き進み、何かを掴みとり、そして何かに失望する。カウンセラーはおそらくそれを見守ることしかできない。でも治療者が患者の人生を変えようと思うことそのものが、僭越と言われても仕方がないことなのだ。
ところで「これじゃ治療者の役割などないのではないか!」と言われそうである。その人にはこういう言い方をすることにしている。家、貴方にもチャンスがあります。貴方の治療者としての関わりが「現実」となれば、それは治療的なインパクトを持つ可能性があるのです。

2010年8月30日月曜日

治療論 その1 禁欲原則の功罪

「毎日、暑 ……」 以下同文。

●●さん。いつかはフランス留学を再開いたします。一応見出しとして出ている以上、忘れないことになっています。

ある高名な分析家の先生が次のようなことを書いてある。「精神分析とは患者の願望を満たしてはいけない。褒めてもいけない。治療者は患者さんが見ることを避けていた無意識内容に直面化するのを手伝うのだ。そうして患者さんと一緒に一番辛い体験を扱っていくのである」。いわゆる禁欲原則の考え方である。でもこれって、治療本来のあり方だろうか?何かが違う。それが私の立場である。
この問題、どうでもいいと思っている治療者も多いが、私には無視できない問題である。精神分析を一生の仕事と考えていた私としては、治療とは何か、人を助けることとはどういう事かについて、常に考えてきたが、このフロイトの原則をどのように捉えるかはもう30年来の重大な問題である。フロイトが100年前に提案した原則など、どうでもいいのではないかと思うかも知れないが、治療者の中にはこの原則をかたくなに守ることで、本来の治療者としての力を発揮できない場合があるので深刻なのである。
日常生活での体験も、学生やバイジーさんとの体験でも、私は厳しいことをほとんど言わないし、また言えないでいる。また相手を正直な気持ちで褒めたり評価したいようなことがあれば、おそらくかなり頻繁にそれを口にすると思う。つまり禁欲原則とは逆である。それはなぜだろう、と考える。それで一つ思い至ったことがある。そこでこんなテーマで書いているのだ。
もちろん学生やバイジーさん、患者さんに注文したいことは時々ある。「それはちょっとどうかな」と思うことも実はよくある。それを言わないとすれば、その一番の理由は、それにより患者さんやバイジーさんが落ち込んでしまうからだ。もちろん患者さんが一時落ち込むことは、その後の成長につながるかも知れない。でもそれが一種の抑欝的な反応を引き起こし、その間患者さんの精神的な活動が冷え込んでしまうことの方がより心配になってしまう。他方長所を指摘し、評価することは彼らに生きるためのエネルギーを与え、彼らが自らを見つめるための精神的な余裕を持つことにも繋がる。そう、治療とは相手の自己愛をいかに守りつつ治療者としてのメッセージを伝えるか、という綱渡りなのである。禁欲原則とは、そこら辺の微妙な問題をかなり大胆に切り捨てた原則なのだ。

2010年8月29日日曜日

怒らないこと その5.  恩返し? 鳩山さん、そりゃないよ。

例によってインターネットで拾ったニュース記事だ。

YOMIURI ONLINE (2010年8月28日) 党内に「鳩山氏は出しゃばりすぎ」との声も
「ロシア訪問中の鳩山氏は27日、代表選で小沢氏を支持すると表明した理由について、モスクワ市内で記者団に『小沢氏は政権交代を導き、私を首相へと導いた。その恩には恩返しするべきだ』と説明した。」
ハッキリ言って、鳩山さん、バッカじゃないの? (`×´)
先ごろ強者には怒っていいのだ、ということを書いてから、強者に対しての怒りを色々と書きたくなってきた。それにしてもネット上とはいえ、「バッカじゃないの?」とは品のない言葉だ。職業柄、患者さんにも、院生にも、特にカミさんにはそんなことを言ったら大変なことになるし、そもそもそんな言葉など頭に浮かばない。でも著名人には結構辛らつな言葉が出る。特に政治家。それほど私は鳩山さんや小沢さんを強者と思っているし、サンドバッグのように扱っていいと思っているのだ。(強者、弱者という言い方は、イヤらしい言い方だが、その背景はすでに説明したとおりだ。強者側が弱者側を搾取し、ハラスメントをしおおせるような関係をこう呼んでいるのである。虐待者、被虐待者といってもいい。いつもの例で申し訳ないが、もし鳩山さんが不眠症で私のもとを訪れたら、私は二度と鳩山さんのことを「馬鹿みたい」とは言えなくなる。彼は私のクライエントになるからだ。すると今度は、鳩山さん、あなたが不眠症だというスキャンダルを私は握っていますよ。と彼の弱味に漬け込んだり脅したり出来ることになってしまう。ちなみに私は不眠症が弱味になるとは思っていないので・・・・念のため。)

冒頭の記事に戻る。「恩返しをする」のは、鳩山さん、あなたの個人的な事情でしょ?だったらその人が総理になる資質がなくても、お世話になったらなってもらうの? どうして国民が本来選ぶべき総理を、そんな個人的な事情で決めようという発想がわくのだろう? それでいて他方では「国民の皆様のために」政治をやっているとか言っているのである。この矛盾って小学生でも感じ取ることができるんじゃないか?

ついでに言えば、「鳩山氏は出しゃばりすぎ」という議員も、もし公の席で言っているとしたら、鳩山さんとまったく同じレベル、という気がする。「アイツ、出しゃばり」というのも個人的感情でしょ?つまり「本当は僕も目立ちたいんだけれど、あいつばかり目立っている。クヤシイ!」もちろん心で思うのは自由だ(というより人間はたいていはそのレベルの感情で動いている)が、鳩山さんの発言を批判する理由としては全く的外れだろう。国際感覚欠如、とは言わないまでも、まったく「村社会の論理」に浸りきっている。そこには義理、人情、恩、和などが先行し、理性や個人が従属したり無視されたりする。実際は政治家の社会は閉鎖的だし、そこでは村社会の論理が支配することは分かっている。でもそれがまずいことを知っているから、公的にはそんなセリフが出てきてはいけないんでしょ?

でもこの「村社会の論理」は、日本人のメンタリティの根底にあって、私はそれが好きなのだから皮肉なものだ。私はどこに行ってもおおむね細やかな配慮の行き届いたこの社会にいられて幸せだと思う。でもその日本人のメンタリティのかなりの部分は盲目的な、相互信頼と相互犠牲に基づいていて、それはお互いの自由と自立性を相当に縛ることになる。

青山通りを歩いていて100円玉を落として気がつかずに立ち去ろうとしたとする。それを拾った人は私を追っかけてきて渡してくれるかもしれない。もし拾った人がそうしなかったとしても、私を追いかけるのが、照れくさく、恥ずかしかったからだけだろう。そういう人はそっとその百円玉を間近の歩道の縁石あたりにおいて行ってしまうのだ。「僕はネコババなんてしませんよ。」と自分に言い聞かせて。そういう日本人は私はとても好きだ。ほぼ百パーセント、お金が拾った人のポケットに消える社会に長年いたからだ。

ここでの心の動きは「村社会」的である。人のお金を取ってはいけない。だから追いかけてでもお金を渡すべきだ。なぜなら人はお互いに助け合って「友愛」の精神で生きていかなくてはならないから。そのような友愛の社会においては、人から受けた恩を忘れないということは絶対であり、そこには自己犠牲はあって当然である。ところで・・・・・もちろん私がお金を落としたら、人はそれを拾ったら私のもとに届けてくれてしかるべきである。人もまた私のために、自己犠牲をしてしかるべきだ。そういう社会を築かかなくてはならない。もちろん二酸化炭素の排出量を率先して抑えなくてはならない。自分からそういう姿勢を示すべきだ。25パーセント! え?アメリカは日本を頼りにして、相互平和に向けて精いっぱいの努力をしてほしい?もちろんです。沖縄のことでも力を注いでほしいって? もちろん。 トラストミー! あれ、沖縄村に行ったときは、彼らに「トラストミー」っと言ってしまった。どうしよう。彼らは全く別のことを言っているのに。まあいいか、皆の幸せのために精一杯努力をし続けてくれば、みなその姿勢に感動して許してくれるだろう。・・・・・これじゃアメリカ人じゃなくても「宇宙人」と思うのではないか。

不可知性との関連で。鳩山さんは人は皆「友愛の精神」で結びついていると思っているし、その意味では他人の心は読み取れるはずだ。その精神に従わない人は間違っているのであり、友愛の精神が足りないからだ。これはおそらく他人を不可知とみなすこととは全く逆であろう。さもなくばこう考えるはずだ。「100円玉を拾った人の心になにが起きるのかは本当は分からない。でも最終的に落とし主にお金が返るような社会を作るためには何が必要かを皆で考えよう。」

ちなみに人の心を想定内にとどめようとしている鳩山さんを「宇宙人」(つまりその心が計り知れない)と呼ぶセンスは悪くないのだろう。

うーん。結局、私は別に鳩山さんに対して怒っているわけではないらしい。ただ呆れているだけである。

2010年8月28日土曜日

怒らないこと その4. 怒ることは蜜の味

「今日も暑い」はもう書き飽きた。 NHKを見ていて思うのだが、女性キャスターやアナウンサーは、絶対美人を使っているよね。アタリマエか。従来NHKだけが、「女子アナは美人が好ましい」という命題を認めないような採用の仕方をしていたようだが(そして男性アナに関しては、未だに「人間、見た目ではないよ」を感じさせるような人材を起用しているようである)、最近はお天気お姉さんにいたるまで、”better looking, the better” への方針転換をあからさまにしているようである。
美人女子アナ、美人キャスターの起用はしかし、 決して世の男性のためだけではない。女性にとっても、子どもにとっても、整った、若い女性の顔は、見ていて心地よさを生むのだろう。だからその表紙の雑誌を手に取り、買い物カゴに入れたくなる。それは、どうしてか? それが赤ちゃんにとって一番癒される顔というわけだろう。十分に若く、笑顔が美しいお母さんのもとで、赤ちゃんは健全に育つ可能性がより大きくなるのだ。そして私たちは老若男女を問わず、その赤ちゃんの頃の「好み」を一生持ち続けるのだ。それが雑誌の表紙を飾るというわけである。(アエラのみ例外。)
コンビニの雑誌売り場にならぶ雑誌の数々。どれも表紙は若い美人の笑顔なのは、壮観でもあり、またその画一的なところは、ちょっと不気味ですらある。たまには100歳のおばあちゃんの顔が並んだっていいではないか? でもそうならないのには、私たちの中の赤ちゃんがそれを許さないからだ。(100歳のおばあちゃんは、赤ちゃんを抱っこすると手が●●●てうっかり●●●てしまうかも知れないではないか。)それに比べて若い男性の整った笑顔など、ほとんど価値なし、だ。赤ちゃんは別に若くて整った顔の男性に抱っこして欲しくないのだ。そもそもいつもお父さんに抱っこされている赤ちゃんは胸騒ぎがしてもおかしくない。だってそれはお父さんが働かずにうちにいるということだから。お父ちゃんは抱っこしてくれなくていい(とは、言い過ぎか?)

