2017年7月24日月曜日

「自己開示」ってナンボのものだろう? (採録)(こんなものも書いたなあ ⑰)

久しぶりに読み直すと、結構面白い

               
古くて新しい「自己開示」の問題
また仲間の先生方と本を作った。「臨床場面での自己開示と倫理」(岩崎学術出版社, 2016年)である。共著者の横井先生、吾妻先生、富樫先生は毎年精神分析学会で関係精神分析関連の企画をする仲である。もう10年以上続けているだろうか。
この本の題名に盛られた「自己開示」や「倫理」は、そこで何年か前に扱われたテーマである。未だに自己開示は臨床家の間では問題になることが非常に多いが、これを正面から扱った本は皆無と言ってよい。(実際ネットで「自己開示」を検索することで、それが確かめられる。全くと言っていいほど検索に引っかからないことがわかるだろう。)その意味では本書はかなり珍しい本と言ってよいだろう。
「自己開示」は精神分析家たちにとっては古くて新しい問題だ。フロイトの「匿名性の原則」以来、いまだに彼らにとっての論争の種である。この間京都大学に客員教授でいらしたある英国精神分析学会のA先生は、非常にざっくばらんで柔軟な臨床スタイルを披露してくれたが、私が何かの話の中で「自己開示が臨床的な意味を持つかどうかは時と場合による」という趣旨のことを言った際に、キラリと目が光った。そして明確に釘をさすようにおっしゃった。「ケン(私のことである)、自己開示はいけませんよ。それは精神分析ではありません。」 精神分析のB先生は私が非常に尊敬している方だが、彼も自己開示は無条件で戒める立場だ。
 私は当惑を禁じえない。どうしてここまで自己開示は精神分析の本流の先生からは否定されるのか。私は別に「治療者は自己開示を進んでいたしましょう」という立場を取っているわけではなく、「適切な場合ならする、不適切な場合はしない」と言っているだけだが、自己開示反対派にとっては、同じことらしい。しかし彼らはそれでも「自己開示はしばしば自然に起きてしまっている」ということについては特に異論はなさそうである。それはそうであろう。治療者のオフィスには所持品があふれ、治療者が発表した書籍や論文はある意味では自己開示が満載である。あるいは治療者として発した言葉の一つ一つが、彼の個人的な在り方や考えを図らずも開示していると言うのが、現代的な考え方の一つである。
ここから一つ言えることは、精神分析の本流からは自己開示は認められないであろうことは確かなことだということだ。これほど有名な先生方の見解なのだから間違いがない。しかしおそらく彼らはこともなげにこう言うはずだ。「精神分析的な治療でなければ、自己開示はあり得るでしょう。」つまりは「正統派」の精神分析を外れたところに自己開示の真の価値があるということであろう。それはどのような意味なのか? あとは私たち4人がそれぞれ知恵を絞った論考を読んでそれぞれがお考えいただきたい。

臨床家の自己愛問題
私が最近になって特に思うのは、自己開示の問題には臨床家の自己愛が深く関係しているということである。本書(「臨床場面での自己開示と倫理」)にも書いたことだが、私自身はむしろ「臨床家は自己開示をし過ぎる危険がある」と考えているくらいだ。有名なフロイトの研究でも、彼自身は、晩年に治療した43例すべての患者に対して自己開示をしていたというのだ(Lynn, et al, 1998)。「自己開示反対」は、自己開示をしたい分析家のいわば反動形成的なところがあるのではないかとさえ思う。そこには分析家自身が自分の考えに対して過剰に自信や思い入れを持つ傾向もあろう。
 そこで本稿の表題「自己開示ってナンボのものだろう?」に立ち戻る。かなりくだけた表題だが、これは「臨床家は、自分の自己開示にいったいどれだけの価値があると思っているのだろう?一度よく考えてみてはどうか?」という提案のつもりである。治療者が自己開示を回避する姿勢は、その見かけ上の価値やインパクトを結局釣り上げていることになりはしないか? 
自己開示をめぐる問題を深く掘り下げて考えていくと、自己愛というもう一つの問題に到達する。自己開示を回避することは治療者にとって圧倒的に自分自身のプライドや権威を保つことを助けるという面がある。要するに「自己開示拒否」には治療者側にとって好都合な要素がたくさんあるわけだ。それがどうしても「患者のためなのか」という議論に優先する。 
 ここで整理しておこう。分析家の自己愛問題は「自己披瀝をする」という方向にも、「自己開示をしない」方向にも両方働くのだ。これは興味深い事実である。要するに自己愛的であるということは、「自分が披瀝したいことを語り、本当に恥ずかしいことや都合の悪いことには口をつぐむ」ということである。かつてハインツ・コフートは聴衆の前で自分の知識を延々と披露する一方では、個人的なことを聞かれることに不快を示したという。自分のことを話したがる治療者でも、クライエントから個人的なことを一方的に尋ねられたり、自分の気持ちを表明することを請われるとそれを侵入的と感じ、ムッとするものだ。そこで私がしばしばセラピストの卵たち伝える以下のメッセージとなる。「治療者は自分の体験を話すことが役に立つのであればいくらでも披露する用意を持ちつつ、しかし自分の余計な話を極力するべきでない」。
 この私の立場は実は私のもう一つの考えである「ヒアアンドナウを簡単に扱えると思うな」にも通じる。これも一見矛盾した言い方に聞こえるだろう。私がヒアアンドナウの転移解釈を安易に用いるべきではないと思うのは、セラピストがそれを扱う用意がしばしば不足しているからだ。「あなたが時間に遅れてきたのは、治療に対する抵抗ですね」は、セラピストが本当に冷静な気分でないと逆効果だろう。さらにはクライエントの遅刻が実際の抵抗である可能性がかなり高くないと意味がない。また「あなたが遅れたのは治療に抵抗していますね」という治療者の側の見立ての自己開示ということになるということを勘案しなくてはならない。ヒアアンドナウが真に変容的(mutative, Strachey)であるというテキスト通りの理解に沿ったものではなく、あくまでもクライエントにとって重要な提案であるから行うのであり、「正しい分析」を行うためではない、という条件もクリアーしなくてはならない。これだけのハードルを越えて行われる転移解釈はごく限られた機会にのみ有効に行われることになるであろう。

