2018年4月26日木曜日

精神分析新時代 推敲 65

精神分析の分野では、米国の分析家 Irwin Hoffman が、この死生観の問題について他に類を見ないほどに透徹した議論を展開している。彼の死生学はその著書「精神分析過程における儀式と自発性 Ritual and Spontaneity(Hoffman, 1998)の第2章で主として論じられている。Hoffman はこの章のはじめに、フロイトが死について論じた個所について、その論理的な矛盾点を指摘している。フロイトは1915年の「戦争と死に関する時評」(3)で「無意識は不死を信じている」と述べているのだ。なぜなら死は決して人が想像できるものではないからだというのがその理由である。しかし「同時に死すべき運命は人の自己愛にとって最大の傷つきともなる」という主張も行なっている (ナルシシズム入門(4))。人が想像することが出来ない死を、しかし自己愛に対する最大の傷つきと考えるのはなぜか? ここがフロイトの議論の中で曖昧な点である、と Hoffman は指摘しる。そして結局彼が主張するのは、フロイトの主張の逆こそが真なのであり、無意識に追いやられるのは、死すべき運命の自覚であるというのだ。つまり人は「自分はいずれ死ぬのだ」という考えこそを抑圧しながら生きているというわけだ。こちらのほうが常識的に考えても納得のいくものだと私も考えるが、精神分析の世界では死に関するフロイトの矛盾した主張が延々と繰り返され、場合によっては死への不安はその他の無意識的な概念を覆い隠していると主張されることさえあるのだ。
Hoffman, I.Z. (1998) Ritual and Spontaneity in the Psychoanalytic Process. The Analytic Press, Hillsdale, London.ホフマン、IZ 著/岡野憲一郎,小林 陵訳 精神分析過程における儀式と自発性 弁証法的-構成主義の観点. 金剛出版 2017
 さてそこから展開される Hoffman 自身の死生学は、Jean-Paul Sartre Maurice Merleanu-Ponti などの実存哲学を引きつつ、かなりの深まりを見せている。簡単に言えば抽象的な思考というのは、すでに死の要素をはらんでいるというのだ。抽象概念は無限という概念を前提とし、それは同時に死の意味を理解することでもあるというのがその理由だが、ここでは詳述は避ける。
それから Hoffman はフロイトにもどり、彼の1916年の「無常ということ」(5)という論文を取り上げている。そしてこの論文は、死についてのフロイトの考えが、実はある重要な地点にまで到達していたとしている。この「無常ということ」の英語版の原題は、“On Transience”であり、つまりは「移ろいやすさについて」というような意味である。この論文でフロイトはこんなことを言っている。「移ろいやすさの価値は、時間の中で希少であることの価値である」。そして美しいものは、それが消えていくことで、「喪の前触れ」を感じさせ、そうすることでその美しさを増すと主張し、これが詩人や芸術家の美に関する考え方と異なる点であることを強調している。フロイトは詩人や芸術家たちは、美に永遠の価値を付与しようとするというのだが、それはその通りなのだろう。詩にしても絵画にしても、それが時間とともに価値を失うものとしては創られないだろうからである。いかに永遠の美をそこに凝縮するかを彼らは常に考えているのだ。そしてフロイトの論じる美とは、それとは異なるものとして論じられているのである。
ここで少し考えて見よう。たとえば花の美しさはどうだろうか? やがて枯れてしまうから、私たちは美しく感じるのだろうか? 美しいと思った花が、実は「決して枯れない花」(たとえば精巧にできた造花)だと知った時の私たちの失望はどこからくるのだろうか? フロイトの言うように、花はやがて枯れると思うから美しいのではないだろうか?しかし考えてみれば、芸術とは、いかに美しい造花を作ることとは言えないだろうか? 美しい花を描いた絵は、結局は一種の造花ではないだろうか? しかしこのようなことを言ったら、たちまち芸術家から反発を受けるだろうから、これはあくまでも私の思い付きということにしておきたい。
ともかくもフロイトはこのようなすぐれた考察を残しながら、結局は死すべき運命への気づきを彼の精神分析理論の体系の中に組み込まなかったようである。その意味で彼の理論は反・実存主義であったと Hoffman は言うのだ。そこで彼を通してみる死生観とは、私なりにまとめると次のようなものとなる。
「死すべき運命は、常に失望や不安と対になりながらも、現在の生の価値を高める形で昇華されるべきものである。死は確かに悲劇であるが、外傷ではない。外傷は私たちを脆弱にし、ストレスに対する耐性を損なう。しかし悲劇は私たちが将来到達するであろうと自らが想像する精神の発達段階を、その一歩先まで推し進めてくれるのだ。」
ここに森田の考え方との共通性と微妙な違いも見ることが出来るだろう。森田は、「死への恐れは、生に対する欲望の裏返しである」という表現をしたと私は理解している。生への欲望があるからこそ死を恐れることになる。しかし森田のこの言い方に、私は少し突き放されるような気がするのだ。「では生への欲望を抑えることが死への恐怖の克服につながるのか?」と疑問に思ってしまうのである。その点 Hoffman の示唆はもう少しその点をクリアに示していると思えるのだ。それは「死の恐怖は、それを現在の生と切り離すことから生じる。両者を表裏のものとして見ることで『克服する』というよりはより現実的にそれを生きることが出来る」というメッセージなのである。 

3.いかに死の内面化(存在論的な二重意識の獲得)を目指すのか
最後に死の内面化をどのように目指すかについて考えたいと思う。私はそのためには毎日の生活の中で、常に以下に述べるような努力をする以外にないと考える。私たちの生は、とらわれの連続である。生きているということは雨露を凌ぎ、栄養を摂取し、冬は暖を取り夏は涼を求めるという営みの連続だが、これらは全て生への執着である。そこで過去の修行者は様々な形で日常的に死の内面化を行う努力をした。ある人は只管打座に明け暮れ、ある人は経文を唱え、ある人はお伊勢参りをし、ある人は托鉢僧や修行僧となったのだ。ただし私たちは療法家であり、人と関わるのを生業としている。そこで私が考えるのは、やはり人との関わりとの中で日々自らを確かめることができるような営みである。
 特に私が考えるのは、常に我欲を捨て、人に道を譲るという生き方である。ただしその障碍となるのが意外にも、周囲が自分に道を譲らせてくれないことが多いという事情なのだ。というのも我が国では年長者や肩書きを持った人間は、その人間性とは無関係に持ち上げられ、甘やかされるという傾向があるからだ。しかし歴史的な人物の中には、本当に「この人は我欲を捨て、徹底して他人に謙ることで死を内面化することを実践していたのではないか?」と思わせるような例がある。その一つの例が、作家により描かれた幕末のある傑人の姿である。

