2017年5月27日土曜日

あらたに収録する章 「関係精神分析」③

5.関係精神分析の端緒-グリンバーグ, ミッチェルによる新しい提言

関係精神分析はいつから始まったのかという問いに対する答は単純ではないが、それを象徴するような、エポックメイキングともいえる出来事は確かにあった。それが1983年のグリンバーグとミッチェルによる「Object Relations  in Psychoanalytic Theory」(直訳すると「精神分析理論における対象関係だが、邦語訳名は「精神分析理論の展開」であり、以下この名前で呼ぶこととする))の出版である(Greenberg, Mitchell. 1983)。私がメニンガー・クリニックMenninger Clinic に留学した当時、特徴のある焦げ茶色のカバーの分厚い本がどのスタッフのオフィスの本棚にも見られたのを思い出す。それほどアメリカの精神分析ではこの本が熱狂を持って迎えられたのだ。(他方ではわが国における「精神分析理論の展開」の人気は芳しくない。この翻訳書が現在絶版となっていることが何よりその証拠と言えるだろう。)
「精神分析理論の展開」はフロイトにはじまり、クラインやフェアバーンに引き継がれていった精神分析の流れを網羅的に概説し、その中で対象関係論的な流れが生まれ、発展した経緯について網羅的に解説した労作である。すでに述べたが、その中で彼らが定式化した欲動・構造モデルと、関係・構造モデルの「関係」という用語が、その後の関係精神分析へと発展することになった。メニンガーのようなどちらかといえば保守的な色彩の強いクリニックでも本書が広く読まれたということは、サリバン派を精神分析理論として認知し、対象関係論に含めるという考えがさほど抵抗なく受け入れられる土壌が出来上がっていたことになろう。

さて関係精神分析の始まりを「精神分析理論の展開」から見出そうとしても、一種の肩透かしを食らうことになる。それは二つの意味においてである。一つは、関係精神分析という言葉はこの書にはまだ出てこないからだ。この本では依然として対象関係理論のことを論じている。そもそも「精神分析理論の展開」の原題は、「精神分析理論における対象関係Object relations in Psychoanalytic Theory」であることに注意したい。そう、この本は形の上では対象関係理論の本だったのだ。ただ関係を重んじる立場としてフェアバーンとサリバンにそのエッセンスを見出したことの意味は大きい。それにより対象関係理論の本流とも言うべきフェアバーンの理論に、在野のサリバンの自然さや自由さが自然と合流した形でその理論に新規さや発展性が生まれたのである。そして著者の二人がおそらく持ち続けていたであろう願望、すなわちサリバン派をアメリカの精神分析の本流につなげたいと言う希望もおそらくこれによりかなえられたことになる。明らかに二人の作戦勝ちである。

2017年5月26日金曜日

あらたに収録する章 「関係精神分析」②

 
3.古典理論から関係精神分析への橋渡しとしての対象関係論

関係精神分析がフロイトの欲論的な考えに対するアンチテーゼとして出発した経緯については既に触れたが、同様の主張をいち早く行ったのは英国に端を発した対象関係論であった。フロイトは基本的には理科系の人間であり、人間の精神を機械論的ないしは本能論的な視点から捉え、対象とのかかわりも結局はリビドーの満足を目指したものであるとみなす傾向があった。彼は何よりも科学者として、精神分析を一つの学問体系に仕上げることに懸命であった。その場合必然的に治療とは一種の実験的な色彩を伴い、患者はその実験の対象であった。もちろんフロイトはヒューマニスティックな側面も併せ持ち、それを人類の発展に役立てたいとは思っていたが、そこに情緒的にかかわるという志向性は薄かった。そして彼にとって治療とは患者の欲動の処理に伴う病理に対処するものとされ、その意味で典型的な一者心理学といえた。
英国においてイアン・サティIan Suttie やメラニー・クラインMelanie Klein, ロナルド・フェアバーンRonald Fairbairn らにより始まった英国対象関係論の中心的な視点は、「対象にかかわろうとする主体の欲求が中心的立場を占める」(24)ことであり、その点でフロイトのこの欲動論的な立場と一線を画しものであった。
ただしそれとは別に、フロイト自身の理論形成の中に対象関係論的な視点が芽生えていたことは、フロイトの理論をわが国に導入することに貢献した小此木啓吾が繰り返して強調していた。フロイトのその側面はメラニー・クラインに受け継がれ、フェアバーンやガントリップ等に多大な影響を与えたのであった(23)。小此木によれば、フロイトの精神分析的な認識の根源は「心的現実性」であり、それに基づいた超自我形成論こそ、フロイトにおける対象関係論の出発点であった。例えばエディプス・コンプレックスをめぐって生じる心的機序を考えれば、父母への同一化と、それにより内在化された父母像が超自我となると説明された。さらには超自我の過酷さも、子供が持つ内的な破壊性(死の本能)の投影されたものであるとする。そして「悲哀とメランコリー」(2)に見られる内的対象の議論もまた対象関係論の萌芽となった。
このようにクラインの理論が実はフロイト自身の対象関係理論に大きく触発されたものであり、そのフロイトが心的現実を非常に重んじた以上、それは結局は対象関係論自身を大きく規定ないし限定するものでもあったといえるのだ。つまりはフロイトに対するアンチテーゼを唱えたはずの対象関係論も、ある意味ではフロイト理論の特定の側面と同根であり、そこで重んじられたのは内的世界および内的対象の概念ではあっても、現実の対象ではなかったのである。この点が、対象関係論が同じリビドー論に対するアンチテーゼとして始まった対人関係論と典型的に異なっていたのである。