いつもの小沢さんワッチング(彼は強者だから、批判していいのだ)ニュースにあった。 「古賀氏は菅首相に電話し、「一致結束した体制を築けないか」と要請。首相は「その通りだ」と答えたという。 続いて、連合を訪れた小沢氏にも同じように働きかけたが、小沢氏は「そう思っていたが、(首相に)そういう意思がないということなので」とさらり。」

まったくよく言うよ。小沢さんは、自分への批判を人のせいにするのは、天才的にうまいのだ。ただしここにはほんの少しの真実があるらしい。菅さんが要職は小沢さんや小沢派の人に譲るつもりがなかったのだ。 それにより「友愛の鳩山さん」(やはり宇宙人だ!!)の工作は失敗。でも小沢さんには好機到来だろう。自分が首相に手を上げる口実がより確かなものになるのだから。菅さんにしてみれば、小沢さんに牛耳られる首相職などいらない、ということか。こちらも相当根に持つタイプだ。ただし相手をあらゆる手を使ってねじ伏せる力は、はるかに小沢さんの勝ち。

さて「汝怒るなかれ」のメッセージがなぜ一般受けしないのか、という問題だが、何と言っても怒るという行為はカタルシスになるし、気持ちよい行為であることが少なくないからだ。このタイトルにあるように、怒りは楽しい。人を怒鳴り散らすのは蜜の味だ。スマナサーラさんの本には、「怒りの人生に喜びはない」と書いてあるが、人に対して怒りまくることは、実は快感のもとにもなりうる。ただしそれが同時に激しい後悔や自己嫌悪を生む可能性があるのは、怒りが人を破壊し、傷つけるさまを目にするからだ。そして相手に怒りを向けている自分自身が持っている理不尽さや残虐性などに思いを至らせ、それが後ろめたさを生む。

怒りが苦しみを伴う可能性はもうひとつある。それは自分の怒りの表現が、たちまち相手の怒りをあおり、それがあまりにパワフルなために結局劣勢に回ってしまう場合だ。つまり怒りの表現が、結果的にさらなる憤懣を募らせる場合である。「この怒りたくても怒れないことに怒っている」という怒りは、これほど不快で苦しいものはない。

だから相手を破壊しても少しも後悔や後ろめたさを感じないような人や、自分の怒りが誰にも制止されずに果てしなく相手を破壊しつくす場合には、怒りはさぞかし快感だろう。暴君や専制君主はこの「怒りをいくらでも楽しめる」数少ない人たちだ。反社会的で自己愛的なリーダーにとっては怒りは蜜の味なのである。

そういえば某大国のカリスマでこんなことを言った人がいたな。「わが国は核の一つや二つを落とされても平気だ。人口が多すぎるくらいだから。」

そう、「汝怒るなかれ」は、実はもう少し怒っていいのに怒りを表明できないでいる敏感で優しい人たちにしか理解してもらえないのだ。なんとも皮肉なものである。

2010年8月27日金曜日

怒りについて その3. 思い出ばなし

このブログは気軽にサラサラと書いて、誤字などもあまりチェックせずに投稿することにしているので、頻繁に更新できるのだが、昨日はこの怒りの問題を考えていて、分からなくなった。 この怒りの問題、私自身が迷っていたり、分かっていないことなどがあまり多いということがわかった。
過去を振り返ると、豪快に怒り、他人を怒鳴りつける人を色々見てきた。私の父親も母親に対して時々かなりの大声をあげていた。さすがに手を上げたことはなかったが。父親は普段は温厚だったが、それだけに怒った時の表情や振る舞いはよく覚えている。しかし私は父親に怒鳴られたことも手を挙げられたことも一切なかった。ブツブツ小言を言われたことはなんどかあった程度だ。

やはり圧巻は、中学時代の教師たちだった。私の通った学校は進学校で、決して柄は悪くなかったが、ベテラン教師は怒鳴り方も堂に入っていた。それぞれの教師がスタイルを持っていて、それで一人前、という印象すらあった。
特に化学の教師の「プーさん」と言われる中年男性の教師は、柔道の有段者ということもあり、本当におそれられていた。授業の前に化学の宿題を忘れたことに気がついた生徒などは、蒼白になったものである。その雷鳴のような怒鳴り声と、金剛力士像そっくりの表情は、今でもありありと蘇ってくる。プーさんもその効果をよくわかっていて、悪さをした生徒に向かって、表情を曇らせ息を吸い込み、「あの雷が落ちるのか・・・」とクラスの皆が視線を落としたり身構えたりしている時に、「なーんてね」などとフェイントをかけ、皆の緊張が一気に和らいだりしたのだ。

理科の教師には怖いひとが集まるのか、Mという教師も恐れられていた。背は低いが器械体操をやっていて筋骨隆々だった彼は、理由がよくわからずに突然大きな声を出して怒ることで知られていた。一年に2,3度しか起きなかったが、いったん怒ると意味不明の言葉を発しながら生徒を飛び上がって殴る(背が低いため)という伝説がった。

大学ではさすがに授業中に怒鳴る教師はいなかったが、精神科医になると、よく大きな声をあげて後輩を指導する先輩医師がいた。患者が治療者側に対して示す怒りや暴力など、入院治療に携わるとそれこそ日常的に見られた。そしてアメリカ時代。入院病棟での患者たちは体格がよく、いったん怒りだした彼らもう凶器という感じだった。体格の劣る私など警備員を前に押し出してしか対応できないことが多かった。それもあってか、日本に帰ってからは、人が怒っているのを見ても、あまり怖くなくなった。

さて私はそれらの怒りの発露を興味深く見ていただけで、私自身が声を上げたことは殆ど無かった。思い出すだけでこの30年の中で二度しかなかった。一度は患者さんに、もう一度は家内に。どちらも思わず、というよりは「怒鳴ってみようか。どうなるかな。」という感じであり、ろくなことは起きなかった。それについては「気弱な・・・」で書いたことがあるので省略。

私自身人を怒鳴るという必要性を感じないということはラッキーなことだと思う。そして私が怒らないでいられる一つの理由は、私自身が怒鳴られ、こづかれ、いじめられ、無視されるという経験をしなかったことが大きいと思う。小学校から進学校に通うということは、それだけあからさまな暴力やいじめに暴露される機会が少なくて住んだということだろう。

ただし中学校は、基本的に生意気だった私は教師から殴られるという体験は一度や二度ではなかった。運動場の真ん中で、音楽の教師から16往復ビンタを食らったこともある。(間近で見ていたクラスメートが数えてくれていた。事情は省略)今考えれば私にとっては貴重な体験であった。自分が悪かったから仕方がないと思うし、それがトラウマになったという感覚はまったくない。

今政治の世界で色々考えさせられるのは、怒りを露にし、それを力にして政治の世界を生き抜いている民主党の小沢さんである。彼の怒りは決して人のためというところはなく、私憤そのものである。そして彼の怒りは強者としての怒り、恫喝という感じだ。彼は自分が一番偉いと思い、ライバルから挑戦を受けると猛然と腹を立てる。見ていて見苦しい限りだが、カタルシスがないわけではない。どこかにその動向を見ていたい、という気が起きる。イラ菅と剛腕小沢の一騎打ちは、政治家としてあるべき姿のほぼ逆だと思うが、それでも見ていて正直面白い。

「怒るなかれ」は私の信条だが、それはまた実行が非常に難しい課題でもある。人はどうしても怒ってしまう。それが周囲を怯えさせ、傷つけ、しかし同時に興奮させ、興味をそそる。「怒るなかれ」という信条に人は普通は興味をあまり示さないし、むしろ怒ることでそれだけ人生が分かりやすくなり、敵と味方が明確になり、自分の弱さや落ち度が曖昧になる方を好むというひとが多いのもまた事実なのであろう。

2010年8月25日水曜日

怒らないこと その3. 怒らないより大事なこと

今日はぎりぎりの更新であった。相変わらずの暑さ。ただ今日は●●さんが、「今日は月が綺麗」、と教えてくれた。
民主党というコップの中の嵐は相変わらずである。小沢さんて面白いな。「自分に対する立候補の要請については・・・・・」などと言っている。「この政治塾は、下世話な政治の話はしない」だって。この種のレトリックは生理的に受け付けない。

こうして小沢さんに対して批判的なことを書くのはなぜか。彼が強者で、私は弱者だからだ。弱者は強者を批判していい。弱者は強者からの蹂躙に身を守る手段を持たないから(というよりそれが強者、弱者の関係の定義だからだ)批判することが出来る。強者は傷つくのか?トラウマになるのか?私が小沢さんを批判して、その言葉を耳にした小沢さんが心に傷を負う、という関係であれば、既に彼は私(そして国民の大多数)に対して強者という立場にはないということになる。もし小沢さんが何らかの都合で、私の外来にやってきて、眠れないから薬を処方して欲しい、ということになり、患者さんになったとしたら、私は小沢さんに向かっての言動には、細心の注意を払い、傷つけるような言葉など一切言わなくなるだろう。それは私が彼に対して権力を乱用できる立場、すなわち強者になるからだ。
「汝怒るなかれ、ただし権力に対しては別である」って悪くないことだ。いかりや攻撃性は、依然として私たちの人生で、その正当な発露を持っているということだ。ただし・・・・・強者と戦うことは、者すごいむずかしいことでもあるのだ。

怒らないことについて書いているうちに、怒らないことより、戦うこと、の方が大切である気がした。だって怒らないことはそんなに難しくないが(言った、言った!)強い相手に戦いを挑むのは、勇気がいることだからだ。弱者に対して怒らないことと、強者に対して戦いを挑むことのどちらが人に貢献するかというと、恐らく後者ではないか。というのも強者をくじくことで恩恵を被る人は、自分だけではないからだ。というよりは強者と戦うことは、人のためにもなる分、自己犠牲的な行為だからだ。「蟹工船」なら、搾取するボスに戦いを挑むことは同時に、同じ立場にたって苦しむ仲間を解放することになる。
ところが私たちは怒らないで泰然自若をしている人の事を、強者に戦いを挑む人よりも尊敬し、理想化する傾向がある。すこしおかしな話である。何かそんなことを考えるようになってきたのは、とりあえずこのブログでこの問題を追っているからである。

2010年8月24日火曜日

怒らないこと その2. 龍馬の話に戻るまで

昨日の続きである。ちょっと長くなったが。

この世に強者、弱者は常にある。社会的な地位や性別や年齢に大きく左右はされるが、一応はそれとは独立した形で存在し、人の間に序列を生む。どこかに明記されているわけではなくても、社会の中で人はそれを感じ、推し量ろうとしている。時々顕著に表れることがある。エレベーターに乗ったり降りたり、記念写真を撮るときの立ち位置を決めたり、飲み会で座る場所を決めたりする時に必ず出てくる。オフィスの大きさ、窓への近さ、などにも出てくる。これは観察していて面白いくらいだ。

もちろん動物界ではもっとはっきりしている。猿山などを見ているとわかる。こちらの方は力関係が一目瞭然となる。ボス猿以下はっきりとした序列がある。日本の政治家を猿山に入れたらどうなるか? いわゆるαメール(ボス猿)にはだれがなるだろう?時の総理大臣か?それともやはり小沢さんがなるんだろうか?ボズざるの黒幕なんていないからな。いやその後ろに中曽根さんあたりが控えているかもしれない。長老というわけだ。でも長老がぼんやりしていると、若手のサルが雌にちょっかいを出す、ということもあるが、それは人間社会でも同じだろう。

しかし人間の場合は少し複雑だ。能力にはいろいろ種類がある。だから時と場合により誰が強いかは入れ替わる。常に強者、という人はむしろ少ない。

たとえば政治家を集め囲碁の大会をやったら、とたんに与謝野馨さんあたりが大ボスになり、小沢さんは裏工作が効かなくなって与謝野さんに頭が上がらなくなってしまうとか。(まてよ、確か最後の対局では小沢氏が勝ったんだっけ?)強者か弱者かは、ほんのちょっとしたことでも揺れ動く。昨日まで威張っていた派閥の長が、ちょっと週刊誌にたたかれただけで、それまでの「強度」が何ポイントも下がってしまったりする。
夫婦の関係だって、日常生活では奥さんのほうが強者で、ご主人は奥さんの顔色をいつもうかがっていても、実は金の出し入れに関しては主人が完全に支配していて、奥さんは何も言えない、ということもある。
しかし状況や関係性によっては、前提的な強者、弱者が決まってしまうのが問題だ。職場や学校、親子の関係などでは、強者、弱者の関係が絶対的になり、一方が他方を抵抗が出来ないくらいねじ伏せてしまえることがある。するとその関係は最近よくいわれる「対人関係上の外傷」、つまり虐待とかネグレクトとかパワハラ、セクハラなどが起きる素地となるのである。

このように強者と弱者の関係というテーマは、実は外傷の問題、搾取の問題と密接なのだ。そして外傷が人間関係のいたるところで起き、それを生みだすような強者、弱者の関係は、それこそ人間関係の細部にいたるまで網の目のように張り巡らされている。
動物の世界でもそうである。というより、動物ほどシビアに強者弱者の関係で動いているものはない。先ほどはサル社会を例に出したが、強者、弱者の関係性の中で生き残ったのが、いま地球上にいる生物だと考えればいい。(うちの犬のチビだって私のことが怖いくせに、カミさんのほうが私より強者であることを知っていて、私が怖い顔をすると、すぐ彼女の陰に隠れるのである。悔しい。そのくせカミさんが留守のときは急に態度を変えて尻尾を振ってくるのだ。)人間は洗練されているようでいて、実はこの他者との力関係にものすごく敏感であることは変わりない。よく「空気を読む、読まない」というが、読むべき一番のものは、この他者との微妙な力関係であろう。