臨床家が自分の自己愛をチェックする
ここで臨床家が深い自己愛に陥っているかどうかをチェックする方法を考えた。こんなことを患者から問われたことを想像するのである。
「先生も人間としての悩みをお持ちですか?」 
もちろん突然これを実際にクライエントから尋ねられたら治療者は驚くだろうし、侵入的に感じるだろう。「この質問のその背後にあるものは何か?」と考えたくもなろう。だから想像上のクライエントから真剣に、あるいは恐る恐る尋ねられた場合を想定するのだ。自分が患者を援助する立場にある、というだけでなく無意識的に自分は患者より優れている、上の立場にいる、という気持ちを持ちやすい治療者なら、この状況を頭に描いただけでもその質問を非常に侵入的で攻撃的にすら感じるだろう。「この患者は自分の問題を扱われることを回避して、私を同じようなレベルに引き摺り下ろそうとしているのではないか?」「この患者は明らかに治療に対する抵抗を示している。」 でも患者は目の前の治療者が自分とは異なる超人的な人間であり、自分のような人間的な悩みは持っていないというファンタジーと一生懸命戦っていて、ふとこのような疑問が出ただけかもしれないであろう。そう、この種の自己開示にどれだけ抵抗を示すかが、その治療者がいかに自己愛的なスタンスをもっているかの明確な指標となるのである。他方で「ああ、私自身のセラピストにも同じようなことを感じたなあ」と自分のトレーニング時代の体験を思い出せる治療者はおそらく自己開示を本当の意味で臨床的に用いることが出来る立場に一歩近いのであろう。
Lynn,DE, Vaillant,GE (1998) Anonymity, neutrality, and confidentiality in the actual methods of Sigmund Freud: A review of 43 cases, 1907-1939. American Journal of Psychiatry, 155:163-71. 



2017年7月23日日曜日

共感と解釈 書き直し ⑤ 大文字のD 書き直し ⑥

それでは治療者は来談者を心地よくさせればいいのか?
 これが最後の疑問である。治療が継続する大きな要因が、患者さんの居心地の良さであるとしたら、治療者はそれを提供することを第一に考えるべきであろうか? 私はそれを否定しないが、治療者が向かうべき問題はより大きなものである。それは来談者の人生の質(QOL)の向上に最善を尽くすことである。それがその時の来談者に安心感を提供したり、孤独を救うことを意味するのなら、それでいいのである。しかしその時に来談者が洞察を得ることが将来的なQOLの向上に役立つのであれば、それも大切なことである。(←提供モデルの基本理念である。) すると治療者がどのようなスキルや力を備えていることが、来談者のQOLの向上につながるのだろうか? おそらくそれは来談者の体験を的確に知る認知能力と共感能力、そして倫理観、愛他性ということになるだろうか。治療構造、精神分析の(相対的な意味での)基本原則はそれを最大限にするために用いるものである。

Fairbairn
It has not been well recognized that Fairbairn’s theory of schizoid mechanism is practically that of splitting and dissociation. Fairbairn says, ”… it may be added that my own investigations of patients with hysterical symptoms leave me in no doubt whatever that the dissociation phenomena of ‘hysteria’ involve a split of the ego fundamentally identical with that which confers upon the term ‘schizoid’ its etymological significance”. p. 92(”Psychoanalytic Studies of the Personality” Routledge, 1952 ) “So far as the manifestations of dual and multiple personality are concerned, their essentially schizoid nature may be inferred from a discreet study of the numerous cases described by Janet, William James, and Morton Prince.  … The personality of the hysteric invariably contains a schizoid factor in greater or lesser degree, however deeply this may be buried.(ibid, P5.)”
Although Fairbairn did not follow suit in neglecting the notion of dissociation as many of his contemporary analysts, his definition of schizoid phenomenon that he associated with dissociation is unfortunately too ambiguous. He states that there are three features of schizoid state, including omnipotence, isolation and detachment, and concern for inner reality, which did not include any nuance of mental functions being separated or “split” apart, as the original idea of dissociation and hypnoid state connoted. Fairbairn might have observed this schizoid phenomenon in various kinds of psychopathology, especially against the background of Bleuler’s proposal of “schizophrenia”, which also appeared to have not only psychotic features but also dissociative aspects. Although schizoid problem became one of the main focuses of the British object relations theory, it grew apart of the concept of dissociation. It was Guntrip who summarized the “schizoid problem” in the chapter 6 of his book (Guntrip, 1971).   
 “As Winicott stated, if the care of “good enough mother” was unavailable, a child splits off true, vulnerable self underneath false self. “ “ If an external defense of cold and emotionless intellectual person hides a vulnerable, greedy and fearful infantile self, it would eventually appear in the world of dreams and fantasy". 

Harry Guntrip (1971)  Psychoanalytic theory, therapy, and the self, Basic Books.