4.サリバンと対人関係学派

先に述べたグリンバーグ ミッチェルは対人関係学派の拠点ともいえるニューヨークのホワイト研究所(William Alanson White Institute)の出身である。関係精神分析が生まれる切っ掛けとなった「精神分析理論の展開」が、彼らがホワイト研究所で用いていた教材から生まれたという経緯を考えると、関係精神分析の萌芽は対人関係学派にあり、その源流はハリー・スタック・サリバン Harry Stuck Sullivan その人にあったとも言えよう。
サリバンは米国で統合失調症との治療的なかかわりを通して独自の理論や治療観を生みだす一方では、当時のドイツ精神医学のクレペリンKraepelinに見られる理論的、科学主義的な姿勢を批判した。サリバンはフロイトからも大きな影響を受けたが、同時にその中にクレペリンに見られる科学主義を感じ取り、それに対する疑義を持っていたことが伺える。
後に関係精神分析に継承される形で再評価されることとなったサリバン派の理論が、アメリカの精神分析では長い間亜流に位置づけられていたこととは特筆に値する。サリバン派は在野にあるものにのみ許される理論的な自由度や独自の主張を獲得していたのである。サリバンは正式な精神分析のトレーングを経ることなく、それだけその伝統に縛られることも少なかった。そして不安を基にした独自の精神病理を考え出すとともに、現実の患者との生きたかかわりを強調し、「関与しながらの観察participant observation」という言葉を残した(26)。彼が主として扱った患者が統合失調症の患者であったことも、その理論形成や治療観に深い影響を及ぼしていたと考えられる。
前述のようにフロイトから対象関係論者にいたる内的現実の重視の傾向が、精神分析の基本的な視点であるならば、サリバンは現実の患者との関わりを何より重んじていたという意味で、いわば精神分析のもっとも重要な部分を換骨奪胎しており、その意味では伝統的な精神分析の立場からの距離は明らかであった。
サリバンに代表される対人関係学派が対象関係理論とどう違ったかについて、エドガー・レベンソンEdgar Levensonは次のように表現している。「違いは見掛けの背後に現実を見るか、見かけに現実を見るかの違いである、という。これも決定的に重要なのだ(12)」。つまり背後に物事の本質を見るか、現実のかかわりそのものに本質を見るかという点で、サリバン派の姿勢は対象関係論を含めたフロイト理論とは明らかに一線を画していたのである。

それにもかかわらずサリバン自身はクララ・トンプソンClara Thompsonを通じて精神分析理論から学ぼうとする姿勢を保ち、精神分析学会との関係をむしろ望んだとされる。彼らは実に9年間ほど、彼らのホワイト研究所における研修がアメリカ精神分析協会に認可されるべくアプローチを続けたというが、結局受け入れられなかったと言われる(28)