私が「怒るべからず」、と言う時、それは怒ることが、現実の持つ不可知性を無視し、相手を白か黒かで決めつけるという傾向に基づいているからだ。そしてそれはたいていは、自分が恥をかかされて、自己愛を傷つけられたことの反応として生じるのである。
しかしこの理不尽な怒りは、自分や仲間を理不尽にいじめてくるような強者に対しては、むしろ積極的に向けなくてはならない。それは強者からのいじめやハラスメントから自分や仲間を守るためには、必要なものなのだ。そのときは相手の事情とか、相手への共感はむしろ邪魔になる。相手と戦う際は、不可知論は無意味であり、それに基づく「怒るなかれ」はかえって身を危険にさらしてしまう。強者と戦う際はむしろ善か無か、白か黒かの悉無律的な原則によらなくてはならない。だってそうではないか。自分を襲ってくるライオンにライフルを向けて引き金を引こうとしている瞬間に、「でもライオンも撃たれたら痛いだろう」などと思っている間に、ガブリ、とやられてしまうからだ。

そこで龍馬の話にようやく戻る。限りなくやさしい彼は、しかし自分より強い存在には常に戦いを挑む。あるいは弱者でも、それが自分よりさらに弱いだれかをいじめている場合には彼は黙ってはいないだろう。強い相手に怒るのは、大抵が勇気ある行為だ。それは自分や仲間の身を守る行為であるし、身を挺しても仲間さえも救おうとするその「余剰」の部分だけ、愛他的である、ともいえる。(ただしそれを愛他性と呼ぶなら、人間より下等なはずの動物の世界は、その愛他性に満ち溢れている。子孫や仲間のために親が自分を犠牲にするという行動はむしろスタンダードでさえある。)

強い相手に対する怒りは、わが身や仲間を守ろうとする、おそらく唯一の正当な怒りといっていい。怒りそのものはあいかわらず理不尽なものであるが、それでも正当なものである。正当なる理不尽さ。平和主義者のように描かれている龍馬は、権力には常に牙をむく。その時は彼の平等主義や価値の相対性や不可知論的な世界観は停止し、スプリッティングの権化となって、戦いに命を懸けるというわけだ。
こうして昨日の最初のテーマに戻る。「怒らないことと、戦うことは矛盾しない。」

ちなみに龍馬伝に描かれている人物像を見て面白いのは、限りなく優しい龍馬が、むしろその分だけ、権力と言う名の強者に対して挑戦的であるということだ。あるいは逆かもしれない。戦う相手を知っていると、守るべき相手には優しくなれるということか。
あのわかりやすい素人受けのする龍馬伝を見て、結構ハマってこんなことを書き連ねている私も、かなりミーハーだと思う。でもそれにしてもやはりフクヤマは許せない気がする。

2010年8月23日月曜日

怒らないこと その1

しっかし……。どうしてこうも暑いのだ。私は冬は大嫌いだが、今日昼間に青山近辺を移動していて、ふといけないことを思ってしまった。「寒い方がまだましかも知れない ……。」と思ってしまった。日が短くなっているので、朝夕はすこし凌ぎやすくはなっているが。
30年前に5月の香港(つまり真夏)をウロウロ旅した時の苦しさを思い出す。

最近「怒らないこと」(アルボムッレ・スマナサーラ著、サンガ新書)という本が売れているようだ。最近では続編も売れているようで、お茶の水の丸善に入るたびに、気になっていた。つい最近買って読んでみたが、その感想については後に述べることにする。
「怒らないこと」というテーマについては、ここでも触れたかもしれない。少なくとも授業やゼミでは数回か話した記憶があるが、最近一つ思うことがある。それは「怒らないこと」と「戦わないこと」は別問題だということ。人は怒らない方がいいが、戦わなくてはならない。怒らない、ということは戦うことをやめるということではなく、何と戦うか、という選択に関して、より賢くなるということだろう。私は怒ることは無駄だと思うが、戦わない人生は空しいと思う。これは矛盾しているように感じられるかもしれないが。
いつものように、非常に話が分かりやすく作られている龍馬伝から例をとる。

このドラマの中で、龍馬は怒らない人間の一つの典型として描かれている。しかし彼は同時に戦っている人間としても描かれている。それは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にしても同じである。私の見方からすれば、彼の人生観は極めて不可知論的なのだ。つまり絶対的なものを求めず、信じず、主義や方針や、社会的な価値に対して相対的である。価値に対する相対性がなかったら、脱藩などおいそれと出来ない時代だろう。そしてこの不可知論的な世界観は、彼の寛容さに通じている。「不可知性その11」で論じたように、彼は他人には想像できないような事情や立場があるということをよく知っていたからだろう。だから桂小五郎に会いに下関に来るという約束を反故にした西郷吉之助に対してそれを責めようとなしなかったのだ。実際に西郷が下関で船を降りることができない十分な事情があったことがドラマに描かれている。
しかし龍馬は、戦う相手を常にしっかり定めていた。では怒らない龍馬が戦っていたのは誰だったのか?大義のためだったのだろうか? あるいは国家のためか? 確かに龍馬は日本が外国の手により蹂躪されることに憤りを感じ、薩長連合を成立させて外国と断固戦うことに命をかけていた。しかし彼が戦っていたのは、それほどカッコいいことではなかった。もっと単純なことだったと思う。それは自分や自分の大切な人々を守るためだったのだと私は思う。自分の身が危険にさらされたり、自分が守るべき人間(直接的には家族、そして友人、同僚など)に危害を加えるような存在と戦わないとしたら、それは生きている価値すらなくなってしまうということだ。その意味で、人間存在はというよりは生命のあるものは、基本的に常に戦う存在だということである。
人は自分より強い相手、力でねじ伏せてくる存在とは、常に戦わなくてはならない。もちろん危害を加えてこないような強者に対しては、戦う必要などどこにもないが、基本的には強い存在は同時に理不尽でもあるのだ。
私が「人間、怒るべからず」という時、それは私たちが力でねじ伏せることができるような人々、つまりは私達にとっての弱者である。私達がいざとなれば力でねじ伏せ、虐待することができる人たちに対して怒ってはいけない。それは端的にそれらの人たちは私達が安全に怒りを向けることのできる相手だからである。
私たちは強者に対しては戦うべきであり、他方弱者に対しては怒りは禁物である、というメッセージ。誤解されるだろうなあ。弱者とか強者とかそんな話は聞きたくないと言われそうだ。しかしもう疲れたので、明日以降、気が向いたら続けてみたい。

2010年8月22日日曜日

不可知性 その12. 臨床で語る言葉

昨日、今日と昼間だけ外出の機会があったが、うーん暑い。ここに最初に書くことがいつも天気になってしまう。このところスイカバー(ゼミの●●クン、キミがおなかをこわしたやつだ)がおいしい。
昨日、おとといとブログを書くのをさぼったつもりだったが、何やらフランスのことについて書いてある。どうも覚えがないが内容は正確だ。ちょっと解離していたのかもしれない。
私が書いていたのは、不可知性のことであった。以下の内容はすでにどこかに書いた記憶があり、一部は繰り返しになるが、もう少し広げてみようと思う。
私は毎日患者さんと対面しているわけであるが、彼らがある種の問題を抱えてそれを話してくれるのに対し、私がある種の応答をする、という作業である。アドバイスとかコメントという形になることも多い。そのとき私はたいていはこんなことを考えている。「この患者さんはまだ聞いたことのないようなコメントやアドバイスを待っているんだろうな。」プロとしては彼らにとっては予想しなかったような言葉をかけたいと思うのだ。

だからといって奇をてらうつもりはない。患者さんの体験を聞いて共感し、「それは大変でしたね。」という言葉が自然と出るならば、患者さんが過去に何度も繰り返し聞いた言葉であっても、それはいいのである。でも曲がりなりにもプロとして、この仕事をしている以上、その患者さんの耳にすでにタコができているような言葉を繰り返したくない。患者さんの多くは、治療者の前に座るまでに、たいていは多くの人の同じような、あるいは矛盾する意見を聞かされ、小言を言われてきている。それらを聞く用意がなかったり、あるいは効果がなかったから患者さんは最終的に治療者の前にいる結果になったのだ。

患者さんがほかの医者を転々としてきた場合には、ほかの医者が投げかけたであろう言葉を予想し、それを除外しなくてはならない。それに失敗した時は、患者さんたちが教えてくれる。「またか。」という失望した表情。特に思春期の患者さんなど、あからさまにこういう。「なによ、それじゃ先生もほかのヤブ医者と一緒じゃない。」こうなったらもう勝負ありである。

患者さんたちに、これまで一番傷つけられた言葉を聞いてみると、「しっかりしなさい。」「甘えてるんじゃないわよ。」「気のせいよ。」「あなたの世話をする身にもなってよ」などであるという。しかしこれらの言葉は、本当に誰にでも言われそうな当たり前の言葉であることに気がつく。私たちが身近で体調を崩し、仕事や学校を休んだりすると家族から投げかけられる言葉。本当に単純で、自然で、そして表面的な言葉。患者さん自身だって負けずにほかの人に言っている言葉である。もちろん私も家族には言っているし、自分自身に一番言っていたりする。たいていの場合、これらを言われた本人は、「そうかなあ」とか「やはり自分に甘かったのかもしれないのかな。」「気合いがたりないんだ。」とか言いながら気を取り直す。その調子の悪さも忘れる。

私はこのことをある文章に「甘えロジック」と名前を付けて論じた(「学術通信」 2009年春号 岩崎学術出版社」。少し調子を崩したり、やる気をそがれた人に「甘い!」と喝を入れることで調子を取り戻させる。甘えロジックは、たいていの場合に効果を発揮する。しかしそれがきかなくなるのが、精神的な病気の始まりであり、特徴なのだ。さんざん「甘えだ」と言われ、自分にも言い聞かせ、ますます具合の悪さをこじらせていくのである。「何かがおかしい。」「いつもの『調子が悪い』とは違う!」と気がつく。それでも「甘えだ!」と言い募ってくる人に、「甘えだと思って自分でも頑張ったけれど、だめだったんだよ!そこをどうしてわかってくれないの!」と絶望的な気持ちになり、同時に深く傷つく。そしてある種の専門家、もう少し深く事情を分かってくれそうな人の意見を必要と感じるのである。

目の前の治療者は患者さんの訴えを聞いて、「どうしたんだ?いつものあなたらしくない」「あなたが休んだらみんな困るんだよ。ガンバりなよ。」とは言わない。話を聞いてくれる。これはおそらく患者にとっては予想外のことである。自分に起きている未知のこと。甘えロジックでは解決しない何かについて一緒に付き合って探ってくれそうだとわかる。「みんな分かってくれなかったんだね・・・・。」と言われて不意を打たれた気持ちになるかもしれない。

さてこの患者さんに対面している治療者。最初の原則に従い、患者さんがこれまでかけられたであろう、そして自分が軽い気持ちでかけそうになる言葉を飲み込んでいる。かけそうになる言葉とは、その患者さんの状態を手っ取り早く断定し、決めつけ、形を与えて安心したいという言葉なのだ。それを抑えて患者さんとともに不可知の海を漂う。患者さんが聞き飽きた言葉以外の言葉をかけよう、という試みは、一緒に聴き続けるということにもなるのだろう。(どうにもまとめようのない終わり方だ。)

2010年8月21日土曜日

パリ留学 その2.アテネ・フランセというところ

フランスにあこがれる人間にとって、最初の行動は、大学の一般教養の第2、第3外国語としてフランス語のクラスを取る、ということであろう。もちろんひとりでNHKフランス語講座を聞く、という手もあるが、これだとすぐあきてしまう可能性もある。クラスを取る、講義に通う、単位を取得する、という傍目にも見える行動を取ることで、とうとう一歩踏み込んだか・・・・という自覚が生まれる。そんなに大げさでもないか。そして第二段階は、アテネフランセに通い始めることである。