2017年7月22日土曜日

解釈と共感 書き直し ④ 大文字のD 書き直し ⑤

そもそも精神療法とは何をするところなのか
ここからは、本発表の後半部分である。前半では、治療者の役割のうちの解釈部分は、治療者が自分の無意識を知りたいという前提があって意味のある介入ではあるものの、そこで主要な意味を持つのはオブザベーション(指摘)であるという内容だった。しかしそもそも患者が何を求めて来談するかという問題に関する答えには至っていない。そこで「そもそも精神療法とは何をするところなのか」というテーマにまで戻ることをお許し願いたい。
実は精神療法とは何をするところなのか、というテーマはとても奥が深い。おそらく誰もこれを定義することが出来ないであろうし、それは精神療法ないしはカウンセリングという立場で実に様々なことが生じているということを表している。セラピストとクライエントが一定の時間言葉を交わし、料金が支払われる。そしてクライエントが再びセラピストが訪れる意欲や動機を持ち続ける限りはそのプロセスは継続していく。そしてその動機が継続していく限りは、非倫理的なこと(治療者による患者の搾取など)が起きていない限りは、それは精神療法として成立するのである。
そこでなぜ治療に通うだけのモティベーションが維持されるのかを考える。ここではふつうは具体的な動機付けから考えるのであるが、私は逆を行きたい。それは患者にもわからない動機である。私たちがヨガに通うとき、マッサージに通うとき、囲碁のクラスに通うとき、おそらくそこでの雰囲気やそこから帰った時の気分を考えるだろう。おそらくは間違いなくある種の漠然とした心地よさを感じているはずである。あるいはそれを継続すると決めたことによるある種の達成感ということもあるだろう。そしてその心地よさがどこから来るかは、本人にも詳細はわからないのである。ただしそこで面接室の雰囲気、行き帰りの時間等を考えるであろう。それらの総合なのだ。「今日はセッションに行こうか?それともキャンセルしようか?」と深刻に思う際、非常に総合的な評価が無意識になされている。ある患者さんは、「セッションに行くと、そのあと気分が持ち上がる、いい気持ちになる、達成感がわく、ということがあるんです」とおっしゃったが、それは治療がうまく行っていることの表れと言えるだろう。それが治療者に会いたい、そこでは居心地良く過ごすことが出来る、などの体験を生む。そこには様々な要素が考えられよう。私は特に以下の三つを考える。
1 自分の話を聞いてもらい、分かってもらえたという感覚を持つこと。
2 自分の体験に関して説明をしてもらうこと。
3.治療者の存在に触れることで孤独感が癒されること 
ただし私はここに「自分を知りたいから」を一般的な動機からすでに除外しておいてある。それはすでに前半で述べたからである。それ以外の理由を考えていただきたい。もちろんこの三つ以外にもあるかもしれないが、これら三つはおそらく最も重要な位置を占めるだろう。1.に関しては、人が自分という存在を認めてもらいたいという強烈な自己愛的な欲求と結びついている。私たちはどうして体験を人に話したいのか? 悩みを聞いてほしいのか? 何か面白い体験をした時に人に話したくなるのか? すべてがこの1に関係している。時にはこれだけで精神療法が成立しているのではないかと思うこともある。しかしそれだけではないだろう。
2.の「説明してもらう」については、ある意味では治療者をより本格的な精神療法過程へと引き込むことになる。これは要するに自分に起きていることを、言葉で表現することで頭に収めたいということだが、要するに物事の因果関係を明らかにするということだろう。そのためにはどうしても言葉が必要になるのだ。「いま私には何が起きているの?」「私はどうしたらいいの?」すべてのせっぱつまった疑問に対する答えは、ある種の因果関係を示すことなのだ。「AだからBが起きたんだよ。」するとそれだけで納得でき、心に収めることが出来る。その中にはたとえば「起きたことは大したことないから、心配することないよ」単なる気のせいだよ。
浅田真央さんが引退すると言うことで、ちょっと前にメディアでいろいろなシーンが流された。浅田選手を送り出すときの佐藤コーチ。何かを言っている。よく聞くと「メダルを取ることなんていいんだ。とにかく自分の演技をしなさい。これまでの自分を信じるんだ。」という言葉が聞こえた。真央ちゃんはそれを真剣に聞き、納得してリンクの中央に向かって滑り出していく。あの言葉は何だろう? 今流行の言葉で言うナラティブである。一つのまとまった意味。それは私たちに安心感を与える。それがないと不安でいられないのだろう。事前は、人生はまさにカオスのふちにある。何が起きるかわからない。本来はとても怖い世界であることを実は私たちは感覚的に知っている。そのときに一つでもそこに意味を見出すことで安心する。何となく体がだるい。何が自分に起きているのだろう? ふとのどの痛みに気がつく。熱も少しある。「そうか、風邪なんだ」と納得する。「おそらく風邪だろう」はそれより悪性の、場合によっては致命的な何かではなさそうだ、という安心感を与えるのだ。
しかしそれにしても昔の人たちは大変だったはずだ。たとえば日食が起きて急に空が暗くなったとしても、不吉な出来事の前兆とされたのである。今の私たちだったら意味のないこのナラティブは、おそらく日蝕に関する科学的な説明、つまり何年かに一度起きる天体現象であり、無害であるというナラティブに取って代わることで私たちを安心させてくれたわけである。


さて3.これも実に侮れないというか、実は心理療法が継続される際の最大のモティベーションとなっているのではないかと言える。そしてこれはもちろん1.との関係する。さもないとセラピストは患者の孤独感を決していやしてもらえないだろう。人間関係の中には、長年連れ添った夫婦や、成人後も生活を共にする親子関係なので、身体的には互いに近い場所で生活をしていても、精神的には極めて希薄な関係しかなかったり、一緒にいることでもっと寂しくなる、という、いわば「在の不在」としての他者さえいる。その中で治療者は常に患者の側に立って、しっかり「在の在」としての役割を発揮してくれる。



