2010年7月27日火曜日

加藤智大被告のこと、そして失敗学その2

加藤智大被告が、「母親からの育てられ方が影響した」という証言をしたというニュースが今日流れた。精神科医としては複雑な心境。このメッセージが沢山の誤解をまねくのだろう。少なくとも「やはり母親の育て方か・・・・」という単純な考え方に陥る人が多く出ないことを望む。その上で言えば・・・・・客観的に見ればそこそこの育て方をした母親のことを深く恨む子がいる。それほど人間の主観世界は千差万別だということだろう。幼い子にとって親は絶対的な存在であるという時期がある。そこでの親は、愛情の源泉ともなれば、限りなく冷酷で恐ろしく、しかし絶対服従を強いられる対象ともなりうる。こうなると親になるというのはつくづく大変なことだ。自分の始めた仕事を受け継ぎ、深い感謝の念を持ち続けてくれる存在をこの世に持つことを意味するかも知れない。しかし自分を一生恨むという存在をこの世に送り出す可能性もあるのだ。


失敗学の続き。失敗学は、人は失敗を一定の確率や頻度でしでかすという前提から始める。しかしこの「失敗」には広義のそれ、つまり倫理的な堕落や慢心も含まれると考えるべきだ。失敗や過ちにも色々あるのだ。
例えば相撲界の野球賭博。政治家と金。これらのことが決して見過ごされていいというつもりはない。しかし彼らが心を入れなおし、清く正しく相撲道(だったっけ?)に精進し、政治を行ない、一切の悪に染まらない決意を固めることで済むわけはないことを認めるべきだろう。相撲界から賭博や暴力団の影響を駆逐するのなら、あるいはクリーンな政治を望むのであれば、途方もない資金と労力を使ってそれらを取り締まるしかないという事実を受け入れるべきだ。その認識がない人のコメントは実に空疎である。聞いていて知的レベルを疑う。(とは明らかに言いすぎだ。)