東京圏の日本人のフランス語屋やフランス語オタクなら誰でもお世話になるアテネフランセ。御茶ノ水駅を降り、水道橋に向かうと、もう少しで水道橋に向かう坂の始まりにアテネフランセはある。(じゃ、どうして水道橋から行かないか、と突っ込まれそうだ。確かに距離はそのほうが近いだろう。でもアテネフランセは、やはり御茶ノ水を降りていくのでなくては雰囲気が出ない。)
御茶ノ水駅の新宿よりの出口を降りて、細い歩道を歩く。たくさんの受験生が途中の駿台予備校に吸い込まれていくのを尻目に、アテネフランセに向かう。アテネフランセのシンボルでもある「モジェ・ブルー」というテキストを小脇に、「受験生はかわいそうだな。本当に自分から勉強したいことが出来ないなんて。」とか呟きながら。
30年前と変わらないアテネ・フランセの外観

実際アテネフランセに通う人間は、変わり者である。ここに通うということは、フランス病が病膏肓に至っているといっていい。だってわざわざ時間と安くもない授業料をかけてフランス語の専門学校に行き、しかも何の資格を取るわけでもないのだから。フランス語が好きだから、という以外に目的はないのだ。フランス文学やフランス語の専門家になるのだったら、大学の文学部のそれぞれの科で勉強すればいいだけの話だ。だからアテネフランセに通うということは、みなある種の負い目やそれとは裏腹の誇りを共有することになる。(私のように医学部の授業を時々サボって行ったりすると、なおさらだ。)自分の専門とは異なるものを学んで、それだけで満足する人々が共有するある種の秘密。どこかのバンドの追っかけみたいなものだ。事実若くてハンサムな男性のフランス人教師には、一種の追っかけのような女性たちが前の方の席に数人いたりした。
懐かしいモジェ・ブルーの画像を見つけた

私は21歳の春から通い始め、医学部時代はほとんど毎週土曜日に通ったわけだが、やはり私のフランスへの憧れは、フランス語へのそれが大きな要素を占めていたように思う。圧倒的に美しい響きをする。しかし同じフランス語でもカナダで話されているもの、あるいはフランスの南部の訛が入ったものは、美しいと感じられない。パリで話されるフランス語。ひとつの文化の中心で話される言葉だから美しいと感じるのか、とも問うてみる。 しかしそれにしては、例えばロンドンでの真ん中で話されるコックニーといわれる英語を聞いて、私はぜんぜん美しいとは思わないのである。(むしろアメリカ中央平原で話される「標準的な」英語の方がよほど美しい。)しかしこれは好みの問題といえば、それだまでだが・・・。

フランス語の音にあこがれた私は当然シャンソンも好んで聞いた。しかしピアフのようなシャウトするような、のどを鳴らすようなフランス語ではだめだ。最初にイブ・モンタンの囁くような「枯れ葉」を聴いたときは、旋律のようなものが走ったのを覚えている。もう一段階深くフランス語に惚れた瞬間だったのだろう。

(なんだか、書き出すとアテネフランセに行き始めたときだけでもう長くなって飽きてきた。しばらく別のテーマにいくかもしれない。)

2010年8月20日金曜日

パリ留学 その1

いいなあ。今日みたいな朝。25度くらいか。こんな日が毎日続いて欲しい。

ラベルを用いることで、色々なトピックをその日の気分で書くことにする。今日から(今日だけ?)パリに憧れていた頃のことを思い出したい。

パリで過ごした一年を、私は体験記にまとめてはいた。それは「私の闘仏記」というタイトルも付いていた。それを当時のバージョンの「心の臨床アラカルト」(星和書店)に投稿し、ボツになったという経緯がある。もう23年前の話だ。ボツになった理由は、「内容がクラいから」ということだったと思う。その原稿は今でもどこかにあるが、確かにクラい内容だ。あの冬のパリの空のように。

さてどうしてパリに留学したのか、というのは自分にもわからない。繰り返すが、人間は不可知な存在だ。それにこれは一種の恋愛だったのだ、と考える。ただ相手はフランス文化であり、シャンソンであり、フランス語の音の響きであった。そして「この人となぜ一緒になったんだろう?」と不思議に思う人が既婚者には圧倒的に多いように、私がどうしてフランスに憧れたかはわからない。「なんとなく好きになった」という感じだったが、フランス語を学び始めた21歳の頃から、フランス留学を終えてアメリカに渡る32歳まで10年以上続いたのだから、決して一時の気の迷いではない。今ではほとんど冷めているが、当時はあのややこしいフランス語を習得し、フランス政府の給費留学生の試験にパスし、相手との同居(留学のこと)まで漕ぎつけたのである。

私の現在の仕事や趣味との無関係さから言ったら、あの10年の苦労はなんだったんだろう、と思わざるをえない。あのなだいなだ先生と比べるのは恐れ多いのだが、同じフランス留学を経験した精神科医である先生は、パリ留学で奥さんとなる女性と出会い、パリ生活を題材にした本を書き、しっかりパリ生活が人生と職業に咬み合って一貫性がある。しかし私の現在生活にあの10年のフランスとの恋愛関係は何ら生かされていない。フランス語の本を読むことはほぼ皆無、フランス精神医学を専門とする気配はなし。会話の機会はゼロ。ある意味では打算のない恋愛と言えないこともないが・・・・。(今でも、あの10年間、フランス語に費やした時間と苦労は無駄だったのではないかと思うと、気が遠くなりそうである。だからあまり考えないようにしている。)
実はフランスが気になり始めたのは、大学入学当時からだった。第2外国語でドイツ語をとったときから、なんとなくフランスを選択しなかったことを後悔する気持ちが起きた。「実はお前さんが本命じゃないんだよ。」という感じ。その時からいよいよフランス語への片思いが始まっていた。

私が片想いに飽きたらず、具体的な行動にでた(声をかけた、という程度か?)のは、大学の教養学部の二年目、第3外国語のフランス語の講義をとったことだった。履修届けを出すのが遅れ、もう3回か4回目の授業であったと思う。その日文学部の教室の一つに設けられた、夕方からのフランス語のクラスには、どういう理由からかもうひとつの外国語を勉強に来ているワケありの生徒たちがバラバラに座っていた。担当は、石井先生という中年の男性の方。さすがフランス語の教師、というようなおしゃれな服装。胸元にはスカーフなどがのぞいている。恐る恐る後ろの席に座りテキストを開いた時から、実質的なフランス語との関係が始まったわけである。(今度いつ続くかわからない。)

2010年8月19日木曜日

不可知性 その11 不可知性を意識すると、人の悪口は言えても、批判ができなくなる

他人は不可知であるということを前提とするということは、他人を批判することを難しくする。批判したくてもその根拠がなくなってしまうからだ。仕方がないから悪口を言うしかなくなる。

なぜ批判する根拠がなくなるのか。それは批判しようにも、その人にはその人の行動や言動の根拠があり、基本的には自分の理解の範囲を超えていることが明白だからだ。私たちは、他人について「普通は~そんなこと考えないだろう?」とか「どうしてもっとちゃんとやらないんだ!」というレベルの批判をする時、相手を「対象」つまり内的対象としてみている。つまりはその人について心の中で想像しているイメージのことだ。(ここら辺の話は、「不可知性 その9 」で書いた内容だ。)「どうしてもっとちゃんとやらないんだ!」という批判も、相手がある程度までは自分と同じような心の働きをし、自分と同じような感情を持つという前提で言っている。しかし現実の他人は「対象」ではないから、はるかに想像を超えている。あるところからは自分のロジックは通じないものと見てよい。つまり一部は宇宙人なわけで、すると批判のしようがない。

他方では悪口ならいくらでもいえる。悪口とは人を傷つけ、貶めることでいい気持ちになることで、そうすることの根拠などない。ただし人を貶め、哂えば必ず自分に返ってきてしまうのだが。(人を哂わば穴二つ??)

悪口のプロトタイプは、「アイツは生意気だ。●●のくせに。」というようなものである。この●●には、人間社会の中でマイノリティーとみなされる属性が何でも入る。よくあるのは、●●人、●●人種、あるいはその人の身体的、精神的特徴であり、ここに何か具体的なことを入れたら、このブログは成り立たない。というのも●●に属する人が実際にこの世にいて、その人が読んだら不快に感じるからだ。そこで●●に属す人がいないようなものを考えればいい。例えば「火星人」を代入しよう。「あのヤロー生意気だ。火星人のくせにCDデビューするなんて。」「火星人の癖に、参議院選出馬だって? 何様だと思ってんだ?」と、これらは立派な悪口だ。

さて、読者は、「人の批判はできないが、悪口は言える」というのはどういうわけだ、とおっしゃるかもしれない。しかし悪口とは、言っている本人が悪い(というより誤謬に基づいている)ことはそもそも前提なのであり、たしなめられれば「ごめんなさい」というしかないものである。私たちは悪口を言わずには生きていられないのだろうか。恐らく。他人を批判する根拠がなければないほど、他人を憎しみ、貶めたいという不条理な欲求を満たす方便がなくなるからだ。他人が不可知であると認めることは、決して楽ではないのである。

2010年8月18日水曜日

不可知性 その10. 不可知性は快楽とも関係している

このブログをやっていると、使い方を覚えると、少しずつこのブログが「ひとなみ」に見えてくるのが、面白いといえば面白い。昨日は内容をトピックごとに分ける、ということが出来るようになった。なれている人には当たり前のことかもしれないが。

一昨日このブログで、「私たちは不可知性に耐性ができている」、と言ったが、もう少し言えば、不可知性を求め、あるいは楽しんでいるところがある。不可知性、というとネガティブな響きがあるが、「新奇性 novelty 」という言葉に言い換えるのなら、心理のタームに出来るので皆さんもご存知だろう。「新奇好性 novelty seeking」 、となるとこれは、パーソナリティの一つのディメンションを意味する。このシンキコーセイは、結構重要なのだ。対人恐怖の視線からは。健常者(すなわち対人恐怖でない人)特徴なのは、新しいものに、あまり抵抗なく、スーッと近づいていく人たちなのだ。「隠れ対人恐怖」の私としては、新しいものに対しては、まず「怖い」、というほうが先に立ち、次に「でも面白い」、となる。心の中で起きる反応としては、この順番だ。さて、不可知性を求めている、ということは要するに世界が全部は分かっていない、知らないことや新しいがいつ起きるかわからない、という状況が、多くの私たちにとって快感でもあるということだ。私たちがそれに興味を持つだけでなく、それを実際に追い求めるところがある。私たちがある体験を快楽と感じるとき、過去に快感を引き起こした体験だけでは十分でない。今展開していることがどうなっていくか本当のところはわからない、という新奇性が、その快感を増す、ということになる。このことは凄く当たり前のことかもしれないが、指摘された時になるほどと思った。ただしこの新奇好性、つまり新奇なものを快感と感じる傾向が発揮されるためには、条件がある。まずは不安が大きくないこと。新しいことは当然不安をも呼び起こす。社交不安の人が新しいことにしり込みするのは、この不安の方が快感よりも勝ってしまうからだ。もう一つは、心のエネルギーに十分な余力があること、言葉を代えれば鬱でないこと。鬱でないことは、新しいことが快感中枢を興奮させる上でのかなり重要な条件なのだ。欝の苦しさの一つは、新しいことが持っている快楽的な側面がそぎ落とされて、不安しか起こさないからである。新しいこと、知らないことは不安の源泉以外の何ものでもなくなってしまうのである。新奇好性のある私たちは、この現実に生きていて、予想していなかったこと、たとえば世界各地で起きている様々な災害や事件などを結構楽しんでいることになる。あるいはそれらにより好奇心を満たされることで生きているというところがあるのだろう。考え方によっては非常に不謹慎な話だ。たとえば、インターネットのニュースの見出しで「アメリカのカンザス州で竜巻が起きて沢山の家が飛ばされた」などというニュースを見ると、私は「ふーん」とか言って若干興味をそそられて「詳細を読む」をクリックする。数年前まで実際にカンザス州に住んでいたころは、身の危険を感じておびえなくてはならないようなこのニュースも、わが身から遠ざかれば、興味深い(面白い、とは言っていない)出来事として退屈さを紛らわせるようなものになってしまう。読み直してみて、何かテーマに沿っているようでずれているような気がするな。まあいいか。ここら辺にこだわっていると本当に何も書けなくなる。

明日のテーマ: 不可知性を意識すると、人の悪口は言えても、批判ができなくなる

(宇宙人の悪口は言えても論駁できない。)