Dissociation in the psychoanalytic context - after Freud

Fortunately, many of Freud’s immediate followers did not abide by Freud's rather negative attitude toward dissociation. Ferenczi, Fairbairn, Winnicott, among other people integrated the idea of dissociation in their theory, although their way of using the term is greatly different.
The first analyst who made the stance clearly different from Freud’s was Ferenczi, and his writing is worthy of close examination. In the 1930s, Ferenczi returned to the place where Freud conceived his trauma theory before he allegedly abandoned in1897. (Masson, The Assault on Truth (1984). In his 1933 paper, Ferenczi made clear that splitting of consciousness of the patients is due to the trauma in their childhood, basically echoing Breuer’s views. He stressed that as the trauma repeats itself, the process of splitting becomes even more complicated and different personalities are created along the process. (Ferenczi, S. (1933/1949 ).  Confusion of tongues between the adult and the child. International Journal of Psychoanalysis, 30, 225-230.) 
  It is to note that “Confusion of Tangues” dealt with the issue of dissociation in a way that Freud would never approve of, as he loathed the notion of “hypnoid phenomenon” brought forward by Breuer. The following passage of Frenzci’s paper contains passages which indicate that he believed in the dissociative process in the sense that van der Hart would classify as (2) type. (underline added by Okano).  
   After that the patient started to do everything she was asked to do. We talk a good deal in analysis of regressions into the infantile, but we do not really believe to what great extent we are right; we talk a lot about the splitting of the personality, but do not seem sufficiently to appreciate the depth of these splits. If we keep up our cool, educational attitude even vis-à-vis an opisthotonic patient, we tear to shreds the last thread that connects him to us. The patient gone off into his trance is a child indeed who no longer reacts to intellectual explanations, only perhaps to maternal friendliness; without it he feels lonely and abandoned in his greatest need, i.e. in the same unbearable situation which at one time led to a splitting of his mind and eventually to his illness; thus it is no wonder that the patient cannot but repeat now the symptom-formation exactly as he did at the time when his illness started.(p227). Sándor Ferenczi , 1949;Confusion of the Tongues Between the Adults and the Child—(The Language of Tenderness and of Passion).International Journal of Psycho-Analysis, 30:225-230., underline added by Okano.
 His statement “The patient gone off into his trance is a child indeed” should be paid special attention. What Ferenczi practically meant was that the child has an agency in its own right, with his/her emotion, sensation and memory. That part shows “the concomitant development of a separate, split off, psychic organization, personality, or stream of consciousness”(van der Hart,2009).
In his paper, Ferenczi proposed his own idea about how this separate, split off, psychic organization or personality is formed. He mentions the notion of "identification of the aggressor" in order to give a theoretical background. This notion (hereafter abbreviated as “IWA”) is generally considered to have been introduced by Anna Freud (1936; Laplanche & Pontalis, 1974, p. 207), who included IWA as one of the defense mechanisms:Ferenczi’s notion predates that of Anna Freud, although his publication came much later in English.
 Exploring the early memories of his adult patients who had been abused as children, Ferenczi (1933) found evidence that children who are terrified by adults who are out of control will “subordinate themselves like automata to the will of the aggressor to divine each one of his desires and to gratify these; completely oblivious of themselves they identify themselves with the aggressor…. The weak and undeveloped personality reacts to sudden unpleasure not by defense, but by anxiety-ridden identification and by introjection of the menacing person or aggressor” (pp. 162-163, entire passage italicized in the original). The child “become[s] one” (p. 165) with the attacker. (p. 131)
Ferenczi distinguished mechanisms of identification and introjection, which are like two sides of a coin. Identification in Ferenczi’s use of the term means trying to feel what another person feels, essentially by getting into that other person’s head. In contrast, in introjection, one gets an image of someone into one’s own head.  
  It is to be argued that Frenczi’s notion of IWA is practically speaking dissociative process, where aggressive part of personality is formed with its agency (“automaton”).
”As a result of the identification with the aggressor, let us call it introjection, the aggressor disappears as external reality and becomes intrapsychic instead of extra-psychic; however, the intra-psychic is subject to the primary process in dreamlike state, as is the traumatic trance, that is, in accordance with the pleasure principle, it can be shaped and transformed into a positive as well as negative hallucination.”




2017年7月21日金曜日

解釈と共感 書き直し ③ 大文字のD 書き直し ④

私たちがせいぜい求めているのは洞察である
少なくとも私たちは共感だけではなく、自分について知りたいという部分を持つことがあることを示したつもりである。しかしそれは解釈のみによりもたらされるわけではない。そのことを示してみよう。
まず洞察とは何か? ここで分析協会のHPに北山会長が書いている文章を参考にしよう。
私たちは誰でも、ある種の無意識的なとらわれのなかで生きています。そのとらわれが大きすぎると、苦しくなり、ゆとりを失い、ときにはこころの病になります。 精神分析は特別なやりかたで、分析を受ける方と精神分析家とが交流する実践です。分析を受ける方がしだいに自分自身を無意識的な部分も含めてこころの底から理解し、とらわれから自由になり、生き生きとしたこころのゆとりを回復させることをめざしています。(日本精神分析協会ホームページ「精神分析とは」の一節)
この自らのとらわれ、という言い方は適切だと私が思うのは、特にこれを無意識的、と断っていないからである。自分にもその正体がわからないながら繰り返してしまう行動や言動。それを知ることが洞察であろう。その際知る対象は客観的な現実や真実ではないということが重要である。
ここで改めて洞察とは何か? 私はある思考、ナラティブが強いリアリティ(信憑性)を伴って得られること。としよう。それが得られるプロセスとしては、私は以下のものを考える。
     脳科学的に言えば、幾つかの思考のネットワーク間に成立する新たな結びつきである、ということが出来る。これまで慣れ親しんでいた二つの思考回路に一度連絡路が開かれるとそれは半ば永続的に強化される可能性がある。それは例えば二つの湖の間に穿たれた水路のようなものであろう。たとえば「お父さんとの関係がここでも繰り返されていますね。」という介入などはそうであろう。
     来談者の人生をよりよく説明するようなナラティブとして取り入れられるものである。ある思考が他の思考や体験の意味を明確にしてくれるのであれば、それはそれを示された後は繰り返し頭に浮かび、新たな洞察として成立することになるだろう。これには「あなたが弟さんの引きこもりの問題の原因だってどうして思うんですか?」という介入などが挙げられるだろう。
    「あらたな主観」(治療者)から取り入れられるものである。自分がそのような発想を持っていなかったことでも、それが人から与えられることで自分のそれまでの体験に新たな意味を与えるという形で、何度も繰り返し反芻されることがある。これはたとえば「私は自分のあるがままを受け入れていいんだ。」などの体験が挙げられるでしょう。