西郷隆盛の例
私の愛読書に池波正太郎の「人斬り半次郎」という本があるが(6)、そこに幕末期の西郷隆盛が何度も登場する。そこでの西郷はまさに死を恐れない人間として描かれている。この書の中で西郷は、当時高まりつつあった東アジアで諸国の間の緊張を和らげ、かつ自国の正当な立場を主張すべしと唱え、自分が特使となって朝鮮にわたることを申し出る。そして当時の政府内の権力者である岩倉具視や大久保利通らの反対に遭うが、それでも彼は自分の考えを主張し続けた。
 この西郷と、岩倉や大久保との対立は、少なくとも西郷にとってはいわゆる政争とはまったく違った意味合いを持っていた。政争の場合、政治家同士が腹の内を探り合い、自らの政治生命は温存しつつ、攻防を繰り広げる。お互いに政治生命を賭ける、などといっても結局負けたほうが政治家をやめることは普通はしない。ところが西郷はこの自分の主張が通らなかった場合には政府内の役職を一切捨てて、故郷の鹿児島に帰り農業に専念するという覚悟を持っていたのだ。これは決して単なる脅しやブラフではなく、真剣にそのような選択肢を持ちつつ朝鮮への特使の道を探ったのでした。西郷は健康上の問題もあり、いずれは自分の政治的な力はおろか、生命そのものが尽きることを予知している。彼はそれを恐れたり、回避しようとすることなく、むしろその時期を自らが選択したことになる。それが自らの主張が通らなければすべてを捨てて鹿児島に帰り帰農する、という行動であり、実際自分の主張を岩倉らに聞き入れられなかった西郷は、その翌朝には桐野利秋らを従えて鹿児島に引き上げてしまったのだ。
この西郷の鹿児島への帰郷は、傍目には潔い決断に見えるのであろうが、彼の頭の中ではすべてが最初から想定内であり、決断はかなり前からすでに下されていたといえよう。その意味では帰郷の時点で大きな葛藤はなかったのだ。もちろん自分の考えを大久保らに聞き入れてもらえなかった西郷が感情的になる部分も出てくる。しかし同時にそのような事態をどこかで客観視していた様子も伺える。
 池波正太郎により描かれた西郷は、Hoffman が言うような、死を見据えたうえでの生を地で行ったという印象を受ける。死を「内面化」した人の生き方の実例といっていいだろう。彼には自分の名誉も、生命さえもいつ失ってもいいという覚悟で物事に当たっているのだ。
その西郷が鹿児島に帰ってからのエピソードに、忘れがたいものがあります。それを紹介しよう。
・・・雀ヶ宮の長瀬戸という崖に挟まれた細い道で、西郷は向こうから来た百姓とぶつかってしまったことがある。二人とも馬を引いている。すれ違うことのできぬ狭い道だし、どちらかが譲って引き返さなければならない。百姓は若い。「おい、じじい」と言った。「はアい」西郷が頭を下げ、「お前さアが引き返した方が早よごわす。」とていねいに答えると「うるさい!!」百姓が怒鳴りつけて、「何言うちょっか。じじいが下がれ。おいは急ぐんじゃ。先へゆずれ、先へ引きかえせエ」わめいた。これに対して西郷は「それじゃ、引き返しもそ」若者の怒声を浴びつつ、引いた馬を後ずさりに苦労してもとに引き返したそうだ。・・・(「人斬り半次郎」(賊将編)415ページから。)