2010年8月17日火曜日

不可知性 その9 自分を不可知と信じることで、創造性が増す(かも)。

ブロク読者の方からのコメントに、自分自身に関する不可知性というテーマがあった。大事な問題である。もちろん人間は自然の一部であるから、複雑系に属し、したがって不可知なのだが、問題は「自分がそれを知っているのか」である。
私は自分を不可知と知るというのは一種の才能かもしれないと考えている。そうすることで、自分が不可知性をはらんでいることを逆手にとり、創造性として発揮させることも可能かもしれないと思う。生産性、創造性に結び付かない不可知性とは、いつ間違いを犯すか予想不能、いつ自分の決心が覆るかが不可知、ということでなんの面白みもない。

そう考えると、将来どのように変わっていくかが非常に不可知的で、またそこに大きな可能性と創造性をはらんでいるのが、幼年期ということになる。幼児とは何しろ幹細胞のような存在なのだ。具体的にいえば、彼らの脳にはまだプルーニング(剪定)される前の膨大な神経細胞間のコネクションが存在する。彼らの脳の中でどのような構築が行われるかは、まさに与えられた刺激に依存する。

だからタイムカプセルにのってクロマニオン人の幼児を現代に連れてきて、大阪の幼稚園に入れたら、半年でコテコテの大阪弁をしゃべる浪速っ子になるだろう。(大阪の子供、というところに、他意なし。)間違ってクロマニオン人のおじさんを連れてきて、オジサン社会に入れたら・・・・・。「アリガトウ」「オナカガスイタ」「ネーチャン」くらいは片言で言えるようになるかもしれないが、一生クロマニオン人のオジサンとして終わるはずだ。

不可知性といえば、このブログ。何しろ私は4月までは「更新は嫌いだ」と言って、月一度の更新がやっとだったのだ。しかしIBMのホームページビルダーを見放して、グーグルのブログのツールを遊びで使い出してから、自分でも予想外の「毎日更新」が続いている。私自身こうなることは知らなかったのである。今では結構日記がわりになっているではないか。これも私にとっては不可知である。ただしこの私の例は、「いかに私が不可知的か」、というよりは「いかにイーカゲンで行き当たりばったりか」という証明になってしまったようである。

ここでイチローの例を挙げたい。(行き当たりばったりだなあ。)

精神科医の目からは、彼がアスペルガーの傾向があるかどうかは極めて興味深いことだ。確か去年のNHKの新春の「プロフェッショナル仕事の流儀」でイチローの特集を放映した時は、録画までしてみた。その結果私なりの結論は出たが、まあそれについては、言葉を濁しておきたい。彼が7年間、自宅で昼食をとるときは、奥さんの作ったカレーばかりという有名な話からもわかる通り、彼はかなり徹底して自分の生活を決まりどおり、あくまでも予想可能な形で構成していくというところがある。一番不可知性をきらい、またそれから遠い存在の人という感じなのだ。ただしではイチローはどうしてカレーなのか、とか、どうして何年間もあの黒バットを使い続けているのか、というところになると、それがかなり行き当たりばったりでそうなったらしい。そこのところが不可知的なのだ。バットなど「持ってみたら、ぴんときた」とか言って、それだけで延々使い続けているのだ。(あのバットの職人さんも気が気じゃないだろう。)

イチローの話で一番ブッ飛んだのは、最近バッターボックスで立つ位置をホームベースから一気に下げてみた、という話だ。バッターにとって、どこに足を置くか、バットのどこのあたりを握るかなどはそれこそこだわりぬいておかしくないであろうが、それをイチローは、ある日ふとしたきっかけ、それもよくわからないきっかけで変えてしまったという。それは野球など素人の奥さんに「少し遠くに立ってみたら?」という一言を言われた、それだけだったという。これまで延々と続けたことが、それほど予測不可能な出来事により、突然方向性を変える。そしてそれがおそらく彼がタダの強迫神経症とは違う点なのだろう。そしてそれがイチローが一見規則でがんじがらめの生活に不可知性を取り込んでいるやり方なのである。(続く、かも。)

2010年8月16日月曜日

不可知性 その8. おそらく人間は不可知性に耐性がある

昨日書いたことは間違い。やはり体は暑さには慣れていなかった。今日はアツい。

変なことを言うようだが …・・。不可知性について何回か、わかった風なことを書いているが、人は世の中の出来事が予測不可能で、現実は不可知であるということを、ある意味では体で学び、よく知っていて、うまく適応しているのではないだろうか? 

こんなことを改めて書いている私がむしろそのことをことさら疑問に思っているだけかもしれない。

最近私たち一家が家族ぐるみで付き合っていた家族に、異変が起きた・・・・ということは確かここでも書いたと思う。そこのアメリカ人のお父さんは単身赴任中だったが、50歳と少しという歳で、いきなり離婚を通告し、若い(多分)女性(こちらも多分)と一緒になってしまったという話だ。夫に去られた日本人のA子さんはそれがあまりに予測外のことで、しばらくはボー然としていたという。何しろ明らかな浮気の兆候も見抜けなかった、というよりそもそもそのような発想がなかったという。

この出来事は彼女の人生観をおそらくかなりの程度変えてしまうのであろうが、それでも彼女は毎日仕事に通い、子どもにメールを送り、夜はいつもの番組を見て、という生活を続けている。しかし他方では、20年以上連れ添った、おそらくある意味ではその振る舞いや考え方の隅々までよく知っていたであろう夫に裏切られているのである。それこそよく知っているはずの人間が、ある日宇宙人以上にわからない存在になってしまったのに、それでもこれまでの生活を続けている。

Aさんは精神的な健康度が非常に高い人であるから、重大な精神の異常をきたすことはないと思うが、人によってはこの出来事の予想外の度合いが大きすぎた場合に、それがある種のトラウマとして体験され、時には社会生活に支障をきたすまでになってしまう。しかし逆にいえば、それに至らない程度の予想不可能さは、もう人生に満ち溢れていて、将来の不可知性に対する耐性を大部分の私達は備えているのではないだろうか?だって相当予想外のことが毎日起きているのである。

例えば…・どんなことでもいいけれど、世界的に有名なプロゴルファーが、ある日突然ものすごいスキャンダルに巻き込まれ、愛人が1ダース以上出てきて次々と証言し、そのせいか彼は大スランプに陥ってしまうのである。またある国で野党の位置にずっとあった政党が急に与党になってしまい、選ばれた首相が最初はまともに見えて人気の絶頂にあったのに、どんどん失言を繰り返して最後には無能な宇宙人呼ばわりをされて辞任してしまうのだ。あるいは相撲界の暴れん坊が、優勝したかと思ったら、暴行事件を起こしてもう相撲界から追い出されている・・・。

これらのうちどれを一年前の私達が想像しただろう?それでも私達は平気で毎日を送っている。予想外のことが予想通り起きている、ということか。だからこそスポーツ新聞にも毎日何本かの見出しが登場し、週刊●春の中吊り広告に載せる見出しにも困らないのである。(予想外の出来事がパタッと起きなくなったら本当に困るだろう。週刊誌の中吊りに、あまりニュース性のないこと、たとえば名前を聞いても全然ピンとこない三流俳優が休業宣言をした、とかあまり知られない三流の会社が経営危機に瀕しているとか…。それでは誰も最新号を買わなくなってしまうだろう。)

このように考えると、予想不可能性は実は私達が生活をしていく上で適度の刺激を提供しているといってもいいのかもしれないし、予想外のことについてはあまり考えないようにしていることで、私たちは予測不可能生をやり過ごしているというところがある。何しろ私だってUFOの目撃者の話をテレビでやっているのを見ると、「宇宙人はいるのかも知れないな。」などと真剣に考えるが、次の番組になったらそんなことはすっかり忘れてしまうのである。

2010年8月15日日曜日

不可知性の7. 人を対象と見るか、モノと見るか?

今日は久しぶりに日中買い物に出かけたが、暑さのピークは過ぎているのではないかと感じた。そしてあとで知ったのは、久しぶりに今日東京は真夏日であったということ。やはり暑さに慣れてきた、ということなのかも知れない。
昨日の宇宙人の話、精神分析的にはこんなふうにつながっていく。

まず人間が生まれたとき、母親はまだモノにしか見えない。乳房はオッパイの出るものでしかなく、赤ちゃんは噛み付いたとしてもお母さんが痛がることなど心配しない。(ただし幸運にも赤ちゃんには最初は歯が生えていない。Thank God!)ところがそのうち母親は「対象」になる。自分と同じ、痛みを持った人に見えてくるというわけだ。(精神分析では、対象とはヒトの事を意味する。)

さて分析的(少なくとも伝統的な意味での)でいう対象とは、なんといっても「内的対象」なのだ。つまり心に抱いた相手のイメージ、自分が想像している相手なのである。実際の母ではなく、瞼の母、と言ってもいいかも知れない。よくよく考えると、私たちは相手を人間として見ている時、必ずと言っていいほど「内的対象」として扱っている。Aさんと付き合う、とは自分が「Aさんとはこんな人だ」と信じているイメージと付き合っているというわけである。そしてAさんに腹を立てたり、優しくなれたりするのは、全部Aさんのイメージを心のなかで(自分勝手に!)作り上げているからだ。

営業担当が「馬鹿者、なぜもっと外回りの数を増やせないんだ、ナマケてるんじゃないか!」と上司に叱られる時、上司は「こいつは手を抜いて楽してたんだろう。どうせどっかの喫茶店でアイスコーヒーでも飲んで時間を潰してたんじゃないのか?」というイメージをいだいて、カーッとなるのである。

考えれば、相手に共感する、相手を理解すると普通考える時は、相手を「対象」としてみるということである。相手に対するイメージを自分の心のなかに作り、わかったつもりになるということだ。しかしそれで本当にわかったことになるのだろうか?精神分析では、それより先の「あいてをわかる」を考える。それは「相手がわからない」つまり自分の想像を超えている存在であるというレベルでの「わかる」ことである。 

ここまでのプロセスを整理すると、相手をモノと見ることから「対象」とみることに移り、そこから再び「モノ=宇宙人」に見ることへと至るというプロセスが考えられるということだ。

相手を分からない存在として分かるというのはどういう事か?これは私たちの生活の中では結構難しい芸当であることがわかる。突然飛来したUFOから降りてきた宇宙人に、ニコニコ近づいて「こんにちは」と握手を求めるくらいに難しいかも知れない。現実には、自分には想像ができない、気が知れない、とんでもないと思われる他者を撃退したり無視したりすることなく、それを認め、その声に耳を傾けることである。

このプロセスは例えば子供の旅立ち、治療の終結、弟子の独立などの際にも生じる。親からの教えやメッセージを「もうたくさん」と感じて子供は出て行く。子供が生き始めている世界は、普通は親の想像をすでに遥かに超えている。その子供を親は想像できない。自分を超えた世界にいる子供を理解出来ないのがそもそも当たり前なのだ。その子供を快く送り出す親の心情、と言ってもいいかも知れない。

2010年8月14日土曜日

不可知性について その6. 他人を宇宙人として見る

このところ連日テレビ(私の場合はNHK)で戦争関連の番組を放映しているが、戦争体験者がますます高齢化し、そのうち日本では戦争を誰も体験した人がない時代が来る、というのは大変なことだと思う。しかしそういう私も戦後の生まれなのだが。
ここ数日気になるのが、政治記者影山氏の自死のニュースをNHKが報道せずに終わってしまいそうなこと。(ネット的にはそうなっている。私もNHKでは見たことない。) 失敗学的には当たり前のことだ。つまりあらゆる組織が、それぞれやましい側面を持ち、それを糊塗しようとするし、公明正大な組織は実際には存在しえないわけだが、それにしてもやはりがっかり。毎日NHKを見るという習慣を支えるためには、「今のNHKはこれまでと違う」というあまり根拠のない考えが必要なのだが、ますます根拠がないことを思い知らされてしまう。
さて不可知性と対人関係との関連ということであった。私は「他人は宇宙人だ」と思うようになってからずっと対人関係が良好になっている。宇宙人だと思うから、あまりに非常識だったり、予測と違う行動をとっても、特に腹が立たない。というより常識、非常識ということがそもそもわからなくなってきた。腹が立たないのは、そのせいもあるかもしれない。対人関係を悪くする最大唯一の秘訣。それは相手を責めることである。そして相手を責める最大唯一の理由は、相手が自分と同じような心の働きをすることを想定し、余計な期待を持つことである。