ではこのような洞察に至るためには何が必要だろうか? いくつか挙げてみよう。
                     解釈を通して???
                     直面化を通して
                     明確化を通して
                     オブザベーションを通して
                     支持的介入を通して
                     現実に直面して(仕事や学業上の失敗、上司、同僚からの忠告、アドバイスを通して)

このように列挙したのは、洞察に至る経路は様々なのであり、解釈を通してのみではないということを示したいからである。極端な話、自分はこれでいいんだ、という洞察は、患者が治療者から受け入れられるという支持的な介入から得られることだってあるわけである。ここで私はギャバード先生のテキストから表を紹介したい。

治療者がせいぜいできることはオブザベーションである

1.                              このギャバードさんの介入の分類の中で、左側の群、すなわちこれまで私たちが解釈に類する介入としてまとめていたものの中で私が一つ代表としてあげたいのがオブザベーション observation である。これは不幸にして日本語で「観察」と訳されているものである。しかし英語でobserve とは、そこにいて観察し、それを伝えることまでも含む。ただし特に解釈にまで至らないものである。そこで気が付いたことをそのまま伝えるというニュアンスがあり、何かを説明しようとしたり,つなげようとしたりを含まないものである。その意味では「指摘」する、という表現が一番近いかも知れない。治療者は,行動や,発言の順序や,瞬時の感情や,治療内でのパタンを単に指摘するだけで、(動機や説明には触れないままである。実際英和辞典にはobservation の意味として、3.〔気付いたことの〕所見、見解 とある。
ギャバードさんが挙げている例は以下の通りだ。

  •  「あなたのお姉さんについて尋ねたとき,あなたは涙を流されましたね」
  •   「お帰りの際にあなたはいつも私と目を合わせるのを避けられますね」
  •  「お父さんに見捨てられたことに私が話をつなげようとすると,あなたはいつも主題を変更なさいますね」
そしてこれには、直面化や明確化も含まれることになる。私がここにあえて解釈を入れたり、解釈をその代表にしないのはなぜかと言えば、解釈だけが治療者が最初に答えを知っていて、それを指摘する、というニュアンスを伴っているからである。しかし治療者が解釈を行うような特権を有することは誰にも証明できないからだ。

大文字のD 書き直し ④

Why did not Freud accept dissociation?

I consider that the reason why Freud so much loathed the notion of dissociation came from his dilemma of dealing with two antithetical issues, which cannot be handled together by their own nature. One is the drive theory that supposes that an internal factor mainly determines how the mind works, and the other is a perspective that multiple external factors, such as sexual trauma, which also affect human mind.
Freud was essentially a drive theorist. He cannot think about human mind without drive as its primary motivating force (hence the notion of “drive”). This theory is inherited to Freud from traditional theory of mind, dating back to Mesmer’s animal magnetism, or even further before, such as Hippocratic notion of humorism. Humorism posited that an excess or deficiency of any of bodily fluids affects human’s mental condition. Freud’s theory of libido is considered to be right on the track of this humorism, with his peculiar spin of sexuality.
On the other hand, he maintained the theory of sexual trauma, even after he “abandoned” the so-called “seduction theory”. Freud continued to believe that seduction can still be seen in the patient’s childhood, but it is significant only because it increased the child’s libidinal excitation without discharge. In other words, external events play a role mainly because they influence the internal condition. Thus Freud succeeded in uniting two antithetical factors into a single coherent theory. In order to make this theory plausible, the “apparatus” of mind should be intact in performing its dynamic mechanism. It allows excessive libidinal excitation due to seduction which mobilizes the defense mechanism of repression, which results in symptom formation in later life. What Freud did not take into account is a state where trauma is so damaging to the mind that the “apparatus” can no longer maintain its functional integrity, resulting in catastrophic phenomenon, such as splitting of mind and “hypnoid state” that Breuer conceptualized. 
  Even though Freud himself was distancing himself from the notion, dissociation has been discussed in a very limited way in psychoanalytic parlance. Obviously, dissociation was also discussed outside of psychoanalysis, but rather in a different way. Van der Hart summarizes the difference as follows;
The core of the difference between this psychoanalytic view of dissociation and the non psychoanalytic views that were prevalent in the late 19th and early 20th centuries is the following. Non-psychoanalytic investigators conceptualized dissociation in terms of two aspects: (1) integrated functioning that temporarily gave way in the face of stressors, and (2) the concomitant development of a separate, split off, psychic organization, personality, or stream of consciousness. This separate organization was made up of the unintegrated perceptual and psychological elements of the traumatic event. This personality organization operated outside of the individual's conscious awareness and could be accessed by various means including hypnosis and automatic writing. It was the division (dissociation) of consciousness (or the personality) that caused such hysterical (dissociative) symptoms as amnesia and contractures. For non-psychoanalysts, dissociation referred not only to the process of failed integration, but also to a psychical organization or structure (i.e., a dissociative psychic organization). Early Freudians, on the other hand, limited their view of dissociation solely to the first aspect (i.e., the process of failed integration, which, for the analysts, was motivated by the ego in the service of defense).van der Hart, Paul Dell ed. "Dissociation Book" p.14)
This statement points to the fact that although Freud might have acknowledged that splitting of mind can occur, it is as a result of an “act of will of the patient”, i.e. that two split-off minds are still under the control of the ego. The separated part would never develop into an independent ego with its own will. I would like the reader to bear in mind this point, which is crucial to the point I am going to make in this communication and especially the notion of the Dissociation (dissociation with capital D).       
       