このエピソードがどこまで作者池波正太郎の脚色によるものかはわからないが、この西郷の覚悟ということと実人生の中で見せた愚直なまでの謙虚さとは実は結びついているというのが私の考えである。大いなる決意を持って物事にあたる、常に決死の覚悟で物事を選択する、ということは聞こえは勇ましいのだが、どこまで実を伴っているのかは定かではない。政治家が「不退転の決意で」「背水の陣で」「一兵卒に戻り」などと言っても、それはむなしい掛け声に過ぎないのだ。しかしそれがどの程度その人の内面からの真の決意を表すかは、彼らがどの程度各瞬間に自らの生を、死を背景にしたものとして享受できているかによる。そしてこちらのほうは極めて見えやすいことになる。その人が日常生活で生じた些細な不都合にどのように対処しているかを見ればいいことになるからだ。
4.最後に:死への備えは謙虚さの追求にあるのか
愚直なまでに謙虚だった西郷隆盛。道を譲るように乱暴に要求されてすごすご引き下がった西郷隆盛。彼に「とらわれ」はなかったのでしょうか?ここで「とらわれ」という言葉を使わせていただいていますが、私が言う「とらわれ」とは日常の些事において、死すべき運命にある自分がたまたま生きていられる事の幸せに鑑みてそれを受け入れることができない状態、生に執着している状態を意味するものとします。
 私は西郷にも捉われはあったのだろうと思います。彼が特使として朝鮮に赴くと言い出したとき、そこには多少なりとも名誉欲があり、自己愛を満たしたいという気持ちはあったはずです。しかしそれが岩倉や大久保らにより拒絶されたとき、それを受け入れて自らの政治生命を葬り去ることにほとんどためらいはなかったのです。また崖に挟まれた細い道で若い百姓に無礼な言葉をかけられたときも、一瞬はムカッとしたはずです。しかしそれを一瞬の後に収め、一介の「じじい」の身に甘んじて、若者に道を譲る。そこで彼の心に生じていたと私が想像するのが、先に述べた二重意識である。一方では揺れ動きつつ、それを遠くから見ているもう一つの意識、精神分析家なら、観察自我、observing ego と称したくなるものの存在である。
 さらに西郷隆盛の例から私たちが学ぶことが出来るのは、彼がとらわれを乗り越え、死を内面化した仕方だ。彼はそれを愚直なまでの謙虚な姿勢で示している。いつでも死すべき運命にある人間にとっては生きているだけで僥倖ということになる。すべてのプライドや名誉や見栄や外聞は余計なものということになる。その覚悟を一瞬一瞬に確認し、試す為に彼が行なっていたのが、すべての人に対して謙虚であること、自らをありのような存在として振舞うということではないだろうか? 私はこのことは瞑想を何時間も重ねたり、座禅を組んだりするよりも効果があるのではないかと思う。人は内面の変化について自分でもわからないし、他人もその人を判断できない。密教の修行を何年も積んでついに解脱したはずの高層が世間を騒がせ、サリンをまき散らし、人々を混乱に陥れるような世界に私たちは住んでいるのだ。
森田先生が考えたように、あるいは分析家ホフマンが主張しているとおり、私たちは決してとらわれから逃れられない。私たちが出来ることは、とらわれつつも、それを見つめることのできる、私が実存的な二重意識と表現したものに可能な限り近づくことだと思う。それがいわゆる死の内面化にもつながるものであろうと考える。それをいかなる形で実現するかというひとつの実例として、西郷隆盛の生き方を紹介した。徹底的に謙虚になること、それは自分が持っているものすべてが僥倖であること、実は全てを失っている状態が本来の姿であるということを思い出させてくれる。そしてそれが死の内面化へとつながるのではないだろうか。
 ただし世俗で人と交わり生きている以上、とらわれから逃れることはできない。謙虚さを持ちこたえることは自己愛との戦いでもある。ちょうど西郷隆盛が若い百姓の言葉に一瞬はムッとしたであろうように。あるいは死に際にも「死にたくない」とさめざめと泣いた森田先生のように。死ぬ間際もそしてそのような自分をどこかで見つめている二重意識を持ち続けることが、おそらく森田先生が示唆していたことではないかと考える。
参考文献) 省略

2018年4月25日水曜日

精紳分析新時代 推敲 64

第17章 死と精神分析 
初出:死生学としての森田療法(第31回日本森田療法学会 特別講演2)森田療法学会雑誌 第25巻第1号、p.1720(2014)

1.はじめに ―受容ということ

本章では「死と精神分析」というテーマを扱う。途中で森田療法やその創始者森田正馬についてしばしば言及しているが、それはもとになった論文が森田療法学会での発表原稿だからである。そのことをまずお断りしておきたい。
さて本章での私の主張を一言で表現するならば、精神分析や精神療法においては、どのような種類のものであっても、そこに治療者側の確固たる死生観が織り込まれているべきであろう、ということである。
まず最初に示したいのは、フロイトの次のような言葉である。

私が楽観主義者であるということは、ありえないことです。(しかし私は悲観主義者でもありません。)悲観主義者と違うところは、悪とか、馬鹿げたこととか、無意味なこととかに対しても心の準備が出来ているという点です。なぜなら、私はこれらのものを最初から、この世の構成要素の中に数えいれているからです。断念の術さえ心得れば、人生も結構楽しいものです。(下線は岡野による)』(フロイト:ルー・アンドレアス・サロメ宛書簡、1919年7月30日付)
このフロイトの最後の部分は、私が常々感じていることでもある。それはあきらめ、断念ということの重要さである。私は人間としても臨床家としても老齢期にあるが、この問題は年齢とともに重要さを増していると感じる。これは森田療法的にいえば、「とらわれ」の概念に深く関係しているといえる。
この諦め、諦念のテーマは、日常の臨床家としての体験にも深く関係している。日常臨床の中で私たちが受け入れなくてはならないのは、患者が望むとおりによくなっていかないということだろう。勿論時には改善を見せる人もいる。しかしたいがいの場合その改善には限界があり、多くの患者は残存する症状とともに生きていかざるを得ない。このことをどこかで受け入れない限り、患者はその苦しみを一生背負っていかなくてはならない。また臨床家としても、患者がこちらの望みどおりに治ってくれるとは限らないということをどこかで受け入れる必要があるのだ。
もう一つ私たちが手放さなくてはならないのが、治療的な野心である。私は過去にある患者から次のようなメールをいただいたことがある。
「先生にはがっかりしました。先生は研究者向きかもしれませんが、患者の気持ちは分かっていないと思います。」

 もちろんこのようなメールや手紙はあまり頻繁にいただくわけではないために、私にとっては印象深いものとなっているわけだが、一部の患者にとって私がとんでもない精神科医であるということを、私が受け入れることが必要であるということをこのメールは物語っている。それはつらいことであるのは確かだ。しかしその文面(もちろん個人情報保護のために必要な変更は加えてあるが)をこのような形で公にできるのは、実は私はこれらのメッセージにあまり深刻に動揺しているわけではないということだと思う。そしてそのような心境に少しでもなれるとしたら、私の精神分析のトレーニングがある程度関わっていることになる。