先日紹介したタケシのエッセイ(北野武 ニッポンの問題点を語る(上))「電車の中の化粧なんて、酔っぱらいの立ち小便と同じ」というのが面白かった。これなどは、拍手喝采を送りたいところだ。こればかりはなぜか腹が立って仕様がないわけだが、いざ「電車の中で化粧をすることって、本当に非常識なのか?」と問い始めると、本当にわからなくなる。すると結局「他人に迷惑をかけていないならマアいっか?」となる。もちろん心情的には「人前での化粧なんて、ありえない。何考えてんだ、こいつ」と思っている。でも他の人の脳の中で起きていることは基本的にはわからない。だって宇宙人だからだ、と考えることで我慢できる。

しかし他人を宇宙人としてみる、ということにはもちろん副作用がある。それは他人をある意味で見放して、精神的に孤立することを意味する。誰かと精神的に結びつく、ということは、宇宙人として見られないということ、相手の反応に喜んだり落胆したりすることだ。でも「他人を宇宙人と見すぎないようにしなくてはならない。」という警告は必要ない。すべての他人を宇宙人として見れないのが、そもそも人間だからだ。

2010年8月13日金曜日

不可知性について その5  不可知性と対人関係

思わせぶりの台風も温帯低気圧になって太平洋に去ってしまった。と、まるで台風を擬人化しているが、考えてみれば、北米を襲うハリケーンなどは、ひとつひとつにファーストネームがついている。
ハリケーン・アンドリューとか、ハリケーン・カトリーナとか。昔の人は「くそ、アンドリューのせいで、今年のとうもろこしの収穫は台無しだ!」などと言っていたのかもしれない。台風も同じようにしたりして。するとおかしな話になる。

ニュースで「思わせぶりに日本を撫で回すようにしていたアケミがとうとう行ってしまった。」
天気の話だかなんだかわからない。

たけしの話題から、不可知に戻る。

「交通事故起こして以来、残り時間なんて全然考えないね。今日、もし余命1カ月と言われても、そのまま仕事やって生きる自信あるね。若いころからなぜか、63歳くらいでくたばるかと思ってて、その年になったけど、ここんとこ仕事の調子がいいんで、下手するとあと10年くらい生きちゃうかな」

たけしはこれを例の交通事故から起きた人生観の変化と説明しているが、実際に死に近い体験により、死への恐怖が軽減し、それが異なる人生観へと導いたという例は多い。思うに死への恐怖は、それが強い人々がより長く生きながらえてきたという事実があるのだろう。適者生存というわけだ。死を恐れる集団と、死をも恐れぬ向こう見ずの集団を考えた場合、10年後の生存率には明らかな差がでてくるはずだ。それはある種の、死を恐れるという性質は、脳に組み込まれたプログラムであり、臨死体験は、それを外してしまうのかもしれない。そしてそれによりたけしも自分にとってそれまで大いなる未知道であり、不可知であったものに備えることに汲々としなくなったのだろう。不可知(の究極である死)を垣間見た → 不可知であることの恐怖が軽減した → 人生(いい意味で?)ドーデモよくなった、ということか。

実は不可知性を受け入れることで一番大きな意味を持つと思うのは、対人関係だが、これは明日。(続く)

2010年8月12日木曜日

失敗学 12 「本来の実力」ってなんだ?

日本列島に嫌がらせをしているような台風4号の動き。

また失敗学に入り込んでいる。相撲やゴルフなどでよく出てくる表現。「自分本来の相撲が取れなかった。」「実力が出しきれなかった。」これらはいずれも目くらましの、私たちの思考をひどく混乱させる表現だが、広く用いられ、しかもわかりやすい。人はこのような言い方にあまり疑問を持たない。石川くん君が「本来の力」を出したら、ゴルフの大会でかんたんに優勝するかもしれない。しかし「自分の力を出し切れなかったら」予選落ちをしてしまうというわけだ。
ではどのような時に本来の実力が出せるかと言えば、高いスコアをマークした時にそうであった、と後からわかるというわけだろう。でもこれってトートロジカルだ。実力が出たかどうかは、高いスコアが出ることでわかる。他方では、高いスコアが出るということは実力が出た証拠である …・
このことから分かるとおり、失敗学に基づかない思考は、本質主義的だ。つまり遼くんのゴルフの実力というものが、あたかも実態を伴ったように想定される。でも少しでもゴルフというスポーツを少しでもしたことのある人は、それが非常に揺れ幅の多い、蓋然的なものであるということを知っている(スミマセン、偉そうで。実は私はゴルフをしたことがありません。)

失敗学はもうひとつのテーあである不可知論につながっていて、そもそも実態を伴った「実力」を信じない。実力とは失敗学的には、「失敗」を起こしにくいこと、と言い直すことができようが、失敗がそもそも確率論的なものでしかない以上、実力も同じように理解される。すると実力とはむしろゴルフの選手の平均の飛距離とか、パターの回数とか、平均のストローク数などで表される。もし遼くんの平均ストローク数が、69で、普通のゲームでの順位が、5位だとしよう。すると遼くんが5位になったゲームで、始めて彼は実力を出したということになる。しかも偶然。

今年の5月に、遼くんが58ストロークという驚異的な記録で優勝したとき、彼はこういうべきだったのだ。「今日はまぐれにまぐれが重なり、実力とは別のスコアになりました。お騒がせしました。」

2010年8月11日水曜日

失敗学 その 11 


産経のニュース欄(もちろんインターネット版)にタケシのエッセイが載っていたが、彼ほど達観していて、つまりは人生がドーデもよくなっている人は、結局失敗学に従う発言になっている。彼は無駄なメッセージを流し、余計なことを考えて人生を送るつもりはないから、「~も結局は~ということだろう」というものの見方をするが、それは結局人間を現実的に(=不完全な失敗作として)捉えることになる。例えば次のような彼の言い分を見る。

「鳩山さんはたとえば、町内で暴力団に金払っても町はうまくいってたのに『この町に暴力団はいらない』と言う町会長みたいなもんだった。悪人になれなくて、ちっちゃな善人になろうとすると、みんなああいう轍(てつ)を踏むんですよ。だって基本的に政治家ってのは、多数の人間を殺す可能性がある戦いにまで、主導権を取る人なんだから、小さな善なんて言っている場合じゃない。大善人やるなら(インド独立の父)ガンジーやるしかないじゃないですか」

2010年8月10日火曜日

不可知について その4.不可知性と人生

森元首相のご子息。うーん。コメントのしようもありませんね・・・・。息子に父親の後を継がせるという目論見が、これほどまでにうまくいかないこともあるのだ、という例のような気がします。むしろ父親の方の責任ではないでしょうか?

ともかくも、不可知性というテーマで書いて今日で4回目であるが、どうも断片的にしか伝えられていないと思うのは、やはり私がこのテーマについて感覚的にしか理解していないからだろうか。しかしこの考え方は何らかの形で自分の役にたっているのも確かなのだ。というよりも、モノの見方を根本的に変えてくれた気がする。
基本的に私は臨床家であるので、実際に心の問題に役に立たないものには、個人的に興味がわかない。ノンフィクションには没入できても、小説にはできないというのと似ている。この世が不可知である、という認識は実生活にとって有効である必要があるということだ。
現実は不可知であるという認識が私達の生に意味を持つとすれば、それが死生観にかかわっている部分だろう。私たちはいつ死ぬかわからない、ということを根本的なレベルで受け入れておくこと(もちろんそれができたら、であるが)で、私たちの人生の各瞬間はより豊かなものに出来る可能性が生まれる。それは「今日は生きていられる」と言うことが満足感を与えてくれるからである。
不可知の反対は、可知だろうか?つまり将来のことがすっかりわかっていると言うこと。あるいは物事には理由があり、それを突き止めることで自分や他人の将来を変えられる、という考え方だろうか? しかし不可知の反対としての可知に、たとえば「自分が死ぬ予定」は決して含まれないはずである。もし含まれているとしたら、「自分は○月×日に~の事情で死ぬ」ということを知っていることになるが、その時まで生き続ける絶対的な保障などなにもない。

結局不可知の反対は、「何も考えない」「将来のことについては考えを先送りする」ということになるだろう。でもそういう人たちは、一見気楽なようで、実は周囲の人たちにとっては一番厄介なのである。なぜなら彼らは「何も考えていない」はずなのに、自分の人生に過剰な期待やないものねだりをし、それがかなわないとどんなに自分が不幸かについて嘆くのである。「何も考えない」人は運命を受け入れることが得意ではない。あきらめる、受け入れる代わりに自分の「不運」を託つことになる。

人間は年をとるに従って、さまざまな意味で死に近づいていく。持病がどんどん増えていくし、一昔に出来たことが、ひとつずつ出来なくなっていく。それでも格別落ち込まずに、それなりに幸せを感じつつ生きていくためには、歳を重ねるということは「体が衰えて、病苦が増えていく」と言うことを初めから受け入れ、人生の計算に入れておかなくてはならない。それにより「自分は不幸だ」という感覚を和らげることができる。

これはたとえば目の前のケーキを食べる、という比喩を用いて説明できるだろう。目の前のケーキを食べていくに従い、残りは少なくなっていく。しかしわたしたちは普通は「ああ、ケーキがあと一口しか残っていない。何ということだ・・・。」と不幸のどん底に陥ることはない。私たちはケーキが残り少なくなるに従って、もうこれ以上のケーキを期待してはいけないという心の動きが働くのであろう。ケーキが残り一口になったときには、「もう残り一口しか食べたくない」「これ以上望んでもなにもないのだ」ように私たちは自分たちの欲望を調節していくのだ。それと同じように、人生も終わりに近づくにつれて、「もう十分に生きた」「これ以上生きることを望んでも不幸になるだけである」という風に考えが変わっていくのが理想なのである。

さてここまで述べても、不可知性を受け入れることは死への不安や苦しみを軽減するだけなのか?と言われそうだが、それでも立派なものではないだろうか? 覚悟のできていない人生(実は私も含めて、大抵の人は、みなこのレベルだろう)は、実は毎日の出来事に一喜一憂し、どうでもいいようなことに悩み、苦しむものである。「楽しい!生きていてよかった!」と感じられるのは、おそらく人生で数えるほどしかないのだろう。人生における快をプラス、不快をマイナスとして平均してみよう。おそらくかなりマイナスに傾くというのが実態ではないのか?それをそう感じさせないのが、先ほどの「不可知の逆」であり、夢想であり、考えることの先送りではないだろうか?
今日のテーマは書いていて深刻で、とてもギャグが出る余裕がない。
ホフマンの「精神分析における儀式と自発性」
ところで不可知と言いながら、私たちは死ぬと言う運命は可知であるといっている。死ぬと言うことは可知だとしても、その後自分におきることはまったく不可知であると言うことを考えると、これも不可知に入るのだろう。
私に不可知についての考えを解説してくれたのはホフマンの本であるが、彼は不可知を「自分が死ぬと言う運命にあると言うことを除いては、何が起きるか少しもわからない」こと言い表している。必ず死ぬということしか確かなことはないのだが、いつ、いかなる形でそれが起きるかは、これまた不可知というわけだ。

2010年8月9日月曜日

不可知性 その3.