2017年5月25日木曜日

あらたに収録する章 「関係精神分析」①

今後しばらくは、「新しい精神分析Ⅲ」に向けた衣替えした文章である。

 いまや関係精神分析は、米国における現代の精神分析の様々な流れの総称といってもいい。そこにはコフート理論、間主観性の理論、乳幼児精神医学、外傷および解離性の理論など、古典的な分析理論に対して相対主義的な立場を取るあらゆる動きが学派を超えて集結し、さらなる広がりを見せているという印象を受ける。私は関係精神分析こそが、精神分析の将来を担う、あるいはその希望を託すことが出来る流れだと考えている。
 関係精神分析は1983年に、ある著書により産声を上げた。ジェイ・グリンバーグJay Greenbergとスティーブン・ミッチェルStephen Mitchellによる著書「Object Relations in Psychoanalytic Theory(精神分析における対象関係理論)」(6)(邦訳題「精神分析理論の展開」)である。彼らはその本により、対象関係論と対人関係理論の共通項としての関係性という考え方を用いたのである(4)。
 それが対象関係論とも対人関係論とも異なる関係精神分析 relational psychoanalysis として独自のメッセージを帯びて発展していった背後には、その著者の一人であるミッチェルという希代の精神分析家のカリスマ性と人間性、そして強力なリーダーシップがあった。従来精神分析の学派の多くは、それぞれ一人の偉大なリーダーシップと共に発展してきた。クライン学派、ユング派、ラカン派、サリバン派等はその例である。関係精神分析はミッチェルの名前を冠してはいないが、いわばミッチェルが育て上げた学派というニュアンスすらあったのである。ミッチェルは2000年12月に不幸にも急死したが、その遺志は明確な形で現在も受け継がれている。

2.そもそも関係精神分析とは何か?

 関係精神分析の本質は、臨床場面で患者と治療者の間に生じる体験のリアリティを追求することにある。それはひとことで言えば同理論が強調する治療者と患者の二者性、ないしは二方向性である。治療関係において生じるのは、結局は二人の人間の間のやり取りである。当然のことながらお互いがお互いに影響を及ぼし合うのだ。それを前提として精神分析の理論を組み立てるという立場である。フロイトの示した古典的な精神分析モデルは、治療者は患者の自由連想に耳を傾け、その無意識的な欲動を解釈することを治療の本質として捉えていた。それは観察するものとされるもの、知るものと知らざる者、治すものと直されるものと一方向性を確かに有していた。しかし実際には治療者は客観的な観察者にとどまることはできない。その言動や振舞いは患者の自由連想に反映され、またその連想内容は翻って治療者に影響を与える。関係精神分析において強調される二者性は、治療者と患者は各瞬間に影響を及ぼしあっているという現実を指し示しているのである。
 関係精神分析の事実上の創始者であるグリンバーグとミッチェルは、このような自分たちの立場を、まずはフロイト的な欲動論的立場に対するアンチテーゼとして位置づけた。しかし同様の主張は米国において1970年代より複数の分析家によりなされている。それが古典的な視点に立ったいわゆる一者心理学one person psychologyとは異なる、二者心理学two person psychology(5)の立場である。精神分析を患者との相互的なかかわりの中で創造される過程として捉える関係精神分析は、その理論的な系譜としては、いわばこの二者心理学の発展形と言える。
 そしてこのような関係精神分析の立場はまた、いわゆる社会構築主義のそれとも多くの点で重なり、現代的な人間の知のパラダイムの展開、とりわけポストモダニズムの影響を大きく受けている。しかし関係精神分析は単に一つの理論的な立場には留まらない。その人間観や背後に流れるヒューマニズムにこそ大きな特徴がある。以下に述べるとおり、それは患者の立場の重視、ひいては人間性の尊重という姿勢に貫かれているのだ。
 ところがわが国の現状においては、臨床家の間で、関係精神分析に対する賛同の声や反論が聞かれる以前に、そもそもその存在が十分に認識されていない。米国を含む諸外国ではかなり存在感を増していることとは非常に対照的であるし、また非常に残念なことと言わなければならない。精神分析療法を実践する上で最も生産的なのは、治療技法を超えた治療者と患者との出会いの体験であり、関係精神分析はそれに理論的な根拠を与えてくれるからである。