受容と精神分析理論

 私は精神分析家であるが、分析的な概念の中で、この諦念の問題に極めて大きく関わっているのが、いわゆる逆転移の考え方であるように思う。逆転移には様々な定義があるが、一言で表現するならば、それは治療者が持っている邪念のようなものだ。(もちろん邪念を持ってはいけない、という趣旨でこの言葉を使っているわけではない。)通常の場合、患者の状態の改善は治療者にとっても喜ばしいことだ。しかし治療者の喜びの一部は、自分が適切な治療を行ったから患者がよくなったのだと考えることからも来ている。これはいわば治療者が自分の自己愛を満たしたい、という部分であり、患者の症状の改善を純粋に喜ぶ気持ちとは異なるものなのだ。
 私自身の一つの例をあげよう。20年以上前に米国で精神分析を行ったMさん(中年の男性)という方がいた。Mさんは分析治療を開始してしばらくして、うつ症状がかなり改善した。私はそれを分析の成果だと思ったのだ。そこでMさんにうつが改善した理由をどう考えるかについて尋ねてみた。すると彼は「N先生が、抗うつ剤に加えて最近炭酸リチウムを処方してくれるようになってから、急に気分が改善したのだと思います」と話したのだ。(N先生とはMさんの薬物療法を担当してくれていた精神科医である。)それを聞いて私はがっかりしたのだが、そのような自分の反応を興味深く感じてもいた。この「がっかり」の分が私の逆転移、つまり邪念による分というわけである。患者の気分が改善したことは、患者とともに喜ぶべきことである。しかしそれは自分の治療のせいではなかったと思い、その分私はがっかりしたのだ。
ところでMさんの分析家である私は、炭酸リチウムの話を聞いてがっかりしてはいけなかったのだろうか? 分析家として修業を積むことでこのような邪念を一切排除することができるようになるのだろうか? 私にはその可能性は非常に低いように思う。それに炭酸リチウムの話を聞いてもし私が全くがっかりしなかったとしたら、おそらく自分自身の治療に対する思い入れはかなり薄いことになり、果たしてそのような状態で患者を治療しようという意欲がわくのかどうかも疑問かもしれないとさえ思う。
 精神分析の世界における最近の逆転移の考え方は、フロイトの時代の「逆転移は克服せよ」という考え方とはずいぶん変わって来ている。フロイトは「逆転移は持つだけでも良くない、なぜならそれはその人が教育分析や自己分析により無意識を克服していないからだ」と考えた。しかしその後の分析家たちは、むしろ逆転移は不可避的なものであり、それに気が付き、それを治療的に用いるという姿勢こそが大事だと強調するようになった。すなわち治療者の個人的な感情は決して回避することができず、むしろそれを意識して、対処できることが大事であるという考え方である。治療者の個人的な感情を敏感に反応する心の針に例えると、むしろ心の針が振れる状態でいるのは大切なのであり、ただそれが振り切れたりせず、早く中心付近に戻ること、そしてその心の針の触れをどこかでしっかり見守っている目を持つということが大切なのである。そしてその意味では自分の心に対する高い感性と、それを見守る観察自我という二重意識の状態を持つことと考えられるかもしれない。
さてこのような逆転移に関する考え方を森田療法的に捉えるならばどうなるのだろうか?すでに述べたように、私たちは治療者という立場にある以上、自分の治療により患者によくなってほしいと願う。それは森田療法でも精神分析療法でも、CBTでも同じであろう。患者が良くなることで感謝され、治療者としてのプライドも保たれる。患者の症状の改善を願うという私たちの願望は治療者としては大切な部分なのだ。
 しかしこれは同時に治療において私たちは常にとらわれを体験しているということでもある。なぜなら症状を改善したいという願望の一部は、まさに患者が陥っているとらわれが投影されたものである。そしてそこにさらに、治療者のプライドというもう一つのとらわれが付加されているのだ。
 しかし逆転移についての考えが教えてくれるのは、私たちは患者によくなってもらいたいというとらわれを捨てようとするのではなく、そのとらわれを見つめている部分を持っていなくてはならないことなのであろう。その見つめている部分は、患者はよくならないかもしれない、自分はこの患者を助けることはできないかもしれないという事実を受容している部分である。これが森田が言った「症状と戦うな」ということの真意だと思うが、それは「症状と戦わないことが症状と戦うことだよ」という禅問答にも似た狡知ではなく、先ほども述べた二重意識、すなわちとらわれを持つ部分と、そのとらわれにより一瞬でも苦しんでいる自分を、醒めてた目で見つめている部分ということではないだろうか。

 ここで少しうがった言い方をするならば、森田の教えは「とらわれを捨てよ」、ではなく「とらわれに対するとらわれを捨てよ」だったのだと考えることで、森田療法と精神分析の逆転移の概念はつながるのではないかと思う。とらわれにとらわれる、とは分析的には、逆転移を捨てよ、ということだが、それは治療者が人間として生きている限りは無理な注文なのだ。そしてこの自分のあり方に対して同時に別の視線を持つということが、後に述べる実存的な二重意識ということにつながるのである。

2.生への捉われと死への備え
とらわれや受容の問題を考える時、やはり最終的に残ることは死の問題である。とらわれの究極は、やはり生へのとらわれや死の回避に関するものだろう。治療により症状は完全には消えない、という受け入れをさらに突き詰めていくと、最終的にはその症状を持っている自分という存在が消えてしまうということの受け入れ、つまりは死の受け入れというテーマにつながっていくであろう。そしてそれは森田が常に考えていたことでもある。私は一つの精神療法が患者を支えるためには、そこにはやはりしっかりとした死生学があってしかるべきだと思う。
森田が死の恐怖について広く論じていることはいまさら私が言う必要はない。死の恐怖をいかに克服するかというテーマが森田療法の始まりにあった重要なテーマだったのだ。森田療法を編み出すことにより、森田先生は死を克服できたのであろうか? 
この点に関して少し詳しく見てみよう。ある論文から引用する。
「森田正馬は,死をひかえた自分自身の赤裸々な姿を,生身の教材として患者や弟子たちに見せることによって,今日言うところのデス・エジュケーションをおこなった人である。彼は1938年に肺結核で世を去ったが,死期が近づくと,死の恐怖に苛まれ「死にたくない,死にたくない」と言ってさめざめと泣いた。そして病床に付き添った弟子たちに「死ぬのはこわい。だから私はこわがったり,泣いたりしながら死んでいく。名僧のようには死なない」と言った。いまわの際には弟子たちに「凡人の死をよく見ておきなさい」と言って「心細い」と泣きながら逝ったと伝えられている。
弟子のひとり長谷川は,次のような追悼の文をしるしている。「先生は命旦夕に迫られることを知られつつも,尚生きんとする努力に燃え,苦るしい息づかひで僕は必死ぢゃ,一生懸命ぢゃ,駄目と見て治療してくれるな』と悲痛な叫びを発せられた。『平素から如何に生に執着してひざまづくか,僕の臨終を見て貰いたい』と仰せられる先生であった」。虚偽,虚飾なく,生の欲望と死の恐怖を,最後まで実証しつつ死んでいったのである。(岡本重慶(1))