東京では久しぶりにちょっと涼しさを感じる。一息ついた感じだ。
不可知性の話であった。例えばこのブログ。何がどうなっていくのかわからない。だからやっていられるというところがある。決められたことを書くのは、原稿の執筆だけでたくさんである。

不可知とは不安を掻き立てるばかりのものでもない。ある意味では自由が保障されているところに成り立つということだ。自由でなければ、不可知を不可知のままにしておくことができない。一家の主婦であれば、「今日の晩御飯の献立 ・・・・・ ・おなかがすいたら、冷蔵庫から何かみつくろって作ればいいや・・・」では済まされない。今日の夕食はこうである、と不可知の要素を減らさなくてはならない。不可知の中に身をゆだねることは、だから気楽で自由なことでもある。

不可知とは興奮させることでもある。私がそもそもこのことを意識しだしたのは、もう10年くらい前に読んだ、その頃はネット上の書き手に過ぎなかった田口ランディの文章である。何かミステリーか何かについての文章で、最高のエンディングは、最後まで読み終えた際にズドーンと不可知の中に突き落とされ、その中で陶然とさせる様なものだ、と書いてあった。

今田口ランディについて検索すると、もう彼女は売れっ子作家である。相変わらず歯切れのいい文章。こんなものを出している。「不可知への冒険 メイキング・オブ・マージナル 第一回 偉大なるおろか者たち 田口ランディ 平成21年8月15日発行 青木誠一郎 角川学芸出版」結局不可知は、彼女にとって続いているテーマであるらしい。

もちろん魅力的な不可知性とは、全くの混とん、というわけではない。第Ⅰ秩序のないものは、私達の感覚としてすら入力されない。ある程度形をなしたものの含む混とん、ないしは完全な形を誇っているかのようなものの持つ二重性であったりする。これまでは悪と決め付けていた登場人物が実はそうとも言えなかったことを知った時。これまで予想していた犯人が突然見えなくなって終わる時。そしてもっとその奥にある世界の広がりを感じて、それを知りたくなる。ちょうど絵画で言えば、原色とは程遠い、さまざまな色合いと陰影を含んだキャンバス上のオブジェに吸い込まれるような体験。

不可知の快は、その意味では恋愛の初期の体験とも似ているかもしれない。相手の私生活のほんの断片から際限なく想像が膨らんで、もっともっと知りたくなる。(これは長年連れ添ったカップルとちょうど逆である。こちらは相手の個人的な事情をほんのちょっとだけ垣間見ても、その意味するところ(意味付けするところ?)が分かりすぎて、むしろもうたくさん、という感じか。)

2010年8月8日日曜日

不可知性 その2.

おそらく一般の方にはどうでもいいこのテーマを続けるのは、本質的にこのブログは自分だけのものだからである。これを読んでいらっしゃる読者(推定12人)は、大変申し訳ないのだが、たまたま私の都合で付き合っていただいているだけである。
しかしそうは言っても不可知性のテーマはできるだけその面白さを知ってもらいたいという気持ちがある。それはおそらく皆のためになるという気持ちがある。ただし私は素人である。だから書いている内容は、実は裏をとっていない。うろ覚え、どっかでこんなことを読んだ気がする、ということを書いていることも多い。私がはっきり出典をあげていないところは、確かさはそんなものと思っていただきたい。
しかしそれにしてもどうしてこの不可知性が面白いかについて、もう少し話したい。つまり私がこのテーマにビビっときたのはどんなところか、である。(牧●●子さんの表現を使わせていただきました。)そうすることにより、私がなぜ「どうしてカモノハシかも?」という、優柔不断で非断定的で、不価値そのもののようなキャラが好きなのかも、すこしはわかってもらえるだろう。(実はなんとなく、単にかわいいだけ、かも。)

毛はいつもはてな?の形をしてるよ。時々思いついたときにピン!とまっすぐになるとか。

不可知性の最大の原因は、私たちが住む世界が、ともうもない数の粒子から成り立っているからだ。だから世界の動きは到底ニュートン力学では追えない。例えばビリヤードで15の玉を崩して、最終的にどの玉がどこで止まるか、など予想できるだろうか?そしてビリヤードの玉より途方もなく多い粒子(水、窒素、酸素、などなど)の世界に私たちは生きている。その動きを追うための手段はせいぜい流体力学。しかし流体の動きのシミュレーションが出来るようになったのは、コンピューターの発達を待たなければならなかった。そして最新のコンピューターを用いても、極めて基本的な水の流れ(流れを遮る一本の杭の周囲にできる乱流など)のシミュレーションくらいしかできないという。すごいなあ。気象現象など極めて大雑把な予想しかできないのも当たり前の話というわけだ。ましてや人の体の変化や心の動きなど・・・・・・。
では気象現象は、人の心は、まったく予想できないのか。そこで意味を持つのがゆらぎ、である。(続く)

2010年8月7日土曜日

不可知性 その1.フランスのたけし人気

ということで、いっそこのテーマにしてしまおう。失敗についてもいつの間にか結構書いたし。不可知性。Unknowability. 面白いなあ。普通は別に面白くないか? 結構長くなる気がする。
たけしがフランスで人気だそうだ。彼の映画はファンがたくさんいて、彼は巨匠扱いだそうな。彼のことを聞いて私は不可知性のことをごく自然に考えてしまう。「パフィー」がアメリカで受けている、という話を聞いたときもそんなことを思った。
不可知性ということと、人気ということ、ヒット曲、株価の上昇降下、結晶の形成、臨界状態、・・・・・みな繋がっている。複雑系という糸によって。私たちが住んでいる世界とは一種の臨界現象であり、ちょうど食塩の濃度が増して、どこかで塩の結晶ができはじめるような段階にあると言ってよい。そこではどこで結晶が形成され、大きくなっていくかはおそらくきわめて偶然に左右される、そういうことだ。
どうして私たちの生きている世界が臨界点にあるかといえば、臨界点に達している事柄に関して大きな動きが生じる可能性があり、私たちの関心を呼ぶからだ。相転移の生じないような状況、たとえば世界にまれに見る平和な時代であった江戸時代などは、政治体制という意味では相転移は起きず、そしてドラマのテーマにもならなかった。でも最大の相転移が訪れた幕末は、めまぐるしい出来事が生じ、一瞬先もわからない動乱を経て、数限り無いドラマが生まれた。私たちの興味や関心はそういうところにばかり向かうから、結局世界の動きは常に臨界現象ということになるわけだ。

そこでたけしの話だ。彼の何かがフランス人の映画評論家の心をつかみ、彼を評価し、そこから結晶が生み出されたのだろう。人気は途中から一人歩きをする。皆が注意をそれに向けたということは、それが人気を得るということになり、あとは自動的に、これまた予想不可能な地点まで結晶が育つ。他人がいい、と認めたものは、自分もそれを認めたいと思う。それにより自分も仲間に加わりたいからだ。それと実際に「いい」と感じることとは、意外なほど近い関係にある。かくしてたけしは映画監督としてすごい、ということにフランスではなった。日本ではさほどそうではなく、むしろ「あのフランスで認められているのだからすごいはずだ」というふうに評価されるというところがナサケけない。

そういえば日本においては少なくとも何が人気を博するかは、不可知とは言えないぞ。欧米、特にアメリカですでに流行ったもの。これが少し遅れて日本でも流行る。本当の意味で予想不可能で奇想天外なことは起きないというのが私たち日本社会なのだろうか?

2010年8月6日金曜日

失敗学について その10.バイクでの私の失敗

畑村先生の失敗学の理論は、一言で言えば「痛快」なのだが、それは彼の直接的な物言いにある。実にわかりやすい。そして彼のもうひとつわかりやすい主張が、「人間は、失敗からしか学べない。」である。失敗からしか、というのだ。もちろんこれは極端だ。人間は成功からも学ぶことは出来るだろう。でも敢えてそう言わないところに意味があるのだろう。
これは例えば何かの技術を学び、トレーニングを行う際の考え方を大きく変える可能性がある。ある技術を修得するためには、その技術を学ぶことに、そしてそれを用いることに失敗する必要がある・・・・・。私たちの技術を学ぶプロセスに、ほとんどこの考えが顧みられない。ある技術Aを学ぶということは、Aを用いないとどういう事が起きるかを身をもって体験しなくてはならないが、たいていはこのプロセスは無視される。Aはたいてい、テキストで学習したあと、実地で試される。

私たちの多くが体験する運転について考える。自動車教習所ではまず教科の学習があり、その後実際に運転席にすわる。教科の内容は頭だけの内容であり、完全に習得されていないはずだから、なかなか教えられたとおりに体が動かずに失敗する。それを繰り返していくうちに運転は習得されていく。でも実はそれは運転を本当の意味で学ぶということではない。ではどうするのか?

私はその昔研修医時代にバイクに載って通勤した。はじめは50ccのミニバイクを、そして後には250ccに出世して乗り回していた。その体験で忘れられないことは、転倒した体験だ。とくに50ccでタイヤが小さなバイクは、ブレーキをかける時ほんの少しでもタイヤが曲がっていたら、つまりハンドルを切っていたら、本当にあっという間に路面を滑り、そして転倒する。あのバイクがコントロールを完全に失い、道を斜めに横切って行く時の絶望的な感覚は決して忘れられない。

ある朝、病院に向かっていたら、雨が降ってきた。教習所では、特に雨の降り始めに路面が非常に滑りやすくなっていることを教わっていた。 そこで太い通りのカーブを緩やかに曲がっている最中に、こんなに交通量の多いところで車体が滑っては大変、といつもよりスピードを緩めるつもりでブレーキをかけると、ツーっと滑っていった。その時私の直後に車が走っていたら、私は今この世にいなかったかもしれない。

バイクのブレーキを、ハンドルが曲がった状態でかけると大変なことが起きる・・・・。それを身をもって学習するためには、私はこの生命を危うく失いかねない失敗を、4度ほど体験した。最後の一回など、「このくらい緩やかなブレーキなら、大丈夫だろう、というのは誤りである。」というかたちで。
私がバイクを運転して命を失わないための方法についての学習は、少なくとも教科書に太字では書いていなかった。それにそのような間違いを普通の人はしないらしく、そのような怖い体験を語って私に警告してくれる人もなかった。
私の知っているかなりの数の人が、若い頃バイクを乗り回し、ある時期からぱったりやめてしまった。私の職場の上司がそうであり(彼からバイクを安く買ったのだ)、私の妻もそうだ。彼らはバイクで事故を起こし、あるいは目の前で事故を起こして救急車で運ばれる運転者を間近に見て、あるいはトラックに巻き込まれる運転者を見て「バイクは怖い。運転してはいけない。」ということを学習して、乗るのをやめていくのだ。
私たちは自分の身を危険に晒すような技術については、「失敗」から学んでそれを防ぐ方法を知る。しかし自分の用いる技術が他人を、それも見えにくい形で害するという形でしか「失敗」しない限り、それは決して身をもって学ばれることはなく、決して失敗はこの世からなくならないのだろう・・・・。

2010年8月5日木曜日

失敗学について その9. 失敗学と不可知性

どうも私の話はいつも不可知論の方に行ってしまう。というより私の興味が不可知性に向かっていくようなテーマに自然と向かうということだと思う。でも失敗学はやはりこの問題とつながっているのは確かだ。
失敗学とは、失敗をなくそう、という学問ではない。もしそうだとすると、それ自体が失敗例ということになる。失敗はなくすことはできない。そうではなくて、失敗学は失敗を少しでも深く知るための学問、というべきだ。あるいは、「失敗がどうしてなくならないかを問う学問」というべきか。
一昨日失敗が生じる原因は、私たちが「蓋然性」を「必然性」にすり替えてしまうことが問題だ、と私はいった。しかしこれは、私たちを取り囲む自然(宇宙)が悠久で(といっても宇宙物理から言えば始まりと終わりがあるようだが)、それに比べて私たち一人ひとりの人生がほんの一瞬に過ぎないということに関係している。私たちは「生きている限りは大きな失敗がなければそれでいい」のである。そのためには蓋然性を必然性に変えてでも、その矛盾が露呈しないうちに生き抜ければいい、というところがある。
例えばアメリカのシアトルに住んでいるとする。ここは何百年に一度の頻度で長周期の巨大地震が起きる地形であるという。(わかった風な書き方だが、全部過去のNHKの教養番組の受け売りである。)前回の巨大地震のころは、コロンブス以前でシアトルという都市はまだ存在していなかったが、その巨大津波の跡は、太平洋を越えた日本にさえ残っているという。そしてシアトルの内陸の地層を調べても、それ以前にも大地震が起きた形跡がうかがえるという。しかし今のワシントン州シアトルは、最後の地震からはるかに時間を経てでき上がったし、その頃は長周期地震という概念はおろか、地震学そのものがなかったから、建物なども地震など想定していない作りになっている。
そこで二千X年に次の地震が起きるとしよう。シアトル市に耐震構造の万全でないビルを建てたA氏が、二千Xマイナス一年に臨終を迎える。「自分の人生はうまくいった。自分でビルも建てたし、平和な人生を送ることができた。」A氏の人生は成功裏に終わったことになる。そして翌年巨大地震が発生する。シアトルの町は建物がいたるところで倒壊し、巨大な津波に襲われて多くの人が溺死し、あるいは家を失う。臨終を迎えていた建物のオーナーB氏は、死の直前になり建物の下敷きになり、薄れていく意識とともにつぶやく。「何という人生だ!こんな建物、砂上の楼閣だったのだ。苦労して財をなし、ようやく建てたビルに圧しつぶされて死ぬなんて、なんと皮肉で愚かな話なんだろう?」

シアトルの皆さん、例に出してごめんなさい
ここでA氏が失敗しないために必要だったのは、大地震に備えてビルを耐震構造を備えたものに立て直すことではなかったのだ。ただ「何百年に一度という地震など、私が生きているうちに起きることは絶対ない」と信じ、生き抜けることだった。結局未来は不可知なのだ。今後10年の間に起きる確率が非常に低い出来事について、そのすべてに日ごろの準備をかかさないとしたら、人生はそれだけで終わってしまう。人は火災保険、水害保険、竜巻保険のすべてに加入し、癌保険、入院保険そして生命保険に入り、保険料を支払っていたら毎日の食費さえ残らなくなってしまうだろう。だから極めて重大で極めてまれな失敗は、絶対に起きないという前提で生きていくしかないのだ。そして万が一雷が落ちて家が焼け、あるいは竜巻にあって飛ばされたとしたら、人は言う。「未来に備えていなかったなんて、明らかに失敗だった。」未来は不可知であったことを忘れて、今度はそれを何らかの形で予見できなかったことを悔やむのである。
こうして失敗は永遠に存在し続けるのだ。(この文は、ここまで読んでいただける価値はあったのだろうか?)