2017年7月20日木曜日

解釈と共感 書き直し ② 大文字のD 書き直し ③

人は自分の無意識を知りたい、とは神話ではないか?
私はここで解釈ということの意味について考えたいと思う。私たちが解釈ということの意味を考える時の前提となるのが、私たちが自分自身の本当の姿、自分自身の中に隠された部分を知りたいという願望、ないしはその必要性を前提とする考え方である。まずそのことを疑ってみたい。
私の私淑し、その著書を翻訳までした Hoffmann が次のように述べている。
「最初に私が顕在的な問題について、真摯で幅広い関心を示したならば、潜在的な意味についての共同の探索はしばしばその後にやって来るであろう。しかしそれだけでなく、学習されたものはそれが何であっても、常に生々しく生き残るのである。解釈はその他の種類の相互交流と一緒に煮込まなければ、患者はそれらをまったく噛まないであろうし、ましてや飲み込んだり消化したりしないのである。」このことが自己洞察の大変さを物語っている。この文章が初めて意味を持つのは、これが解釈ではなくて、洞察とした場合。というのも私はどのように考えても、分析家に患者の無意識を解釈するような力はないと考えるからだ。
そう、解釈はやさしく伝えられないと人はそれを飲み込めないという。関係論者ならではの発言と言える。しかしこの文章はむしろ、解釈の重要性が今でも論じられていることを意味していることにはならないだろうか? もしそうであるならば、どうしてなのだろうか? それに対して一つの答えは次のようなものである。「人は自分の心の深層を知りたいという欲求を持つのだ。」という主張である。もしそうであるならば、患者の側の無意識を、患者に先んじて見通すことが出来た治療者が与える解釈には正当性があるということになる。そこでその問題から考えたい。
まずは「人は自分のことを知りたいという欲求を持つのだ。」について。それはそうかもしれない。誰でも若い頃は一度ならず、自分の知らない可能性が眠っていると考えるのではないか。私は若い頃楽器の演奏や武道にあこがれたが、ある先生に指導を受けてコツコツ練習していけばうまくなれるのではないかと漠然と考えていた。将来をつくるのは自分だし、いかなる未来も自分の努力次第で可能だ、と思えていた時代。アメリカに渡ったのもそのためだった。語学などはその最たるものである。アテネフランセに通いだしたころは、フランスでの生活を一年でもすれば、自然にネイティブ並みの語学力が身につく、と思っていた。なんという無知ぶりだろう。でもそのようなことを考えるのが人間なのだ。自分の中にはいろいろな可能性が眠っている。それを知りたいというような、一種の宝探しのニュワンスを感じていた人もいたかもしれない。「自分探しの旅をする」ことに魅力を感じるのであろう。精神分析や精神療法を同様なものとみなす人がいてもおかしくないし、私自身にもそのような気持ちがあった。
しかしここで一つ考えてみよう。人は自分のことを知りたいと思っても、自分の心の姿を知る勇気がどれほどあるだろうか?例えば人は自分の中に隠れている才能を知りたいとは思うだろう。しかし自分の中に隠れている才能の欠如や劣っている部分、ないしは病気について知りたいと思うだろうか。それらの場合には好奇心に不安が勝ってしまい、人はそれをむしろ知りたくないと思うのが普通である。例えば私たちはある程度は知的な仕事についていると言えるだろうが、誰が自分のIQレベルを知りたいだろうか?あるいは自分の脳にどこまで、アルツハイマー病の原因物質であるアミロイドベータが溜まって貯まっているかを知りたいと思うだろうか?そう、私たちは自分の隠れた才能や得意分野を知りたいという願望を有するが、自分たちのネガティブなことについてはむしろ知りたくないというのが人情なのである。その意味で、「人は自分のことを知りたいという欲求を持つのだ。」という主張はかなり割り引いて考えるべきなのだ。
それに百歩譲って「いや、自分は悪いところも含めて自分を知りたいのだ」という奇特な人が現れたとして、自分の悪いところを次々と明るみに出されるとしたら、途中できっと治療に来なくなってしまうであろう。人間とはそういうものだ。自分の悪い部分を知る過程では、猛烈な反発が起きてくるであろうし、それはこれまで慣れ親しんだ思考や行動への挑戦に対する強力なエス抵抗が出て来るからだ。
しかしあとで述べるように、それでも止むに止まれず、悪い部分も含めて「自分のことを知りたい」という人が出て来る可能性がある。
問題はこのような時期はいずれは過ぎ去り、人はまた心の安定や自己愛的な居心地の良さを求めるようになるということだ。そこでは人は「自分のことを知りたい
という願望」を再び「自分のいい部分についてはもっと知りたい」という都合の良い願望に置き換えてしまう。
 さらには自分の問題が容易に解決できるようなものではなく、というより生得的な要素が強いために今後もそれと生きていかなくてはならないというときも、この「自分の悪いところを知りたい」という願望は早晩影をひそめてしまうだろう。
たとえば「ふつうに話しているつもりでも人に誤解される、どうしてなのだろう?」と苦しみぬいた末に治療に訪れた患者が、様々な検討を試みた結果、その理由の一つは、人の心を汲み取れるような繊細さにかけている、と指摘されたとしよう。そしてそれをどのように改善したらいいかと問うた場合に、「残念ながらそれはあなたには欠けた能力であり、それを獲得することは難しいでしょう」と言われたとする。もちろん彼はその自分に欠けた能力を補うためにはどのような工夫をしたらいいかと考えるかもしれない。しかし「自分はダメなんだ」と思うことで、もうカウンセリングに通うモティベーションをなくしてしまうかもしれない。
 本当に自分を知りたくなる時
 ただし本当に自分を知りたいと思うときが出てくる。自分の何が問題になっているかについて知りたいと真剣に考えている場合である。これは通常その人の中で守られていた自己愛的な防衛の一角が崩れ、心が深刻な痛みを発している時である。それは自分に漠然とした違和感が生じ、それを何らかの形で明らかにしたいからである。その場合は人はある種の不安を感じ、それを解消する意味でも何が起きているのかを把握したくなる。このようなときは苦しみを味わうとともに、おそらく自分の心に最も向き合う時期であるかもしれない。自分の持つ問題点を自覚し、それを直していくことについてもっとも真摯な興味を持つことにつながるであろう。ある種の修行の期間、指導者や上司の声を受け入れることが自らの向上につながるという現実を受け入れる時期でもある。
しかしそうならば、それに対して「来談者が自ら発見することを手助けする」という分析的なスタンスは、少なくともこの種のニーズにはあっていないということになる。救急に訪れた人に救急医は自然治癒を促進すべくアドバイスをするだろうか。しかも解決の道が患者の心にすでに隠されているというのなら別であるが、おそらく治療者自身にもそれは見えていない。そこからはまさに共同作業が開始されるべきなのであり、治療者はそれに対して受け身的なスタンスを取ることは適切でないということになる。
ここでの考えをまとめると以上のようなものになるだろうか?
自分を知りたい、その援助をしてほしいというニーズに訪れる人に対して、おそらく従来の分析的なスタンスは意味を持つ。しかしそのようなニーズを持つ人はきわめてまれといわなくてはならない(訓練分析を受けに訪れる来談者はここでは除外して考えよう。)自分を知りたいというニーズを持つ人の大半は、それに対して治療者の積極的でアクティブな姿勢を望んでいるであろうし、治療者はそのニーズに対応しなくてはならないのである。
現代の精神分析学はある一つの大きな転換点に来ているといっていいだろう。それは意味はすでにそこに形を整えて存在するというのではなく、析出するということである。それ以前は解離しているということだ。あるいは言葉を得ていず、体験されていないということ。体験する=言葉を有する=想起出来るという点は極めて貴重なことである。
ちなみに悪いところの原因は、それこそ分析的な無意識の影響にはとどまらない。
私が以上の論述から何を言いたいのか? おそらく私たちが治療の目標としてしばしば掲げる「自分をもう少し知りたい」は、きわめて条件付きのものということである。そして「自分をよりよく知ること」を治療の第一の目標として掲げることをやめる時、私たちのカウンセリングや精神療法に対する考え方は振り出しに戻るということだ。