2018年4月24日火曜日

精神分析新時代 推敲 63


「心の動かし方」の3つの留意点
さてミット打ちの比喩、症例A,Bと紹介してきました。そして私のいう「心の動かし方」は構造を内包している、という話をしました。その心の動かし方について、いくつかの特徴を最後にまとめておきます。
1.バウンダリー上をさまよっているという感覚
一つは私はその内的構造を、いつもギリギリのところで、小さな逸脱を繰り返しながら保っているということです。バウンダリーという見方をすれば、私はその上をいつもさまよっているのです。境界の塀の上を、どちらかに落ちそうになりながら、バランスを取って歩いている、と言ってもいいでしょう。そしてそれがスリルの感覚や遊びの感覚や新奇さを生んでいると思うのです。これは先ほどのミット打ちにもいえることです。コーチがいつもそこにあるべきミットをヒュッとはずしてきます。あるいは攻撃してこないはずのミットが選手にアッパーカットを打つような素振りを見せます。すると選手は怒ったり不安になったり、「コーチ、冗談は止めてくださいよ」と笑ったりする。もちろんやりすぎは禁物ですが、おそらく適度なそれはミット打ちにある種の生きた感覚を与えるでしょう。
あるいは実際のセッションで言えば、私はBさんに「まあ、どうぞどうぞ、お茶でも」と言って、ペットボトルのお茶を紙コップに入れてBさんに振舞います。こんなことは普通は起きないので、Bさんは私が冗談でやっているのか本気なのかわからない。私が時々言うジョークにもその種の得体の知れなさがある。Bさんはそれに笑うことが出来て、「これは掛け合い漫才ですか?」といったりする。私とBさんはそんな関係を続けているわけですが、この種のバウンダリーのゆるさは、仕方なく起きてくると言うよりも、実は常に起きてしかるべきものであり、治療が死んでいないことの証だというのが私の考えです。
通常私たちは、この種のバウンダリーには極めて敏感です。欧米人なら、通常交し合うハグの中に、通常より強い力、長い時間、不自然な身体接触の生じている場所にはすぐに気がつくでしょう。あるいはほんの僅かな身体接触はとてつもない意味を持ち、性的な意味を持つものは即座に感じ取られる。そしてそれはまたそれが生じる文脈に大きくかかわってきます。あるセッションの終わりに、治療者が始めて握手を求めてきたら、特別な意味が与えられるでしょうが、終結の日なら、極めて自然にそれが交わされるという風に。言葉を交わしながら、私は同じようなバウンダリーをさまよっています。実はそのことが重要なのであり、そこに驚きと安心がない混ぜになるからなのです。そう、バウンダリーは、それがどのようなものであっても常にその上をさまようものなのです。週一回、50分、と言うのはそのほんの一例に過ぎないのです。

2「決めつけない態度」もやはり治療構造の一部である
もう一つは決め付けない態度 non-judgemental attituede ということです。Aさんの場合も、Bさんの場合も、かなり世間から虐げられ、誤解を受け、辛い思いをしてきたということが伺えます。人からこんなことを指摘されるのではないか、こういうところを疎ましがられているのではないか、ということが感じられます。たとえばAさんの場合は、曲がりなりにも国家の資格は持っているにもかかわらず、職を得ていません。Bさんの場合も、自称元治療者という経歴を持っていますが、今はフラフラしている毎日です。彼らは少なくとも私が厳しいことや、彼らが曲がりなりにも持っているプライドを傷つけるようなことは言わないことを知っています。働いたらどうかとは決して言わないし、お説教じみたことは私の発想には全くありません。私は彼らを「直そう」とは特に思いませんし、彼らが生活保護をこれから続けなくてはいけない事情をよくわかっています。彼らの中に深刻な孤独感と対象希求があるのをわかっているつもりです。彼にとっての私は、おそらく変わった精神科医で、必要に応じて投薬をし、診断書を書くという以外は、白衣を着たただの友達という感じでしょう。もちろん私は白衣は決してきませんし、持ってもいませんが、私が医師であるということは彼にとっては意味があることは確かで、そのことを私が知っているという意味です。
私にとって決めつけないというのは構造の一つです。それはスパーリングで言えば、そこに遊びはあっても、基本的にはミットが選手の痛めている右わき腹や狙われやすいアッパーカットを打ち込むと言うことはありません。その安心感があるからこそ、そのそぶりはスリルにつながるのでしょう。
3.やはり自尊感情セルフエスティームか?
私は心の動かし方のルールとして、やはり患者のプライドとかセルフエスティーム、自尊心を守るということを考えてしまいます。ヘンリーピンスカーという人の支持療法のテキストに書いてありましたが、支持療法の第一の目的は患者の自尊心の維持だといっています。私もその通りだと思うのは、彼らの自尊心を守ってあげることなしには、彼らは自分を見つけるということに心が向かわないからです。ですから私がAさんやBさんとやっていることが、ただ彼らに支持的にふるまっているわけではないということをわかっていただきたいと思います。彼らはある意味ではだれから見ても目につく特徴を持っている人たちです。私はついいたずら心から彼らの特徴を指摘したくなることもあります。ところがある意味では私との面接外では、彼らはそれらについて過剰に指摘され、傷ついている可能性があります。それに振れないことは、私の発揮できるニュートラリティ、中立性とも考えます。
以上本章では、精神療法の強度のスペクトラム、内在化された構造としての「心の動かし方」というテーマで論じました。