2010年8月4日水曜日

失敗学 (昨日の続き)

暑い日が続くが、朝夕の日差しが低くなったのが嬉しい。それでも昼間の外出時は、雨傘などを日傘代わりに使っている。

昨日の話は、「失敗は蓋然性を必然性に取り違えることが原因となる」ということであった。わかりやすくいえば、「多分~なるだろう」を「ぜったい~はずだ」という考えに変えてしまうことで、確率的にはおきても決しておかしくないこと、すなわちそれ自身は失敗でもなんでもないことが、ことごとく「失敗」になってしまうということだ。これは当たり前の話であるが、私たちは生きていくうえで「たぶん→絶対に」変換をしばしば行う必要に迫られる。ちょうど太平洋戦争のさなかは、「負けるかもしれない」は口に出しただけでも非国民扱いされたように、である。


今日は失敗が起きるもう一つの要因として、恥の感覚を取り上げたい。おそらくこちらの方がより身近で大事なテーマかもしれない。失敗することはとても恥ずかしい、あるいは恥ずべきことであり、失敗しそうなこと、あるいはしてしまったことは出来るだけ隠したいという力は常に私たちの心に働いている。かくして「失敗が起きない」という前提に立った制度や体制が私たちの社会のいたるところに出来上がり、それが必然的に、失敗を産出する、というわけである。

失敗には、倫理的なものと、アクシデント、つまり自己とがある。倫理的、とは法や決まりを意図的に犯すということだ。これだって「出来心」「ふと魔がさす瞬間」という言い方をするなら、一種の事故なのであるが、これを自分が犯す可能性を認めることは難しい、というよりも社会がそれを普通は許してくれない。倫理的な「失敗」は本来起きてはならないものなのである。

例えば政治家たちに、「あなたたちは低い確率でではあっても、贈収賄に関わったり、違法な政治献金を受けるということがありますよね。」と尋ねても、「ハイ、そうです」などという輩など絶対いないだろう。「私は天地天命に誓って、そんなよこしまなことはいたしません。」となる。むろん政治家だけではない。一般の社会人でもそうだ。「私は低い確率ではあったも、ちょっとした所得隠しや水増し請求、裏金つくりなどをしてしまうかもしれない。それは私が人間だからだ」などといったら、即刻クビになるのではないか?「自分は決して悪いことはしない」という前提は、少なくとも社会に対しては建前上表明せざるを得ない。そしてそのことが、既に失敗を想定しないシステムをつくってしまう。だから人間社会に失敗は決してなくならない。ところが実際の政治で、賄賂が発生しない体性など、およそ考えられない。とすればこれはしっかり「おき得るべき失敗」として予想しなくてはならないのである。そしてそのためには、人間をまったく異なる存在として把握しなくてはならなくなる。その際の視点は、心理学でも社会学でもなく、むしろエソロジー(動物行動学)なのだろう。

2010年8月3日火曜日

失敗学 その7 失敗がどうして起きるのか、という根本的なテーマ

毎日暑い日が続くが、やはり私は冬がいやである。こんなに暑くて苦しいけれど、たとえば外出から帰って冷たい●●を口にする時はたまらない。(●●はビール、ではない。)これは冬には味わえない快感だ。

なぜ失敗が起きるのか、という根本的な問題に触れてみよう。それは突き詰めて言えば、私たちが毎日を送る上で、予想可能性を前提としているからだ。

例えばこの間の日曜に見た竜馬伝の中から。竜馬は薩長連合を画策して、長州の桂小五郎のもとを訪れ、「薩摩の西郷が絶対来るから、下関で待つように」と説得する。薩摩を憎んでいる藩士たちを束ねる桂小五郎は、それでも龍馬を信じて待つことにした。ところがとうとう西郷は現れず、桂は激怒して、「キミを信じた僕が馬鹿だった。二度とおれの前に現われるな!」となった。彼は藩士たちを前にして大恥をかかされたのだから無理もない。そして龍馬はどうして中岡慎太郎が西郷を説得できなかったのかと悔やむ ・・・・・・。絵にかいたような失敗である。

しかし考えれば、これはおかしな失敗だ。実際はストーリーを追えば分かる通り、それぞれの部分で成功する率は決して高くない。(少なくともドラマではそうなっている)。この計画が失敗したのは、「絶対に西郷が・・・・・」「必ず薩長連合は成就する・・・」という形で蓋然性を必然性に置き換えたからである。そこの時点で間違っている。西郷がおとなしく中岡慎太郎と一緒に下関まで来る確率はおそらく6割くらいだったのではないか?(←まったくテキトーな数字である。)とすれば龍馬はこう言えばよかったのだ。

「桂よ、おそらく西郷は此処に来るのは五分五分の確率だ。でもそれはすごいことなんだ。是非ここにいる長州藩士たちを説得して、待っておくれ。」

これでは薩摩を討つべし、と息巻く長州藩士たちを説得できるはずはない。「絶対!」ということで人はやっと動くものである。では龍馬は、7割(←少し上がった)のの確率にかけて、ハッタリで桂小五郎を説得しようとしたのか?

ここからは私の想像だが、龍馬の頭の中に、そして私たち皆の心のなかにある種の新年があるのだろう。それは強く期待し、強く念じれば、蓋然性は必然性になる。祈り、である。祈って、「多分」を「絶対」に置き換えることで、人は力を発揮できることがある。そしておそらく実際に西郷をつれてくる確率は、例えば6割から7割に上がるのだろう。だから私たちは「Aが起きる」ということを祈る、強く念じる、という行為をやめることがない。そして結果として蓋然性は必然性に「誤認」され、当然ありうる「Aは起きない」という現象を、失敗にしてしまうのだ。かくして私たちは普通の生活を送っている以上は、常に失敗を避けることができない・・・・。

失敗学 5 関取の残心 ← なぜか今日の投稿になってしまった

このブログは無計画で思いつきで書いているので、説明不足が多い。昨日の話も、どうして受話器を置いてため息をついた話と残心が関係あるのか、と疑問に思う人もいるかもしれない。要するに両方とも終わり方の問題だと言いたかったのだ。
残心と終わり方、というテーマとの関連で、最近相撲を見るのが少し面白くなった。相撲取りによって相手を土俵に押し出した後の態度がぜんぜん違うのだ。要は残心をそこに込めることができるかどうか、ということだ。私の関心の発端は、朝●龍だ。はっきり言って彼は残心のかけらもなかった。相手が土俵を割ってからも、バーンとダメ押しをして、その結果相手は土俵を割っただけでなく、そこから突き落とされそうになる。これは危険行為だ。私は常々相撲の土俵を最初につくった人間は間違っていたと思う。あれは臼状に作るべきであり、土俵を一段高く作ったがために、押し出された人は高いところから突き落とされるために怪我をしかねなくなった。土俵を一段高くするのなら、本来ならボクシングやプロレスのリンクのように、ロープを張っておきたいものだ。いわゆる「砂被り」にいる人は、まるでクッションになって相撲取りの怪我を防いでいるのか、とさえ思ってしまう。(ということはあそこにいたという反社会的な屈強な方々は、その意味で役に立っていたということになる。)
話を戻すが、朝●龍の態度はあまりに品がなかった。土俵を割った相手にどのような態度を取るかが、相撲取りの品格の表れなのである。その意味では琴欧州などは優等生ではないか。相手を押し出した後は、力を抜いて、むしろ抱えてあげるようにして、相手が土俵下に転落するのを防いで挙げる。相撲取り同士が抱き合うような形で静止して戦いが終わる。激しい戦いが、勝敗がついた瞬間静寂に戻るという感じだ。撲取りはあそこで相手に思いやりを示し、同時に品格を表すといっていい。投げられた相手に手を差し伸べる、というのも同じ類だ。負けた相手に情けをかけると言ってもいい。それをされた側の相撲取りも、それにより卑屈になることもないようだ。(朝●龍だったら、投げられて手を差し伸べられたら、払いのけるのがイメージできそうだが、実際にはそれも見たことがない。)
ともかくも一連の動から、すぐに静にもどるという流れは、その人が自分の動きをコントロール下に置き、それによる周囲や自己への影響を掌握しているということを表す。そしてこの動から静へ戻った状態が残心というわけである。とすれば残心を欠いた動きとは、アクティングアウト、衝動的で刹那的、無反省で無駄の多い動き、ということになるだろう。ある意味では「動物的な動きと同じじゃないか」、というわけだ。いや動物だって、例えば鷹ははるか上空から獲物を狙って一直線に急降下してうさぎをしとめるという動作を残心をもって行なえるかもしれない。鷹はそれを迷いなく、同様もなくいとも自然に行なうだろうからだ。するとやはり残心は「余裕」と関係しているのだろう。そして余裕のなさこそ、失敗への近道だといってもいいのかもしれない。(失敗学の話をしているのであった。)

2010年8月2日月曜日

ブログをどうするか?

最近読んだ本に、免疫学者多田富雄先生の「寡黙なる巨人」がある。ただ先生は、実は世界的に有名な免疫学者であり、しかも能の鼓の名手であったという。

   集英社 2007年
昔大学の教壇で目にした若々しい医学者のイメージが重なると親近感がわき、「免疫の意味論」なども読んでいた。それだけに彼が数年前に突如脳卒中で半身麻痺になった顛末を書いたこの本は非常にインパクトがあった。彼はそれ以来なくなるまで、特に最後はガンでこの世を去る際には、寝たきりになりながらコンピューターで一字一字入力する形で執筆を続けたのだ。

私達が五体を満足に動かすことができるのは実は大いなる僥倖なのである。動かせなくなり、ベッドで過ごすことになった後の人生も考えておかなくてはならない。ということで、最近はキンドルとか電子書籍とかに、そのような意味で興味がわく。宇宙物理学のホーキング博士によれば、文明の栄えた人類の歴史はもうそう長くない(そもそも宇宙の歴史の中ではほんの一瞬)ということになるが、そのおそらく最後の瞬間に、あらゆる知的作業を、それこそ数多くの文献を検索し、それをもとに執筆するという作業も含めて「寝たきり」でできるようになった時代に生きているというのは、私達はかなりラッキーな人類に属している。なにしろ虫歯一本治療するにも、その「治療」(ペンチのようなもので歯を抜くこと)ための激痛におののく時代に生きていた祖先のことを考えよ。彼らにとっては虫垂炎でさえ死病だったのだ。

結局何を言いたいかと言うと、ブログを書くということもその伏線であり、寝たきりになっても考えを伝える手段を作っておくという意味があるということだ。これはある意味で非常に贅沢なことだ。私達は病気になったり歳をとったりすると、人目に出るのが憚れることが多い。見る方も見られる方もつらいだろう。そしてそのブログに「コメント」欄を作るということは、自分の考えを伝えるだけでなく、読んだ人の反応を聞けるということだが、これは贅沢過ぎるように思う。と言うのでこれは私にとってはあくまで実験的なものである。