大文字のD 書き直し ③


Historical review

The controversy around the notion of dissociation dates back to Freud. The more we explore his views on dissociation, the deeper we are impressed about how much Freud attempted to distance himself from this idea. It was already obvious in the “Studies of Hysteria” that he co-authored with Joseph Breuer, far before his well known conflict with Pierre Janet on the topic. What is remarkable is that Freud’s attitude toward dissociation as well as dissociative patients replicates itself in current psychoanalytical sessions as was demonstrated by the initial short vignette.
 
 When Freud realized that many hysterical patients suffered from childhood abuse and trauma, he prompted Breuer into writing the book with him. Freud proposed that there are different types of hysteria, such as “hypnoid hysteria” as well as “retention hysteria” and “defense hysteria”. However, his dissatisfaction with Breuer's idea of hypnoid (dissociative) state was obvious in the same book. In the last chapter of the “Studies of Hysteria” (Freud, 1895, p.286)
Now both of us, Breuer and I, have repeatedly spoken of two other kinds of hysteria, for which we have introduced the terms ‘hypnoid hysteria’ and ‘retention hysteria’. It was hypnoid hysteria which was the first of all to enter our field of study. I could not, indeed, find a better example of it than Breuer's first case, which stands at the head of our case histories. Breuer has put forward for such cases of hypnoid hysteria a psychical mechanism which is substantially different from that of defense by conversion. In his view what happens in hypnoid hysteria is that an idea becomes pathogenic because it has been received during a special psychical state and has from the first remained outside the ego. No psychical force has therefore been required in order to keep it apart from the ego and no resistance need be aroused if we introduce it into the ego with the help of mental activity during somnambulism. And Anna O.'s case history in fact shows no sign of any such resistance.
I regard this distinction as so important that, on the strength of it, I willingly adhere to this hypothesis of there being a hypnoid hysteria. Strangely enough, I have never in my own experience met with a genuine hypnoid hysteria. Any that I took in hand has turned into a defence hysteria. It is not, indeed, that I have never had to do with symptoms which demonstrably arose during dissociated states of consciousness and were obliged for that reason to remain excluded from the ego. This was sometimes so in my cases as well; but I was able to show afterwards that the so-called hypnoid state owed its separation to the fact that in it a psychical group had come into effect which had previously been split off by defence. In short, I am unable to suppress a suspicion that somewhere or other the roots of hypnoid and defence hysteria come together, and that there the primary factor is defence. But I can say nothing about this. (Studies of Hysteria,1895, p285., stress added by Okano)
Freud did not forget this issue and later made it clearer even in “Dora’s case”, as follows.
…I should like to take this opportunity of stating that the hypothesis of ‘hypnoid states’—which many reviewers were inclined to regard as the central portion of our work—sprang entirely from the initiative of Breuer. I regard the use of such a term as superfluous and misleading, because it interrupts the continuity of the problem as to the nature of the psychological process accompanying the formation of hysterical symptoms. Fragment of an Analysis of a Case of Hysteria (1905) P27 Underlined by Okano
 Why was Freud so much opposed to the idea of “hypnoid state” that he later considered  “superfluous and misleading”? Because the latter presupposes the splitting of the mind, which, according to him was not a dynamic explanation. Freud’s stance is clearer in his statements found in the “Psychoneuroses of Defense" (1894), in which he chose also Janet as a target of his criticism of the same nature.
Let me begin with the change which seems to me to be called for in the theory of the hysterical neurosis.
Since the fine work done by Pierre Janet, Josef Breuer and others, it may be taken as generally recognized that the syndrome of hysteria, so far as it is as yet intelligible, justifies the assumption of there being a splitting of consciousness, accompanied by the formation of separate psychical groups.1 Opinions are less settled, however, about the origin of this splitting of consciousness and about the part played by this characteristic in the structure of the hysterical neurosis.
According to the theory of Janet (1892-4 and 1893), the splitting of consciousness is a primary feature of the mental change in hysteria. It is based on an innate weakness of the capacity for psychical synthesis, on the narrowness of the ‘field of consciousness (champ de la conscience)’ which, in the form of a psychical stigma, is evidence of the degeneracy of hysterical individuals.
In contradistinction to Janet's view, which seems to me to admit of a great variety of objections, there is the view put forward by Breuer in our joint communication (Breuer and Freud, 1893). According to him, ‘the basis and sine quâ non of hysteria’ is the occurrence of peculiar dream-like states of consciousness with a restricted capacity for association, for which he proposes the name ‘hypnoid states’. In that case, the splitting of consciousness is secondary and acquired; it comes about because the ideas which emerge in hypnoid states are cut off from associative communication with the rest of the content of consciousness.2
I am now in a position to bring forward evidence of two other extreme forms of hysteria in which it is impossible to regard the splitting of consciousness as primary in Janet's sense. In the first of these [two further] forms I was repeatedly able to show that the splitting of the content of consciousness is the result of an act of will on the part of the patient; that is to say, it is initiated by an effort of will whose motive can be specified. By this I do not, of course, mean that the patient intends to bring about a splitting of his consciousness. His intention is a different one; Freud, “Psychoneuroses of Defense" 1894, p.46, stress added by Okano.