2018年4月23日月曜日

精神分析新時代 推敲 62

スペクトラムの中での柔構造
―ある心の動かし方
さて私は精神科医として、そして精神分析家として、結局かなりケースバイケースで治療を行っています。そして強度のスペクトラムの中で、強度8から0.5まで揺れ動いているところがあります。これはある意味では由々しきことかもしれません。「精神療法には構造が一番大事なのだ」。これを私は小此木先生から口を酸っぱくして言われました。でも私はこれをいつも守っているつもりなのです。ある意味では内在化されていると言ってもいいかもしれません。というのも私は結局はどの強度であっても、一定の心の動かし方をしていると思うからです。そして私はそれを精神分析的と考えています。ここでの私の「分析的」、と言うのは内在化された治療構造を守りつつ、逆転移に注意を払いつつ、患者のベネフィットを最も大切なものとして扱うということにつきます。それが私の「心の動かし方」の本質です。その心の動かし方それ自体が構造であるという感覚があるので、外的な構造についてはそれほど気にならないのかもしれません。
 「ある心の動かし方」はそれ自体がある種の構造を提供しているという側面があるという話をしました。その心の動かし方にはある種の構造がビルトインされています。ですから時間の長さ、セッションの間隔は比較的自由に、それも患者さんの都合により変えることができます。それでも構造は提供されるのです。ただし実はその構造を厳密に守ることではなく、それがときに破られ、また修復されるというところに治療の醍醐味があるのです。そのニュアンスをお伝えするために一つの比喩を考えました。
いつか重構造のことをボクシングのリングのようなものだと表現しました。がっちり決まった、例えば何曜日の何時から50分、という構造を考えると、それは相撲の土俵のようなものです。そこでさまざまなことが起きても、足がちょっとでも土俵の外に出るだけであっという間に勝負がつく。その俵が伸び縮みすることはありません。ところがボクシングのリングは伸び縮みをする。治療時間が終わったあとも30秒長く続くセッションは、ロープがすこし引っ張られた状態です。そして時間が過ぎるにしたがってロープはより強く反発してきます。すると「大変、こんなに時間が過ぎてしまいました!」ということで結局セッションは終了になります。
 このようにロープ自体は多少伸び縮みするわけですが、リング自体はやはりしっかりとした構造と言えます。そしてその中で決まった3分間、15ラウンドの試合を行うというボクシングの試合は、かなり構造化されたものです。そして、本来治療とはむしろこのボクシングのリングのようなもの、柔構造的なものだ、というのが私の主張でした。
 しかし「心の動かし方自体が柔構造的だ」という場合は、ここで新たな比喩が考えられます。同じボクシングの比喩ですが、コーチにミットでパンチを受けてもらう、ミット受け、ないしミット打ちという練習です。
ボクシングの選手はミットで受けてほしい、とコーチのもとにやってくる。コーチはミットを差し出して選手のパンチを受けます。ひとしきり終わると、「有難うございました。ではまた」と選手は帰っていきます。ここにも大まかな構造はあるでしょう。どのくらいの頻度でミット受けをしてもらうかは、選手ごとに異なるでしょう。一時間みっちり必要かもしれないし、5分でいつもの感覚を取り戻すかもしれない。しかしここにもだいたい構造はあるでしょう。それこそ月、水、金の5時ごろから30分ほど、とか。さもないと二人とも予定が合せられないからです。
 さてミット受けが始まると、選手はコーチがいつもと同じようなミットの出し方をして、いつもと同じような強さで受けてくれることを期待する。場所はあまり定まっていないかもしれない。その時空いているリングを使うかもしれないし、ジムが混んでいるときはその片隅かも知れない。夏は室内が暑いから外の駐車場に出て、風を浴びながらひとしきりやるかもしれない。その時選手とコーチはお互いに何かを感じあっている。コーチは今選手がどんなコンディションかを、受けるパンチの一つ一つで感じ取ることができるでしょう。選手はコーチのグラブの絶妙な出し方に誘われて自在にパンチを繰り出せるようになるのでしょうが、時にはコーチは自分にどのようなパンチを出して欲しいかが読み取れたりするかもしれません。その意味ではミット打ちは選手とコーチのコミュニケーションと意味合いを持っています。
 このミット打ちの比喩が面白いのは、選手とコーチの間の一方向性があり、それが精神療法の一方向性とかなり似ていると言うことです。コーチがいきなりグラブを突き出してきて選手にパンチを繰り出すようなことはない。コーチは自分がボクシングの腕を磨くためにミット打ちを引き受けるわけではないからです。だからいつも選手のパンチを受ける役回りです。いつも安定していて、選手の力を引き出すようなグラブの出し方をするはずです。その目的は常に、選手の力を向上させるためです。あるいは試合前に緊張している選手の気持ちをほぐすため、という意味だってあるでしょう。なんだか考えれば考えるほど精神療法と似てきますね。
 そしてこのミット打ちを考えると分かる通り、その構造は、コーチのグラブの出し方、選手のパンチの受け方に内在化されているのです。そこにはいつも一定のスタンスと包容力を持ったコーチの姿があるのです。
ただここら辺で理論的な話ばかりするとみなさんが退屈になりますから、臨床例について話したいと思います。