2017年5月24日水曜日

未収録論文 ⑱

この論文が掲載された「土居健郎先生追悼集」、アマゾンでも売っていない。非売品らしい。

土居先生お世話になりました
(土居健郎先生追悼集 (2010年)に所収)
 私はこのような文を書かせていただく資格はあまりないように思う。土居先生を恩師と呼べるような直接のご指導を受けてはいなかったからだ。ただ一方的なお願いごとをしてお世話をいただいたという意識だけがある。
 私が医学生のころから、土居先生はすでに著名で近寄りがたい存在だったが、所属する医学部の精神科の教授ということだけで、こんな葉書を差し上げたことがある。「私は医学部の二年目ですが、精神科に進もうかと考えています。今読むべき本を教えてください。」土居先生は一面識もない医学生にもお返事をくださった。「今はいい文学書にでも親しんでおいでなさい。」いかにも土居先生らしいシンプルな答えであったが、私にはその真価が十分にわからなかった。
 それからほどなくして土居先生の退官記念講演があった。私にとっては先生の講義を聞く唯一の機会だったため、勇んで講堂に現れた私は、入り口で三人のクラスメートにたちまちつかまってしまった。精神科への志望をすでに明確に持っていながら、その道の大家の講義を聞かずに、赤門近くで「四人による遊戯」で時間を過ごしてしまうことにはさすがに後ろめたさを覚えた。
 後に精神科医になった私は、またご迷惑をおかけした。いきなり原稿用紙500枚の論文を読んでほしいと持ち込んだのである。臨床を初めて二年目の夏に、私はそれまでの一年間の臨床を通して膨らんでいたさまざまな着想を原稿用紙に書き綴った。自分の考えにうまく形を与えられずに悪戦苦闘したが、秋ごろには一抱えもある原稿用紙の束になった。最後は「人の行動が快楽やその予期によりいかに決定付けられるか」というようなテーマにまとまったのだが、あちこちに修正の入った手書き原稿、引用文献なし、というとんでもない代物だった。しかし私は書いている間中、その真価をわかってくれるのは土居先生しかいないと一方的に思い込んでいた。そして書きあげるや否や先生に面会を申込み、当時の先生の勤務先の国府台の国立精神衛生研究所に先生をお訪ねして原稿を手渡した。先生はあきれた表情で、「君の意気込みはよくわかった。だがとても全部読む気になれないよ。十分の一の長さにしなさい。」といわれた。私が一月ほどかかって要点のみを拾ったダイジェスト版をまとめると、それを読んでいただいた後に、先生は今度も実にあっさりとおっしゃった。「僕は君の言うことには反対だな。」そして「人は快楽以外に対しても動くものだよ。まあ、あせらずにやりなさい。」と諭していただいた。

    (以下、それほど長くないが略)

2017年5月23日火曜日

未収録論文 ⑰

自己心理学における無意識のとらえ方と治療への応用

最新精神医学 17 巻 6 号 2012 年に所収

 この「自己心理学における無意識のとらえ方と治療への応用」というテーマは、逆説的な意味を持っていることをはじめに述べておきたい。というのもコフートの提唱した精神分析理論やそれに基づく臨床は、無意識内容の追及を目標とする古典的な精神分析理論とはかなり趣を異にしているからだ。コフートは無意識の概念を直接に批判したわけではないが、その概念にあまり触れることなく、むしろ自己と他者との関係性にその関心を向けたのである。そしてそれがある意味では、彼独自の無意識概念の扱い方であったというのがこの小論の骨子である。

 「内省・共感」は無意識に向けられるのか?

 コフートが1971年に「自己の分析」(Kohut, 1971) により、独自の精神分析理論を打ち出した時、その理論的な構成が従来の精神分析とは大きく異なることは明白であった。特に自我ego に代わる自己 self の概念や、共感の概念は極めて革新的といえた。コフートはそれを従来の精神分析に対する補足であるとしたが、当時の精神分析界からはそのような受け止められ方をされなかったのも無理はなかったのである。 
 コフート理論の実質的なデビューは「自己の分析」に10年以上先立つ1959年の論文であった。「内省、共感、そして精神分析」(Kohut,1959)というその論文は、その後に展開する基本的な概念のいくつかを旗幟鮮明な形で打ち出している。それは「ミスター・サイコアナリシス」とまで呼ばれていたコフートが打ち出したまったく新しい路線だったのである。そこでこの論文をもとに、コフートにとっての無意識の概念について探ってみよう。

2017年5月22日月曜日

未収録論文 ⑯

いつか分析協会で発表した内容。これはちょっと収録できないな・・・。精神分析が週4回行われることに対する治療者の側の思い入れがとても気になっていたときに書いた論文である。