2017年7月19日水曜日

大文字のD書き直し ②

A short vignette

Ms.A, a female client in her late twenties has been in psychoanalysis for the past three years. One day, when a child personality shows up without her usual elegant and composed manner, her analyst, Dr.B, initially felt blindsided. Then after recovering his composure, he states “Well, Ms.A, let’s start our session anyway. I thought that you wanted to express some child-like feelings and fantasy in such a telling way. Now, what comes to your mind this morning?” 
By that time, her child personality quickly withdrew, reminding herself that she is not “ready” to show up in the session. Then A came back and said to herself. “Well…I remember once that my child part suddenly went ahead of me and spoke to him. At that time he never even noticed the change of the tone of my voice. He is now a step ahead, it appears, but still not ready to deal with us if it happens again in the future.”

The purpose of my presenting this telling (so I hope) vignette is to indicate that this is still the standard attitude of the analysts who are not informed of the clinical manifestation of the patients with dissociative disorder. This situation is not only unfortunate for psychoanalysts but also unwelcoming to those potential clients for psychoanalysis who have dissociative disorders. The main thrust of this paper is to change the analytic milieu in this regard.
As I stated, dissociation has been discussed increasingly in recent psychoanalytic literature. We can find very precious messages from their works; the concept of dissociation not only plays an important role in stressing the issue of trauma and supplement the deficit model, but also proposes a paradigm with such concepts as therapist’s spontaneity, subjectivity and enactment as a key to treating those suffer from trauma. However, what is discussed as dissociation in their works is limited to what Stern called “weak dissociation”.  I really doubt that the discussion of dissociation this type still provide us with insufficient theoretical basis for treating dissociative phenomenon manifested by some clients, such as Ms.A that I described above.


2017年7月18日火曜日

解釈と共感 書き直し ①、大文字のD書き直し ①

これもまだ引きずっているなあ。書き直しだが、最初の部分はあまり変わらない。


▼「共感と解釈」について― 本当に解釈は必要なのか?

精神分析の世界ではとかく、共感と解釈は両極端のものと考えられやすい。そして決まって「共感ばかりでは患者さんの心には洞察が得られないだろう。」という主張が優勢となる。洞察よりも共感の方がより本質的であり大事だ、という議論はほとんど聞かれないといってよいだろう。百歩譲っても、洞察は最終目的であり、そのためにはまず共感が必要であるという言い方がなされるのである。そしてもし「共感だけでもいいのだ」という主張をしようものなら、あの恐ろしい宣告を受けてしまうのである。
「それはもはや精神分析ではありません。」私は分析学会の会場ではそれは怖くて言えず、またそれを提唱しようとは思わない。その代りに次のように申し上げたいと思います。精神療法とは、洞察と共感がその両輪なのだ。ここで私は解釈と共感が両輪だ、とは言っていないことに注意してほしい。洞察と共感なのである。洞察は様々な経路を介して至ることが出来る。ところが解釈は、分析家の力によってのみ至る、あるいは促進される、という考え方だ。そこを皆さんに考え直してほしいと思う。結論から言えば、解釈をしようとする姿勢は、しばしば治療関係に有害に働くのである。そうではなく、洞察を得る、その手助けをするという方がより治療的に有意義なのである。
解釈が何より重要である、という主張に対して、たとえば次のような事例を提供したい。
あるクライエントAさんに対する前分析家の解釈は、(中略) を戒める形となった。
いったい解釈を求めるという分析家の試みはどういう意味をこのAさんにもたらしたかを考えると目を覆うばかりである。もちろんこれはいい解釈ではない、といえないことはない。では普通の能力を持った、平均的で常識な分析家は、good enough な解釈をどれほど提供することが出来ているのだろうか?

大文字のD 書き直し ①

Toward the theory of “Dissociation with capital D”


Preface

Relationship between psychoanalysis and dissociation has a very long and checkered history. Its origin obviously goes back to Freud. Already when he was working on the Studies of Hysteria (1895) with Joseph Breuer, he was dissatisfied with his co-author’s notion of “hypnoid states”, and pivoted toward the theory of repression and libido theory. What he abandoned later was not only his so-called seduction theory, but his opportunities to become familiar and work with patients with experiences of atrocious and traumatic life history.
 Freud's tendency of paying relatively less attention to trauma and dissociation did not satisfy his contemporary Ferenczi, and leading analysts of the day, such as Fairbairn,  Balint and Winnicott, who opted their ways a little more in favor of trauma and dissociation compared to their great master. These analysts used the term and the notion of "dissociation," but it never was accepted to the mainstream of psychoanalysis and that still holds true on our age. Further down the road, it was H.S. Sullivan who picked the notion, but his theory of dissociation was not given much credit. Recently, there is a new trend in the discussion of the notion of dissociation, which is lead by prominent authors such as P. Bromberg and D. Stern. What I would like to attempt in this paper is to give some additional view to the general trend of their discussion, which I call as the theory of “Dissociation with capital D”.
Before going into discussion any further, I would like to introduce a short vignette in order to make my purpose of writing this paper clear.