2018年4月22日日曜日

解離の本 21

家族への対応

1.はじめに

 第1章でも述べたように、DIDの治療ではその症状に気づいた家族からの訴えで始まることは多いものです。交代人格の行動により患者さんの生活には多様な問題が生じ、それにより家族も日常を脅かされています。ただし人格交代の現場に居合わせても、それが詐病や演技であるという疑いを抱いていることは少なくありません。
患者さんの身近に暮らす家族が解離の症状を見過ごすにはいくつかの理由が在ります。一つには解離がそもそも家族に囲まれた環境で生じたという事情があります。たとえば父親との虐待的な関係で人格が生じた場合、その人格は父親の前では表現されることを許されず、またその虐待を理解してもらえない母親の前でも表れることが出来ずに潜伏することになります。その患者さんの家庭は、一定の感情や振る舞いしか許されないような、強固な枠組みを持ち、その中で交代人格たちは外へ出ることを許されずにいる状態といえるでしょう。そして時々別人格が漏れ出し、姿を垣間見させるとしても、その両親により即座に否認され、否定される運命にあるでしょう。
 さらに両親にとって自分の子供にもう一つの人格があると言う事実は、多くの場合まったく受け入れられない考えであるという事情も考えなくてはなりません。一人の人に複数の人格が存在するということは、通常私たちが持つ常識を超えています。そのような現象が起きうることを、DIDの臨床に携わっている人々は受け入れていますが、一般の人々にとってはまだまだ容易には想像できないでしょう。ましてや患者さんの家族の場合には、それが更に難しくなる可能性があります。一般的な知識としてはDIDの存在を知っていても、まさか自分の子供にそれが生じていると認めることは難しいということは容易におきます。
DIDの患者さんでは治療が進み交代人格の存在が確認されてからも、「自分の思い込みではないか」「自分は回りの人を騙しているのではないか」と考え、しばしば病識そのものが揺れ動きます。「自分は病気ではないのでは」と思い込み、治療の必要性を見失うこともあります。自分自身を信じきれず、自己喪失に陥りやすいのが解離性障害の特徴ともいえます。自らの実感への信頼が乏しく、対人不信のみならず自己不信ともいえる状態にあるのです。よって、患者さんの身近にいる家族や支援者に対しては、心理教育的関わりを通してDIDという障害への受け入れを進め、トラウマへの理解をもってもらい、症状の悪化をできる限り防ぐような協力体制を作り出すことが求められます。

2018年4月21日土曜日

精神分析新時代 推敲 61


スペクトラムという考え
そこで私は精神療法の強度のスペクトラムという考えを提示したいと思います。要するに精神療法には、密度の濃いものから、薄いものまで様々なものがありますが、どれも精神療法には違いないという考え方です。私と一緒にやはり30分セッションをしていただいている7人の心理士さんたちの気持ちも代弁しているつもりです。
 このスペクトラムには、一方の極に、フロイトが行っていた「週6回」があり、他方の極に、おそらく私が精神療法と呼べるであろうと考える最も頻度の低いケース、つまり3ヶ月に一度15分が来ます。大部分はこの両極の間のどこかに属するのです。その横軸を、仮に精神療法の「強度」とでも呼びましょう。一番左端はフロイトの週650分の強度10の精神分析です。通常の450分は、強度8くらいでしょうか。週一回は強度4くらいになるでしょう。左端には、私の患者Aさんの、3か月に一度15分が来るでしょう。これを強度0.5としましょう。(フロイトは、なぜ週6回会うのかと問われて「だって日曜日はさすがに教会に行く日だから会えないだろう」と答えたと言います。つまりフロイトにしてみれば週7回が本来の在り方だったのかもしれません。それを強度10とするならば、週4回は強度8くらいにしておかなくてはなりません。)
私が言いたいのは、強度は違っても、それぞれが精神療法だということです。その強度を決めるのは、経済的な事情であったり、治療者の時間的な余裕であったりします。患者の側のニーズもあるでしょう。一セッション3000円なら毎週可能でも、一セッション6000円のカウンセリングでは二週に一度が精いっぱいだという方は実に多いものです。あるいは仕事や学校を頻繁に休むことが出来ずに二週に一度になってしまう人もいます。その場合二週に一度になるのは、その人のせいとは言えないでしょうし、二週に一度なら意味がないから来なくていいです、というのも高飛車だと思います。
私は週4回のケースを持っていますし、週5回の分析を受けたこともありますので、この場でこのスペクトラムを話す権利を得ていると言ってもいいでしょう。そうでなければ「週4回のセッションを実際に受けたり、行ったりしないで、何が言えるのだ!」と言われてしまうでしょう。私はもともとバリバリの精神分析志向の人間ですし、分析のトレーニング中に、特別発注の、当時2000ドルしたカウチも所有しているくらいですから。
このスペクトラムの特徴をいくつか挙げておきます。おそらくその強度に関しては、一般的な意味では時間的な頻度が低下するにつれて弱まって行きます。ただしそれはあくまでもなだらかな弱まり方です。つまり、私はたとえば週に4回と3回で、あるいは週1回と二週間に一度で、あるいは週一回のセッションが45分と35分とで、それこそ越えられないような敷居があるとは思えません。私のメンタリティーに変わりないし、そこには決まった設定、治療構造のようなものが保たれていると考えています。私は精神分析は週4回以上、ないしは精神療法なら週1回以上、という敷居は多分に人工的なものだと思います。そうではなくて、左から右に移行するにしたがって、強度が低まり、それだけ治療は、ほかの条件が同じなら効果が薄れていく。やっていて物足りないと思う。そして俗にいうところの深いかかわりは起きる頻度も少なくなっていくでしょう。それはそうです。何しろ四輪駆動が軽になるわけですから。でも繰り返しますが、軽でも行けるたびはあるわけです。
 このスペクトラムのもう一つの特徴としては、これがあくまでも治療構造上のものであり、実際には週回でも弱い治療もあれば、二週に一度でも非常に強い治療もありうるということです。週回でも6回でも、非常に退屈で代わり映えのないセッションの連続でありえます。藤山直樹先生はその退屈さに耐えることが大事だと言っていますが、それは少しぜいたくな話かな、とも思います。頻回に会う関係は、しかしその親密さを必ずしも保証しません。一部夫婦の関係を見ればわかるでしょう。毎日数時間顔を合わせることで、逆にコミュニケーションそのものが死んでしまうこともあるわけです。逆に二週に一度30分でも強烈で、リカバリーに二週間かかるということはありうるでしょう。そのセッションで探索的、あるいは一種の暴露療法的なことが行われた時にはありうることです。治療者のアクが強い場合もそうかもしれませんね。
あるいは極端な話、一度きりの出会い、このスペクトラムで言えば0.01くらいの強度に位置するはずの体験が、一生を左右したりします。そのようなことが生じるからこそ精神療法の体験は醍醐味があるわけで、週一度50分以外は分析ではない、という議論は極端なのです。私の知っているラカン派の治療を受けている人は、20分くらいのセッションが終わってから「あとで戻ってきてください。もう一セッションやりましょう」などと言われそうです。一日2度、一回二十分という構造など、このスペクトラムのどこにも書き入れる事が出来ません。それでもある社会では治療として成立しているということが、このスペクトラム的な考えを持たざるを得ない根拠となります。
このスペクトラムのもう一つの特徴についてついでに申せば、これには幾つかの座標があり、その意味では一次元的ではないということです。一つはこれまでに話した頻度の問題があります。そしてもう一つは、セッション一回当たりの時間の問題です。これもはてはダブルセッションの90分から5分まで広がっています。さらには開始時間の正確さということのスペクトラムもあります。これもご存知の方はいらっしゃると思いますが、精神科医療には、患者さんの到着時間ファクターがあります。到着時間がいつも早い人もいれば、遅い人もいます。そして医師の診察が先か、心理面接が先かというファクターがあります。たとえば医師が心理面接の開始5分前に、例えば心理面接の始まる35分前に、とりあえず患者さんに会っておこう、と思い立ちます。もちろんギリギリ3時までには心理士さんにバトンタッチできるという算段です。ところがそこで薬の処方の変更に手間取り、自立支援の書類を持ち出され、あるいは自殺念慮の話になり、とても5分では終わらなくなります。心理士としては医師のせいで遅れて開始された心理療法を、定刻に終わらせるわけにはいきません。こうして構造を守るためには起きてはならないはずの開始時間のずれが、実際には起きてしまいます。3時~3時半の予定のセッションが310分に始まった場合、それを3時半で切り上げるわけにはいかなくなります。こうなるとと開始時間、終了時間という、治療構造の中では比較的安定しているはずのファクターでさえ、安定しなくなります。こうして患者さんは、開始時間は不確定的、という構造を飲み込む必要があることになり得ます。そしてこの不確定さ(治療枠の「緩さ」)れもまたスペクトラムの一つの軸です。さらには治療者の疲れ具合、朝のセッションか午後のセッションか、など数え上げればきりがないほどのファクターがそこに含まれます。
それ以外にもたとえば料金の問題があります。一回2万円のセッションから、保険を使った通院精神療法まで。あるいは一回1000円のコントロールケース(精神分析のトレーニング中のだってあり得るでしょう。治療者がどの程度自己開示を厳密に控えるか、だってスペクトラムがあり得ます。ある治療者は事故でけがをして松葉づえをついて患者を迎い入れましたが、その理由を一切聞かれなかったといいます。しかし少し風邪気味なだけで、「風邪をひいて少し声がおかしくてごめんなさい」という治療者だっているかもしれません。この様に治療におけるスペクトラムは多次元的ですが、大体どこかに収まっていてそれが一定であることで、治療構造が守られているという実感を、治療者も患者も持つことが出来るでしょう。