「分析状況」に関する一考察

1.はじめに

 精神分析状況とは不思議なものである。週に4セッションないし5セッションというプロセスがいったん開始すると、たまたま休みが重なって次回のセッションまで一週間ほど空いただけで、患者はすでにそこに物足りなさを感じるようになる。通常は週一度のセッションでもかなり高頻度であると感じられることもあるのに、どうしてそのようなことが起きるのであろうか。それは週4回という頻度が醸す一定のリズムや雰囲気や、それにより作り出される一種の心的な距離の近さ、ないしは親密さのせいであろう。患者は次回まであいた一週間という時間的な距離を、心的な距離の遠さと感じ、そこからくる物足りなさや寂しさを訴えているようでもある。そしてそれは治療者である報告者の心の中にも、わずかではあるが、ある種の寂しさを生むのである。
 週に4回ないし5回という設定の精神分析的な状況が、ある意味で特殊な人間関係を生むこと、そしてそれが場合によっては退行促進的であるということはこれまでも論じられてきた。そしてそれが一方では非常に洞察的で非・支持的な治療形態とされる精神分析療法にある種のパラドクスを与えていることも確かであろう。
        (以下略)


今回報告者が描く治療関係は、かつて週一度の精神療法を行ったケースである。それが週に頻回会うという治療構造を新たに設定してそれが開始されることで、そこにさまざまな変化が生じた。その中でも特に問題として浮かび上がったのが、この親密さの問題である。それに関して報告者が持ったいくつかの体験やそれに関する考察について触れたい。

2017年5月21日日曜日

未収録論文 ⑮

短いコラムだ。あまり使い道はなさそうである。

コラム 解離性障害なのか,統合失調症なのか?
《第25巻増刊号:今日の精神科治療ガイドライン》2010年 星和書店所収

 従来の精神医学では、統合失調症との鑑別診断として解離性障害が問題とされることは決して多いとはいえなかった。しかし解離性障害についての理解や認識が進むにつれ、多くの同障害の症例が統合失調症の名の下に治療を受け、有効とはいえない抗精神病薬を投与されているようなケースにも関心が向けられるようになってきている。

 解離性障害でも幻覚体験が起きることが精神科医に広く認識されるようになったのは比較的最近のことである。すでに何年も前に基礎的なトレーニングを終えた大部分の精神科医にとっては、「幻聴と言えば統合失調症」は常識の部類に属するであろう。すると患者が「誰もいないのに声が聞こえます」と報告しただけで、精神科医が「この人は統合失調症だ」と判断し、その後は急性期の治療としてさっそく抗精神病薬の処方がなされてしまうというわけである。
 統合失調症は、以前精神分裂病と呼ばれていた頃は、精神科の病気の中でもとりわけ重篤であるというニュアンスがあった。それが統合失調症という名前に変わったことで、軽症例もあり治療可能な病気という印象を与えるようになっている。しかしそれでも統合失調症は年の単位で学業や仕事を離れて治療に専念することを余儀なくされ、しかも社会復帰が極めて難しい深刻な障害であることにかわりはない。
 そのような深刻な疾患である統合失調症が、基本的には神経症圏に属するものとして理解される解離性障害とどうして間違われやすいのだろうか?ひとつには両方の障害において患者は非日常的でにわかには信じがたい体験を語るという点が共通している。そしてもうひとつは、両方とも幻覚症状が頻繁に見られることである。幻覚とは、視覚、聴覚、嗅覚、触覚などを含むさまざまな感覚の異常体験であり、このうち幻聴に関しては解離でも統合失調症でも非常にしばしば体験される。ただし実際には解離による幻聴と統合失調症によるそれとでは、かなり性質が異なるものである。
 解離性障害の場合は、幻聴を日常生活の一部として受け入れていることも少なくない。物心ついた時からすでに幻聴が聞こえている場合には特にその傾向が強い。他方統合失調症の方は、発症の数ヶ月前から徐々に幻聴が聞こえ始めたり、場合によってはある日突然声が聞こえ始めたりすることが普通であり、またその声により日常生活もままならないほど苦痛や怯えを感じていることが多い。
 以上両障害の幻聴の質の違いについて述べたが、無論あくまでも統合失調症の診断の決め手は、むしろ陰性症状の存在であるという点は強調しておくべきであろう。
 以下に解離性障害と統合失調症の幻聴の比較を表(略)に示す。