2018年4月20日金曜日

精神分析新時代 推敲 60


スペクトラムという考え
そこで私は精神療法の強度のスペクトラムという考えを提示したいと思います。要するに精神療法には、密度の濃いものから、薄いものまで様々なものがありますが、どれも精神療法には違いないという考え方です。私と一緒にやはり30分セッションをしていただいている7人の心理士さんたちの気持ちも代弁しているつもりです。
 このスペクトラムには、一方の極に、フロイトが行っていた「週6回」があり、他方の極に、おそらく私が精神療法と呼べるであろうと考える最も頻度の低いケース、つまり3ヶ月に一度15分が来ます。大部分はこの両極の間のどこかに属するのです。その横軸を、仮に精神療法の「強度」とでも呼びましょう。一番左端はフロイトの週650分の強度10の精神分析です。通常の450分は、強度8くらいでしょうか。週一回は強度4くらいになるでしょう。左端には、私の患者Aさんの、3か月に一度15分が来るでしょう。これを強度0.5としましょう。(フロイトは、なぜ週6回会うのかと問われて「だって日曜日はさすがに教会に行く日だから会えないだろう」と答えたと言います。つまりフロイトにしてみれば週7回が本来の在り方だったのかもしれません。それを強度10とするならば、週4回は強度8くらいにしておかなくてはなりません。)
私が言いたいのは、強度は違っても、それぞれが精神療法だということです。その強度を決めるのは、経済的な事情であったり、治療者の時間的な余裕であったりします。患者の側のニーズもあるでしょう。一セッション3000円なら毎週可能でも、一セッション6000円のカウンセリングでは二週に一度が精いっぱいだという方は実に多いものです。あるいは仕事や学校を頻繁に休むことが出来ずに二週に一度になってしまう人もいます。その場合二週に一度になるのは、その人のせいとは言えないでしょうし、二週に一度なら意味がないから来なくていいです、というのも高飛車だと思います。
私は週4回のケースを持っていますし、週5回の分析を受けたこともありますので、この場でこのスペクトラムを話す権利を得ていると言ってもいいでしょう。そうでなければ「週4回のセッションを実際に受けたり、行ったりしないで、何が言えるのだ!」と言われてしまうでしょう。私はもともとバリバリの精神分析志向の人間ですし、分析のトレーニング中に、特別発注の、当時2000ドルしたカウチも所有しているくらいですから。
このスペクトラムの特徴をいくつか挙げておきます。おそらくその強度に関しては、一般的な意味では時間的な頻度が低下するにつれて弱まって行きます。ただしそれはあくまでもなだらかな弱まり方です。つまり、私はたとえば週に4回と3回で、あるいは週1回と二週間に一度で、あるいは週一回のセッションが45分と35分とで、それこそ越えられないような敷居があるとは思えません。私のメンタリティーに変わりないし、そこには決まった設定、治療構造のようなものが保たれていると考えています。私は精神分析は週4回以上、ないしは精神療法なら週1回以上、という敷居は多分に人工的なものだと思います。そうではなくて、左から右に移行するにしたがって、強度が低まり、それだけ治療は、ほかの条件が同じなら効果が薄れていく。やっていて物足りないと思う。そして俗にいうところの深いかかわりは起きる頻度も少なくなっていくでしょう。それはそうです。何しろ四輪駆動が軽になるわけですから。でも繰り返しますが、軽でも行けるたびはあるわけです。